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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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野良着と災難

 日に焼けた泥まみれの顔に呼ばれて、振りかえった私もまた同じように泥まみれだった。


「奥さま、明日っから、また王都に行くんだって?」


 じゃがいもみたいなほっこりとした顔の野良着の人が「さみしくなるなぁ」と言いながら鍬をがっしりとした肩に担ぐ。

 領主の館の敷地を一緒に耕してくれているソイルさんだ。


「お子さん生まれる予定って、秋でしたっけ?」


「そうそう。ちょうど奥さまが王都に居る頃になっちまう」


 身重の奥さんもちょっと前まで手伝いに来てくれていたけれど、無理をしないでもらっているから、たまにこうやって旦那だけがやってきてくれる。


「奥様もがんばれよー」


 何をだ。このセクハラオヤジ。


 春がやってきたと思ったら、もう夏を迎えた領地では、麦の青絨毯が敷地いっぱいに広がっている。だから今は雑草抜きと空いてる畑での二毛作に忙しい。

……貴族の本業って、実は農業だったのか。

 

「そろそろ終わりにしましょうか」


 麦畑の中で雑草を引いていた赤銅色の髪が顔を出して、少し日に焼けた顔で微笑んだ。野良着の似合わない男だ。

 似合う私もどうかと思うけれど。


 長い休暇を取っていた悪魔が王都に行くと言いだしたのは三日前のことだ。

 そろそろ戻らないと、と見せられた手紙には部下の悲鳴にも似た報告がぎっしりと詰まっていた。アンタは、部下にまでドエスなのか。

 

 でも楽しみにしていることもある。

 ポリテイク嬢が王都までやってくるらしい。

 やりとりしている手紙で、私が王都へ行く日程に合わせるとあったのでチョヌアで連絡を取ったら、明日だけ会えるということだった。

 だから、悪魔に相談して日程を合わせたのだ。


 ソイルさんと畑の畔道で別れて、冴え渡る青空の下を悪魔と歩く。

 この毎日が、今ではすっかり慣れてしまった。

 少し下がって、そよ風になびく赤銅色の三つ編みを眺めながら私がいつも不思議な気分になる。


 この人と、どうして出会ってしまったんだろう。

 

 悪魔は、あの夜から毎日のように私にプロポーズの言葉を投げてくる。

 朝一で投げられるそれはもう挨拶代わりだ。

 

 恋愛って、もっとドキドキしたりそわそわしたりするもんじゃないのか。


 私はまだ、悪魔の言葉に肯けないでいる。


「葉子」


 あっと思ったら、すぐに抱きかかえられていた。


 鍬を投げ出して飛びのいたあとには、魔術で作りだしたと思しき光の矢が刺さっている。


 悪魔は手もかざさずに呪文を唱えると、あっという間に目の前に魔法陣を展開させて、次の瞬間には宙づりになった犯人と思しき男が草むらから引きずり出された。

 口は塞がないでおこうよ。苦しそうだよ。


 近頃は、悪魔は私に自分の仕事の一部を見せるようになった。

 奇麗なところでは領地を見て回ったり、決済を手伝わせたり。

 危ないところでは、こういう暗殺者たちを捕える場面なんかを、私の前でも平気でやるようになった。彼らが捕まえられた後のことまでは知らないけど、楽しくないことになっているのは想像できる。

 私は、人が死ぬことには耐えられないけど、これが悪魔の日常なんだ。

 感謝されたり慕われたりする一方で、憎まれたり恨まれたり。

 


 私もこれが日常茶飯事になりました。


―――命の危機でドキドキするのは、違うはずだ。





  

 王都までの旅は魔法陣に入って、はい終わり。

 いつも思うけど、あっけないにもほどがある。

 昼食を終えたあと、屋敷を愛想のいい管理人のおじさんに任せてミセスとゲミュゼさんと四人で王都に飛んだ。


「おかえりなさいませ」


 玄関先に降り立った私たちをフェンが出迎えてくれた。

 部屋を用意してくれるというミセスを見送ってから、フェンが私を呼びとめる。


「奥様にご伝言をお預かりしております」


 ポリテイク嬢が王都に着いたという連絡だった。

 

 折り返し、彼女が泊まっているホテルに連絡を取ったら、王都の屋敷まで遊びに来てくれることになった。

 いっそ泊まればいいと悪魔に許可をもらって出迎えたら、



「―――お久しぶりです」


 どうしてアンタも一緒なの。

 

「久し振り。ポリテイク嬢。……クルピエ」


 私の憮然とした顔を、南国の礼装を着た彼は苦笑した。

 


「わたくしは一人で大丈夫だと申し上げたのですけれど、お兄さまが聞きいれてくださらなくて」


 久しぶりの応接間で久しぶりに会った美少女ポリテイク嬢はやはり可憐だ。美少女は美少女であるだけで存在価値があると思う。


「ヨウコお姉さまによっぽど会いたかったのかしら」


 美少女の妹に肩をすくめられた兄は、悪魔にどこかに連れられていった。私としては顔を合わせたくなかったからいいけど、あの純朴な青年があの性悪眼鏡に何かされていないか心配になる。


