ドールハウスと動物園
カピタは基本的に貴族が住む都市だ。
厳格に身分が定められている西国では、少ない資源を公平に分割するという名目で各地に領主という貴族が配されて、土地を支配している。
その彼らの親類たちは王を助ける政務のためにカピタに集まる。
だからというか、何というか、カピタでは夜ごとに夜会っていう腹の探り合いが常習化しているようで、今夜も小規模だけど国の重役どもが集まって夜会が開かれていた。一国の王とはいえ、山千海千の領主たちを束ねるのは容易ではない。だから、この夜会にも王様は出席することになっていた。
「おひとりですか。スィニョーレ」
光度の低いランプに囲まれた会場に集まる人々は、確かに一筋縄ではいかない雰囲気を醸し出している。談笑がうすら寒い。
目の前で私に手を差し出している男前もそういう顔をしている。
ランプの明かりから少し遠い、この長椅子に腰かけている私に目敏く声をかけてきたのだ。目端が効くんだろう。
「申し訳ございません。わたくし、人を待っておりますのよ」
「それはいけない」
伊達男は私の隣に図々しく座った。失礼にはならないがうっとうしい距離だ。
「信じられないな。こんな場所に、あなたのような美しい人を一人待たせるなんて」
待ち人が来る間お話でも、という男の顔を、以前の私なら殴っていたかもしれない。つらつらと面白味のない美辞麗句を並べているが、要はこの国では珍しい女とお近づきになりたいらしい。ここで化粧を取ったら、この男がどういう顔をするのか見物だ。
そんなことを扇子で口元を隠しながら考えていたら、私の後ろにすっと黒い影が現れる。
「―――奥様。おいでになったようです」
そのまま影にでも沈むような真っ黒なフロックコートに長い黒髪の男だ。腰まである髪を、今日は首の後ろで黒いリボンで一つに結っている。丸い眼鏡の奥の紅い目は、――あ、今ものすごい不機嫌だ。
「あら、そう。――申し訳ございません。失礼させていただきます」
扇子を畳んで立ち上がると、何だか伊達男が呆けたバカ面でこちらを見上げてきた。
「あ、あの!」
「何か?」
「……良ければお名前を!」
「東国の田舎者ですわ。不作法をお許し下さいませね」
「とんでもない! ですからどうかせめて家名だけでも」
名を名乗れってか。てめぇから名乗りやがれこのロメオ。
でも、ここで名乗っていいって言われた名前を一つ思い出してにっこり笑ってやる。
「辺境領伯爵、メフィステニスはご存知でしょうか」
わたくしはその縁者の者です、と言ってやるとロメオの顔が音を立てて青ざめた。
伯爵、何やったんですか。
ロボットみたいにかくかくになったロメオに見送られて、私は黒髪の従僕を連れて会場へと踏み出した。
「――まったく、あなたのお人好しには呆れます」
後ろで控える従僕が、小声で溜息をついてきた。
「あんな輩に微笑んで言葉をくれてやる必要が?」
「伯爵の顔に傷がついたら大変でしょ」
「私の心に傷がつきました。――あの男の、あなたと話した記憶だけ削り取ってきてもいいですか?」
傷心の人の言葉とは思えない。
「馬鹿なこと言ってないで、待ち人のところに案内してよ。雪」
後ろを少しだけ振り仰いだら、さっきのロメオよりも何倍も狸な顔をした悪魔が胡散臭く微笑んだ。
「かしこまりました。女王さま」
そう。あいつです。
西国でも暗躍していたあいつは、貴族たちの間でも顔を知られているらしい。秘密裏にではあったが、会合を持ったことは一度や二度じゃない。だから、今夜は私の付き人として変装してこんな真っ黒なお仕着せを着せてやることになった。
本当は、伯爵と行くからついてこなくていいのに、ついて行くと言い張ったから仕方なく連れてきた。乗りかかった船というやつだ。
「それやめて」
「どのことでしょう。女王さま」
「それ。女王さまって何」
鞭を振りまわしながらあのハイテンションは私には無理だ。他を当たれ。
