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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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爪と熱湯

 追いだす。

 もちろん、あの悪魔も。


 ドアを閉めたら、私を呼ぶ声が聞こえたけれど、無視した。


 静かになった牢屋の中で、あの女と対峙する。


「お久しぶりです。理恵さん」


 記憶よりも痩せていたけれど、砂漠に私を置いて行ったときと変わらない美貌の迷い人は、にやりと笑った私を見て青ざめた。


「……どうして、どうしてあなたが生きているの」


 ハッと笑ってやると、彼女はびくりと肩を震わせる。


「砂漠でどうしてあなたが私を置いていったのか、なんて今更そんなどうでもいいことは聞きませんよ。どうせくだらない理由だろうから」


 日本語で話すと、彼女の顔はみるみる内に真っ赤になった。


「――それで、今は元気で、愛されて幸せだってことを見せびらかせに来たの?」


「あんたみたいな馬鹿女には到底無理でしょうね」


「アンタに何が分かるっていうの!」


 彼女は、牢屋いっぱいに叫んで鉄格子を掴んでなお金切り声を上げた。


「私は、幸せになりたかっただけよ! それなのに、みんな、みんな邪魔をして! あんたみたいな女ばっかり大切にして! あんたには、何もないっていうのに!」


 そう。


「そうよぉ? 何もない女にアンタは負けたの」


 ヒールを鳴らして鉄格子に向かう。

 そして、


「どう? 格下の女に負けた気分は?」


 あいつの胸倉を掴んで引き寄せる。

 長旅で鍛えられた私の腕は、彼女には振り払えない。

 爪を立てられたけれど、私は放さなかった。


「アンタの処遇を、私に任せたのはアイツ等よ?」


「イーエロが……!」


「そう。アイツも何も言わなかった」


「なぜ、どうして、あんなに私を愛してるって…!」


「男なんかそんなものよぉ。年増はもういらないんだって」


「そんな…!」


「あ、そうだ」


 微笑んだら、彼女は見る目にも憐れなほど震える。


「アンタなんかすぐに死ねばいいって思ってたけど、いい事思いついた」


 それは何だと聞きたいと目は言うけれど、彼女は泣きそうな顔で声が出ないようだった。


「アンタをすぐに元の世界に返してあげる」


 彼女の顔が、ひびが割れるように歪んだ。


 そう。彼女が怖いのはこれだ。


「私ねぇ、長いあいだ旅をしてて元の世界に帰る方法知ってるの。だから、アンタを元の世界に返してあげるわ」


「いや…! いやぁ! それだけは……!」


「元の世界に帰ったら、えーと、もう五十代だったかしらぁ?」


 彼女がこちらに落されたのは、確か三十年前のこと。

 本当に年をとっていたら、彼女は五十四になっている。


「今から仕事を探すのは大変ねぇ。ご家族は生きてるかしら? その年でホームレス? 生活保護ぐらい受けられるといいわねぇ」


「いや、やめて! 謝るからぁっ!」


「嫌」


 胸倉から手を外すと、彼女は足から力が抜けたようにその場に座り込んでしまった。


 もしも、彼女が三十年後の日本に帰るなら、そこは別世界だろう。

 まるでうらしま太郎にでもなったかのような。


「私が泣いたって許してくれなかったでしょう?」


 茫然と私を見上げる彼女は、自分が泣いていることすら気付いていない。

 

 彼女が一番恐れたことは、老いだ。


 なんて、憐れなんだろう。


「向こうで余生を楽しんでね」


 私は踵を返して、部屋を出た。



 ああ、酒が飲みたい。


 部屋を出たら、廊下で男共が静かに待っていた。


 私は、目についた金髪の胸倉を掴んだ。

 とっさのことに反応できなったようで、


 

 パーン!



 金髪の頬は見事に弾き飛ばされて、態勢を崩したお坊ちゃんは床に倒れた。


「おい……!」


 ついでにやってきた赤髪の胸倉も掴む。



「アンタ達なんか、早く死ねばいい……!」



 顔なんか見なかった。私は、酸欠で倒れるんじゃないかと言うほど叫んだ。



「何も出来なくて、何も成せなくて、絶望して死ねばいいのよ!」



 私は、



「私は、アンタ達を絶対に許さない!」



 悪魔は嫌いだ。


 勝手なことばっかり言う俊藍も気に入らない。


 最近はまともになったけど疑ってばかりの社長の性根も嫌いだ。


 でも、こいつらは、私を、彼女を何だと思っているんだろう。


 迷い人は人じゃない?

