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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
203/209

口座と装丁

 俊藍と別れて丘から帰ったら、ミセスから手紙を渡された。


 珍しいことに、ミカエリ・ジョーンズからの手紙だった。

  

 その内容に、昼食前に手を洗っていらっしゃいというミセスの注意をついつい聞き流すほど、その場で読んで驚いた。


 私の本が発行されたというのだ。


『異世界漫遊記』という題名のその本は、北国で先日発行され、


「借金返済!」


 ラーゴスタからの通信料に加えて、私がミカエリ・ジョーンズに用立ててもらった旅費までもカバーするほどの売れ行きになったそうだ。

 近々東国でも流通させるというから、嘘のようだ。

 なんでも、借金はすでに完済したから印税というやつが私に入るそうで、その振込先は私の名前で登録されているギルドの口座でいいかという確認の旨も手紙には書かれていた。


 嬉しいやら、何だか悲鳴を上げたいような。


 とにかくどうしたらいいのか分からない。


 待て待て。落ち着いて考えろ。

 借金は完済した。

 思わぬ収入もあった。

 

 何だか、私が帰れなくなったこと以外の心配事が全部無くなってしまったような。


 落ち着けと唱えるほど落ち着けないまま、私は日当たりのいいリビングのドアを開ける。


 ああ、どうしたらいい。

 

 悩んで冷や汗を流しそうな私の目に、なぜかあるはずのない長い足が飛び込んできた。長い足を長椅子の上に放り投げるようにして寝そべって、今ここにはいないはずの人が、居る。

  

 驚いた私に気がついただろうに、手元から目線を上げもしない。

 

 ああ、何で居るんだろう。


 今、このときに。


 今朝がた見送ったはずのチャリムの背中に近付いて、悔しくなる。


 

―――ねぇ、覚えてる?



 今日が、私の誕生日で。


 あなたと私が契約した期限なんだけど。


    

 

 何て言ってやろう。

 さぁ、解放しろ!

 私は自由だ!


 そんな風に笑えばいい?


 そう思うのに、涙が出そうになった。


 

 この人は、たくさんの言葉を費やす割に、臆病な私を決して無理矢理押さえつけるような真似はしない。

 じっと、私が考えて悩んだうえで、寄ってくるのを待っている。



 ねぇ、どう言えばいい?


 

 どうすれば、このもどかしさが伝わる?



 どういう言葉を口にすればいいのか分からなくて、私はあいつの手元を見て、叫んだ。



「どうしてその本がここにあるの!!!」



 思わずあいつから本を奪い取ると、あいつは涼しい顔で私を若干迷惑そうに見上げてくる。ハードカバーの思いのほかしっかりとした装丁の本の背には『異世界漫遊記』と書かれてある。


「妻の本です。誰より早く手に入れたいと思うでしょう」


「当然です」としれっと言うが、この本は北国で発行されたものであって、発売日に東国で手に入るものじゃない。


「どうしてこの本が出るなんて知ってるのかって聞いてるの!」


「ギルドマイスターとのやりとりは気に入りませんでしたが、大人しく聞いていましたから」


 そういやこの前、チョヌアに連絡入ったときに、こいつも隣に居たっけ。そして何が気に入らないんだ。ただの借金返済の期限確認じゃないか。


「そうじゃなくて!」


「いくらか編集の手は入っているようですが、あなたらしい視点で素晴らしい本ですね」


 真面目くさって穏やかに書評を聞くと、奪った本が途端に鉛みたいに重くなる。顔が熱い。


「特にお酒の記述が細かくて、あなたらしいです」


「人を酒飲み認定するのはやめてって言ってるでしょうが! 酒好きに謝れ!」


「それはすみませんでした」


「それは酒好きである私に対する謝罪の意味があるのかこの性悪!」


 あーあーあーあー!

 やっぱりこいつなんか大嫌いだ。


 まだ途中なんですよ、とあっさり本を取り返されて、私はますます不貞腐れた。

 こいつ、私との契約なんか無かったことにしているんじゃないのか。


 

 どうして私のことを好きなの。



 なんて聞けるか!

 いきなり結婚してくれとか、普通は頭おかしいって思うでしょう!

  

 それでもそばを離れられないのは、私の中でもう答えが決まっているからだろう。


 ああ、なんて馬鹿なんだろう。

 やってられない。

 昼から酒でも飲んでやる。

 そうだ。伯爵からもらった秘蔵のお酒も持って帰ってきたはずだ。

 全部丸々一人で飲んでやる。


 私は不貞腐れたままリビングを出ていこうとして、思いついてまた本を読み始めた悪魔に振り返る。


「ねぇ、雪」



「何ですか?」 



「私、ここに居ていい?」



「ええ」



 ここに居ていい。


 言質はとったぞ。

 出て行けって言われたときに使ってやろう。

 予想通りの反応に満足して私が出ていこうとすると、気のない声が追いかけてくる。



「いつまでも、居てください」



 

 思わず振り返る。


 そうしたら、さっきと違うことに気がついた。




―――あいつ、耳まで真っ赤だ。




 私は、真っ赤な顔の人の背中に思い切り抱きついてやった。


 



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