「今のあなたを見れば、誰もがそう思っていることでしょう?」
そう言ってあいつが辺りを見回すから、人を探すフリをして私も倣う。
談笑を楽しんでいる人が多いけれど、何だかその人たちに見られている風に見えなくもない。自意識過剰ってやつじゃないのか。
「チャリムが珍しいんでしょ」
それかこの厚塗りメイクが。
今夜はガリアさんとの合作だぞ。とくと見よ! の気分ではあります。
「そう思っていればいいですよ」
私は安心です、と悪魔は肩を竦めた。何なんだ。
私を小馬鹿にしながら、悪魔は私をエスコートするのは忘れてはいなかったようで、ひときわ人だかりの出来ている一群へと私を招いた。
歩きながら横目で伯爵の姿も確認する。古馴染みのおじさんと楽しそうに話しているから、そっとしておいてあげよう。
それに、これは私が売られたケンカだ。
背筋を伸ばして、堂々と歩く。
確かに女王様の気分じゃなけりゃ、このチャリムは着られないか。
足首まで裾のあるこの黒いチャリムにはスリット以外に露出は無い。手首まで隠した袖は細くて、上半身の生地は体にぴったりとしていて体の稜線がはっきりと見える。だから、私が着ると細い針金のようだと思ったんだけど、ガリアさんには「お似合いです」と太鼓判を押されたからまぁいいんだろう。ズボンを履くわけにもいかないから紐パンで素足に華奢なピンヒール。
髪も黒いから少し長くなっていたから結いあげて真珠みたいな飾りのついたかんざしでまとめた。
顔には厚塗り特殊メイクで、口紅だけが赤。
どうだ! どこから見ても悪女スタイル!
ガリアさんとの力作です。
階下に降りて、礼装でばっちり決めた伯爵が私を初めて見た時には、片眼鏡を落としそうになっていたから結構いい出来だと自負しています。
魔天楼の城の端にある夜会の会場へ向かう途中、伯爵は私の自由にしていいと言ってくれたから、好きにする。
「――お久しぶりです。陛下」
話題の隙間を狙って、血みたいな赤髪の脇に立つ。
すると、赤髪じゃなくて正面のおじさんが目を丸くした。
見憶えのあるおじさんだ。
恰幅のいいこの優しそうな人は、ネロがおじさまと呼んだ公爵だ。戦争に入れ込んでいった王様を、最後までいさめた人。
そして、ネロが騙されてナイフを向けた人。
私には初対面だったけれど、ネロの記憶は私に彼への親愛を教えてくれる。
だから、おじさんには微笑むだけに留めておいた。
私では、久しぶりとも初めましてとも言えないからだ。
ようやくこちらを見た黄土色の双眸はみるみるうちに丸くなった。
「―――誰だ、お前は」
言うに事欠くとはこのことですね。
「人を呼びつけておいて何様ですかこの野郎」
あ、しまった。本音と建前が入れ替わってしまった。
あーあー、王様すごい顔だよ。ホントにいいお育ちだな。
でも、品のいいフロックコート姿にネロの記憶が揺れるから、私の憎悪は複雑になる。懐かしくもあり、憎いとも思う。
だから嫌だったんだ。
私は気持ちの混乱に疲れて、溜息ついでに微笑むのを止めた。
「それで、何の用ですか」
「……あなたは、ヨウコ…?」
ほとんど目の前にいるのが夢か幻かみたいな顔をしているのは、きらきらしいブロンドの美人だ。自分の魅力を最大に引き出すよう選んだみたいなフロックコートが嫌味だ。
こいつは、確か王様の弟だったっけ。
ネロにもちょっかいかけてたな。奇麗な顔の奴はロクなのがいない。
「どうも。お久しぶりです」
笑いもしないで言ってやったら、傷ついた顔をされた。テメェ。
私は面倒臭くなって扇子を端を肩で担いで、驚いた顔のまま繕いもしない馬鹿面兄弟を見渡した。
「その節はどうも。伯爵に頼んで私に会いたいとおっしゃったらしいですけれど、どういったご用向きで?」
とっとと帰りたいんですが、と付け足したらようやく壊れたおもちゃみたいに動きだした。殴ればもっとスムーズに動けるようになるんじゃないのか。
「―――ヨウコ、なのか?」
「はい」