 上等だ。


 お前らも人じゃない。



「たとえ、アンタ達が死んだって、私はアンタ達を許さない!」



 力の限り叫んで、酸素を求めてあえいだら、後ろから引き剝がされた。

 思わず見上げたら、赤髪の男はまるで泣きそうな顔をしていた。

 

 ネロ。


 ネロ、アンタはどうしてこんな男を好きだったの。


 好きになったから、もうどうしようもなかったの。


 アンタは大馬鹿だ。


 そして、私も。


 あの女にしたのは、ただの意趣返しだ。

 戻ったら、彼女はそのまま、また人生を繰り返す。


 誰かが死ぬなんて、もうたくさん。


 後ろから冷たい手に抱き締められて、私は大声を上げた。



「アンタのことも、許さない!」



「知っています」


 首元で優しい声が聞こえる。ああ、やっぱり悪魔だ。


 神様も、誰も助けてはくれない。

 私の手を取るのはいつも悪魔で。



「―――彼女の送還には、私から人を遣りましょう」


 頭の中に熱湯を流し込まれたような混乱の中で、静かな声が聞こえる。


「お前は……」


 震えるような、怯えたような、誰かの声がする。


「私の妻の希望です。―――ですが」


 冴えた冷気が私の背中で膨れ上がって、私ごと包んでしまった。


「次はありませんよ。たとえ妻自身が望んだとしても、あなたがたと会うのはこれで最後です」


 冷たい冷たい声が氷みたいに優しく言う。


「あなたがたを、八つ裂きにしていれば良かった」




 

 気がついたら、私は知らないベッドの上に寝かされていた。

 顔は、べたべたしてない。

 どうやら、私はいつの間にか化粧を落とされて、着替えさせられたらしい。手で触ったのは、いつものおばちゃんチャリムだ。


 頭が何だかぼんやりしている気がする。

 最悪な、とても最悪な夢を見ていた気がする。


「―――葉子」


 しまった。訂正。今も最悪だった。


 むせるような煙草の煙でこの部屋はいっぱいだ。

 思わず咳きこんだら、犯人がのんびりと私を見つめて煙草を吹かしていた。

 いつものチャリムで赤銅色の悪魔は、人が苦しいのに平気な顔をしている。


 本当に、なんて奴だ!


 私は咳こみながら、枕を投げてやった。

 でも、あいつは簡単に枕を受け止めてしまう。


「私は、あなたにも怒っているのですよ」


「はぁ? 従僕扱いしたのがそんなに気に入らなかったの!」


「そうじゃありませんよ。女王さま」


 誰か鞭を貸してくれ。こいつにはしつけが必要だ。


「せっかく止めたのに、あなたが私の言うことを聞かないから」


「いつ、どこで、そんなセリフを吐いたんだ!」


「やめてほしいと言ったでしょう」


「アンタからのあんなセリフは聞き飽きた!」


 仕方ないからアンタを連れて来たでしょーが!


「私は、自分で決めてここに来たの!」


 後悔がないと言ったら嘘になる。でも、


「言っておかないといけないと思ったの」


 私の言葉なんか、あの人たちの心に響くとも思えない。

 でも、私のために言っておかないといけないと思った。


 私の心のために。


 私は、今まであの人たちに憎しみばかりを溜めこんでいた。

 でも、いつも庇うみたいにネロの記憶が邪魔をしていた。

 だから、私は私の何かを取り戻すために、会っておこうと思ったのだ。

 このボロボロになった心を、どうにか生きようとさせるために。

 

 結果は、この通りだったけれど。


「―――私は、勝った?」


 何に、と目の前の悪魔は聞かなかった。

 けれど、呆れたように溜息をついて、それでも苦笑する。



「ええ。あなたの大勝です」


 そう言ってくれたから、私はあいつのパイプを取り上げて火を消すぐらいで、勘弁しておいた。





 あとから戻ってきた伯爵は、私たちが発つまで私を連れていったことを悔やんでいるようだった。伯爵は断っていいと言っていたのに、ほとんど無理矢理、私がついていったのに。

 だから、コレクションのお酒を二本ほど譲ってもらうことで手を打つことにした。


 高いんだぞー。伯爵の酒コレクション。


 にんまり笑った私を、ガリアさんが仕方のない子供を見るみたいに笑っていたのは知っている。


「じゃあ、みなさんによろしくお伝えください」


 伯爵のアパートから直接東国の領地へと帰ることにした私たちを、伯爵とガリアさん、サルミナはアパートにしては広い庭で見送ってくれた。


 冬なのにぽかぽかした陽気はとても気持ちがいい。あーここに居たいなぁ。あの雪国寒いんだもん。


「では、ここで春を迎えてはいかがでしょう?」


 ガリアさんはいつまでもここに居ればいいって言ってくれて、手作りのおいしいキッシュをホールごと持たせてくれた。きっとミセスが喜ぶだろう。お茶を入れてもらって一緒に食べよう。そう思ったら現金なもので、私はあっさり帰りますねと言ってしまった。惜しい。


「元気でね。サルミナ」


「はい。ヨウコさまも、ほどほどに」


 どういう意味だ青年。


「―――いつでも帰っておいで。君の家はここにもある」


 杖でトンと庭をついた伯爵は、いつかみたいに微笑んでくれた。


 はい、と応えた私の声が、震えたことにどうか気付かないでほしい。


 私はすでに魔法陣の中に立っている悪魔に向かって飛びこんだ。



「また来ます」



 西国も、あまり良い思い出は無い。

 でも。


 いつでも帰っておいで。


 そう言ってくれる場所がある。

 そのことに、やっぱり救われるから。 



 大丈夫。



 私は、ここで生きていける。




 この世界で。



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