「今回の東国への訪問は公式のものではありませんのよ。だから、わたくしの個人的な見聞を広めるための旅行と銘打ってありますから、本当にプライベートなのに」


 お付きの人を数人だけ連れてやってきたらしい。

 今は別室に控えているここまで一緒にやってきた人は、お付きというか護衛の騎士だった。


 ポリテイク嬢は、これから本格的に政治の勉強を始めるという。


「政治は、人のためであればあるほど、厳しいものですわ。だから、わたくしは一つでも見聞や知識を広げて携わっていきたいのです」


 きっと、彼女の国はこういう人たちが居るから豊かなのだろう。


「また、遊びに行くね」


 私はこういうことしか言えない凡人だけれど、私と話すことで彼女の知識となり、見聞となるなら、それは素晴らしいことなのかもしれない。

 

 私たちは、夕食が終わってからも長い時間話した。


 なかでも、彼女が興味を持ったのは私の旅の話だった。

 旅行というものは、本当に珍しいことらしい。

 ポリテイク嬢の今回の旅行もどうやら、あの妖艶な女王様に頼み込んでのことだったようだ。



 美少女相手にお酒を飲むわけにもいかない。

 だから、彼女が眠るまで付き合って、部屋で別れてから厨房のゲミュゼさんに頼んでお酒をくすねてもらった。ミセスに見つかると怒られるから。


 くすねたお酒とグラスを持ってぶらぶらとリビングに行く途中でベンデルさんに捕まった。夜になると絶世の吸血鬼になっているから、髪も真っ黒で暗いところから出てくるとよく驚く。

 私の手のグラスと酒を見つけると、自分も付き合うと言ってリビングまでついてくる。時々、こうやって人の酒を横取りしにくるんだよ。


 リビングの戸を開けたら、客人がぼんやりと座っていて、私を見つけて目を丸くした。


―――とっとと寝なさいよ。クルピエ青年。


 銀髪の青年は、今は南国のちょっとラフな民族衣装姿で、明かりもつけないでリビングでぼーっとしていたらしい。

 私が明かり石に明かりを入れるのを、ずっと目を追っていて、明るくなったらまぶしそうに目を細めた。


「どうしたの。こんなところで」


 酒を並べながら訊いても、青年は答えなかった。

 付き合ってられない。


 私はリビングの長椅子に座ったけれど、ベンデルさんは自分のグラスを取ってくると言って出ていってしまう。

 

 場所を変えるか。


 でも明かり入れちゃったしなぁ。

 それに今更どこかへ行くのも逃げるみたいで癪に障る。


「―――お元気そうですね」


 酒を注いで飲み始めたら、クルピエ青年が正面の椅子に腰かけた。


「まぁね」


 注いだお酒を飲む。今日のお酒は領地から持ってきた地酒だ。

 麦を発酵させて作るというこのお酒は、甘味の中に少し独特な酸味がある。

 うまい。

 敷地の畑の麦の一部もお酒にしてくれるというから、楽しみだ。


 無視していたら、青年も口を開かないので、ベンデルさんが帰ってきたドアの音がやけに大きく響いた。

 この吸血鬼は人の事にはあまり興味がないようで、私とほど近い椅子に腰掛けると私の許可なく地酒を注いで飲み始める。

 あーあーそんなに注いだら私の分がなくなるでしょうが!


「……あの」


「何?」


 吸血鬼の極悪な注ぎ方を睨んでいた私は、クルピエの顔なんか見ていない。


「……私のことを、もう怒ってはいないんですか?」


「怒ってるし、顔も見たくないけど」


 くっそー、この極悪吸血鬼! もう酒瓶の半分まで飲んじゃった!


「ベンデルさん! そんなに飲みたいならもう一本持ってきて!」


 ゲミュゼさんに言えばいいと伝えたら、ベンデルさんは少しだけ横目でクルピエを見て、


「わかった」


と大人しくおつかいに行った。しまった。ついでにつまみも頼んでおくんだった。


「あの、」


「何!」


 面倒臭いなぁもう!

 改めて青年と向き合ったら、銀髪の美青年が捨てられた子犬みたいに情けない顔でこちらを眺めていた。何なんですか。


「許さないって言ったでしょ」


「はい……」


 私の叩きつけるみたいな言葉で青年は更に項垂れてしまった。

 

「……どうして、元気なんですか」


「はぁ?」


「ラウヘルさんに、いじめられて憔悴していてくれれば良かったのに」


 まるで自分がいじめられてうずくまるように、クルピエは項垂れて自分の手で顔を覆いながら呟く。


「そうしたら、私がさらって逃げていました」


『一緒に酒も飲めないお子様について行く気はない』


 南国語で言ってやると、クルピエは目を丸くして顔を上げる。さっきまでは東国語で話してましたよ。


「淫行で私が捕まるでしょ」


 ああ、酒がまずい。ベンデルさんはまだか。


「……あなたは、会うたびに魅力的になっていて、参ります」


 クルピエはそう今日初めて私に笑顔を見せた。



「―――私の妻が、魅力的でない時などありませんよ」


 うわ! 鳥肌たった!


 ぶわっと寒くないはずのリビングに冷気が広がって、思わず戸口を振り返ったら、悪魔よりも悪魔らしい男がこちらを眺めてうっすらと微笑んでいた。


 悪魔の乱入に、おつかいから戻ってきたベンデルさんはとても嫌な顔をして、グラスをついでに渡されたクルピエ青年はしたたかに酔い潰された。

 この地酒、飲みやすいけど度数が高いんだ。

 ごめんよ青年。君にとって今夜は災難だった。

 

 結局私と二人で酒を飲んでいた悪魔の顔が、とても意地悪く笑ったから。




一部とんでもない名前間違いをご指摘いただいて修正いたしました。

ありがとうございました。

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