難しい顔をした王様が、私の応えに少しだけ微笑んだ。まるで眩しいものでも見るみたいな顔で、目を細めるからこの明るくも暗くもない会場がどうにかなったのかと思った。
「元気そうだな」
「おかげさまで」
奥で話そう、と王様が言いかけて、私は取り残されたみたいな顔をしたおじさんに呼び止められた。
「君は、ネロじゃないのか…?」
私はおじさんに向きなおった。
ネロは、もういない。
彼の知っているあの愛くるしい馬鹿な娘はもうどこにも。
でも、
「彼女は元気ですよ」
おじさんは私の顔をじっと見て、「そうか」としわの多い顔で微笑んだ。
「―――ありがとう」
「何がですか」
会場を王様に連れられて歩いていたら、そんなことを言いだしたので怪訝な顔を隠せもしなかった。
「覚えていないかもしれないが、彼は、叔父はネロのことを心配していたんだ」
刺されそうになったっていうのに、あのおじさんはネロのことも最後まで心配していたらしい。彼女の記憶は牢屋に入ったまでだから、私の中の彼女がほっと息をついたようだった。
彼女は、私と違って運のいい娘だったから、いい人にも囲まれていた。
「……今のあなたを見ても、あなたがあのネロだとは分からないでしょう」
そう付け足してきたのは王様の隣を歩いている金髪美人。
あんたのお陰で美人がみんな頭が軽いと思われるじゃないか。
「口を慎め、イーエロ。―――彼女は今、あのトーレアリング宰相の細君だぞ」
王様にたしなめられたら、美人は余計に顔をしかめた。
「―――あの男をここへ連れて来なかったことには、感謝いたします」
居るけど。
あんたのそばでばっちり控えてるよ。
悪魔の方は私の視線に気づいたけれど、従僕に徹するつもりか大人しく口をつぐんでいる。
アンタ、ほんとに悪いことしかしてないんだな。
美人が台無しになるぐらいの凄い顔してるよ。
「すまない。イーエロは、ご夫君に少々煮え湯を飲まされたから」
「どんなことがあったのかは聞かないでおきます」
世の中知らないでいた方がいいことがごまんとあるぐらい、私でも分かるつもりだ。
「……不思議な女だな」
会場の端、ほとんど外れにやってきて緞帳の裏に隠れて用意されているいくつかのソファとテーブルを勧めて、王様は私を見ながらそんなことを呟いた。
「自分に関わることは、全部知りたくはないのか?」
「そこまで欲張りでも暇人でもないので」
気になることは今日の晩酌と明日のおやつぐらいだ。あとはそれを楽しむための平和な日々がやってくるか。
「どうせ、耳を塞ぎたくなるような悪いことばかりなんでしょう? 私に関係のないことで恨まれるのも胸くそ悪いですし、旦那になったからといってそいつの罪まで被るなんて御免こうむります」
「……前よりも、もっと口が悪くなったな…」
「ありがとうございます」
ソファで足を組んでにっこり笑って言ってやったら、何故か王様と美人の顔が赤らんだ。何だ、お前ら女王様好きか。そういえば、あの女も女王様タイプだったっけ。ほとんど生まれた時からいる近くに居た侍女があれだったんだから、三つ子の魂百までとはよくいったものだ。
「それで? こんなくだらない話をするためにわざわざ私をお呼びになったんですか」
呼び出すなら酒の一つも用意しておけ。
目の前のテーブルには何もない。
私の不機嫌な理由がわかったらしい後ろに控える一夜限りの従僕は、鼻でふっと笑ったけれど、目の前の二人にはまるで分からないといった顔だ。
「王の呼び出しをくだらないとは……」
「くだらないことで呼び出されるほど、あなたがたと仲良くしましたっけ?」
目の前の面倒臭い兄弟の横っ面を思いきりぶっ叩けるとかいう余興でもないなら、私はおいとまさせていただこうか。
「相変わらず、無礼な女だ」
言葉とは裏腹に苦笑した王様だったけれど、それをふっと消して静かに口を開いた。
「今日お前を呼び出したのは、お前に裁いてほしい人間がいるからだ」
は? 人をさばく?
