お花畑と恐竜
「世界の名前は神ではないので知らないが、大陸の名前はパンゲア。四つの国が四分割されている戦争続きの大陸だ」
なんて物騒な。
「私は誰?」的な漠然とした疑問にも親切に応えてくれた黒マントの説明に、思わず顔をしかめると、黒マントは苦笑したようだった。
「もっと地理的なことを言うと、このシガンバナ畑はトウゴク、コウトの郊外だ」
黒マントは確かめるように、地面に黒手袋の指で文字を書き出した。
此岸花。
東国。
皇都。
「読めるのか?」
読めもするし、意味もわかるが聞いたことがない言葉だ。
此岸。
「……私って、死んだんじゃ…?」
「生きてるぞ」
独白に応えてくれたのは黒マント。
「お前はマヨイビトで、あちらの世界からこちらの世界に迷い込んだだけだ」
黒マントは律儀に迷い人と地面に書いてくれたらしい。
ひらがなの部分が見たことのない文字で読めない。
しかし、だけ、とは言ってくれるねお兄さん。
こちらの世界とあちらの世界。
私は車にひかれて連れ去られた揚句、担がれているのだろうか。
庶民の我が家から身代金は取れないよ。
「どうすりゃいいんだろ……」
前門の未知世界、後門の車にひかれて御臨終。
あんまりじゃないか、この運命。
ここが世界の何処かだとしても、帰る手段が見当もつかないことだけは確かだ。
「心配するな。お前は運の良い方だ。この国じゃ言葉は通じるし、文字もある程度読めるのなら、生活に慣れれば仕事だって見つかる」
黒マントの慰めは見当違いだが、車の運転手に幽霊になって文句言うよりはマシだ。
うん。
マシなはず。
……たぶん。
「……あの…私これからどうしたらいいですか?」
溺れる者は藁をもつかむ。
この黒マント、見た目より親切みたいだから人の居る場所ぐらい教えてくれそうだ。
「俺が町まで連れていってやってもいいが…」
いえいえ遠慮します。
そこまで信用はできないから。
断りを入れようとしたら、木の枝葉が風もないのにざわりと揺れた。
と、思ったら、目にも留らぬ速さで黒マントがこちらに差し出していた剣をつかんだ。
今度こそ悲鳴を上げそうになったが、黒マントはほとんど予備動作もなく立ち上がってこちらを見下ろす。
「あとは自分で何とかしろ。殺されはしないだろうから」
「えええええ!?」
恐怖とは別の悲鳴を上げた私を尻目に黒マントは顎をしゃくって、花畑の地平線を指す。
うながされるまま視線をやると、真っ青な花の海の向こうから奇怪なものがこちらにやってきている。
あれは、なんだ。
つるりとした鱗の頭に、胴体はふさふさした長めの毛。まばたきするたび明滅するみたいな猫目に、獰猛そうな大きな口。
言葉を作るなら、恐竜もどきといったところか。
およそ人で飼いならせるような生き物にも見えないが、鉤爪のついた小さな前足にはしっかりと、馬であれば轡らしきものを握ってふさふさの胴体には鞍まで乗せている。
それに乗っているのが、また西洋ブリキの等身大のおもちゃみたいな甲冑着た人間なんだから、なんだか微笑ましくもある。
そんな一団が馬車(この場合は何と呼べばいいのかわからない)を伴ってこちらにやって来るのだ。
なんだかよくわからないが、あまり良い予感はしない。
黒マントに町まで案内してもらう方がまだマシだ。
急いで広げていた荷物をカバンに突っ込み、さぁ、黒マントさんよろしくと振りかえったが、
「……いないし」
肝心の黒マントは忽然と姿を消していた。