「人肉食べる趣味はありませんが」
ベンデルさんじゃあるまいに。
「―――俺も、そういう人間だったとは思っていない」
溜息をついてから、改めて彼が語ったのはやっぱり嫌な話だった。
「つい先日、戦後の事後処理がほぼ終わった。戦時下に乗じた反乱を企てた者の中にお前の知る者がいる。―――彼女の処遇を、お前に決めてほしい」
今から帰っていいかな。
私のそばで影みたいに控えている人を少し見上げたら、紅い目はこれ以上なく不機嫌だった。これはいけない。洒落でも冗談でもなく、この会場を燃やすとか言いだしそうな目だ。
仕方ないな。
「私に裁判官の真似事ができるとは思えませんけれど?」
「そういう裁きは、期待していない」
むしろ、私にその女を殺せというようだ。
私であれば、その女を殺しても何とも思わないような。
「それって、あなたがたに出来ないことを私にしてほしいって言っているようですけれど?」
「……そうとってもらって、構わない」
伯爵には悪いけれど、この国滅べと本気で思ってしまった。ああ、最悪。
「馬鹿馬鹿しい」
甘ったれるな。
「あんたの肩に、いったい何人の命が乗っかってると思ってるんですか? 命の数も数えられないなら、テメェの命一つだけ持ってどこへなりと行けばいいのよ。木偶の坊」
「貴様……!」
金髪美人が立ち上がろうとしたから、私は思わず自分の前にあったテーブルを高いヒールで蹴ってしまった。
ガン!
小気味いい音を立てて、テーブルは王様たちにぶち当たる。
立ち上がりかけた美人は、バランスを崩してテーブルに倒れこんでしまった。顔から。
あー…。
ごめんごめん。涙目で睨まないでよ。
それにしても美人が無様に倒れこむって、本当に無様に見えるのね。ごめんね。
どう言って繕ったらいいのか分からなくて、私は観念して、
「あー、うん。ごめん。一応、その女とやらに会うから」
交換条件を出して、とりあえず取り繕ったのだった。
いくら悪女スタイルでも中身は小市民ですから。
渋い顔して「こっちだ」と案内されたのは、いつか私が入れられていた寒い牢屋、ではなく塔だった。城の離れにあるその塔は、管理はされているものの夜だからなのか人気はない。
城からも中庭からも離れていて、忘れ去られたみたいなその塔は、魔術で守られているとかで王様の許可がなければ入ることも出ることもできないんだそうで。
王様と美人は従僕姿の悪魔を連れていくことを渋ったけれど黙殺した。
面倒事になったらどうにかしてくれる人間が必要な気がしたからだ。
実際、面倒なことになった。
案の定、後ろからついてくる悪魔が静かに怒っている気配がする。
どうどう。アンタが怒ってどうする。
私は連れられていく間中、どうでもよくって今夜の晩酌のことしか考えておりませんでしたよ。だって伯爵がとっておきの蒸留酒出してくれるっていうんだよ。楽しみで仕方ない。
塔についたら王様が懐から取り出した鍵で塔の重そうな戸を開ける。
戸のすぐそばにはもう階段だ。
チャリムの下に興味を持たれても気分が悪いから、男共に先に登らせる。
三階分ぐらい登って、ようやく塔の住居部分に辿りついたら、人がまだ起きているらしい明かりが廊下の先の部屋から見えた。
鉄格子のはまったその部屋。
悪い予感しかしない。
けれど、夜気ですっかり冷えた体を前へと進めた。
王様が扉を開く。
そうしたら、また鉄格子。
その奥で椅子に座って刺繍をしている女が居た。
私のアパートみたいな四畳半ほどの部屋は石畳だけど風は入らないから寒くない。でも窓が一つしかないその部屋は、まるでドールハウスのようだった。
……少し良い表現をした。
まるで、自分のアパートを動物園にでも持ってこられたような気分の悪さだったから。
そして、その中の女も、私と同じ女だったから。
彼女は私に気が付くと、まるで幽霊でも見たような顔になった。
「……どうして」
刺していた刺繍を取り落としたことにも気がつかないのか、彼女は椅子から立ち上がって鉄格子越しに近付いてきた。
「どうして、生きているの!」
金切り声が檻いっぱいに広がって、私は思わず顔をしかめた。
なんて奴らだ。
私は、兄弟の胸倉を掴んで部屋のドアへと押しやった。
殴るのは、我慢した。
「―――お望み通り、アンタ達の代わりにあの女を痛めつけてやる」