ノートと犯罪者
ずっと。
ずっと不思議だったことがある。
どうしてあいつは、私の旅のことを逐一知っているのか。
それは、あいつが私を監視していたからだと思うけれど、でも、それはどうしてだったんだろう。
あいつにとって、いったい私は、何者だったんだろう。
屋敷中を、気がついたら走り回っていた。
どこかに居ると分かっていても、メイドさんも執事さんもみんな見てないって言うんだよ。
どこ行った!
そして探し回った挙句、見つけたのは、
「どうしてこんな所にいるの!」
私の薬草蔵だった。
自分の頭と同じ色の夕焼けに包まれるみたいに、私の薬草蔵にある作業机に遠慮なしに腰かけて、私が書きためていた薬草の数なんかを記録しているノートを勝手に読んでいた。
怒鳴りこんできた私を少しだけ見たけれど、結局あいつはノートに視線を落とす。
あああ腹立つ!
そうだ、こいつのせいでおやつも食べ損ねたんだ! あのタルト、まだ残ってるのかな。
腹立ちまぎれに薬草蔵を出ていこうとすると、
「―――私を探してでもいたのですか?」
腹の立つことを言われた。
思わず振り返ったら、奴はノートから顔も上げていない。勝手にやってろ!
「聞きたいことでもあったのではないですか?」
確かに、あった。でも、
「もういいです」
もう知るか!
もう構うもんか!
セイラさん、やっぱりこいつと話すことなんか無かったですよ!
腹が立つ。
どかどかと出ていこうとしていたのに、
「―――放してくださいよ」
こうやって腕を無遠慮に掴むから始末におえない。
大きな手に自分の手が包まれる感触に、何故だか泣きたくなった。……いや、これは冷や汗だ!
私は冷や汗をこらえて、顔をそむけてうつむいた。
顔が熱い。きっと真っ赤になっている。
これを見られるのが私はきっと嫌なんだ。
きっとそのせい。
この、心臓がバカみたいに踊る音も。
「葉子」
耳に馴染んだ声で呼ばれて、肩が震えた。
さぁ、と招かれるように手を取られて、顔を上げられなくなる。
こいつ、私が何か訊くまで放さないつもりだ。
なんて意地が悪いんだ。
でも、そのつもりなら、
「……どうして、私をずっと見張っていたの?」
顔を上げずに言ってやった。
「伯爵から聞きました。私の、手の中に追跡するための魔術を埋め込んでたって。それでずっと監視していたんでしょう?」
それは、
「私を殺すため?」
だとしたら、さっさと殺していれば良かったんだ。
こんなに、
「それとも、私が物珍しかった?」
こんなにも、私は傷つかずに済んだのに。
「―――そうだと言ったら?」
いつかと同じ答えだ。
初めて会った時と、同じ。
きっとあいつは笑っていない。
「そうだと言えば、あなたは私の隣に居てくれるのですか?」
手を放されて、顔を上げた。
小さな窓から入ってくる夕焼けを背に、赤銅色の髪の人が私の頬に手を伸ばしてくる。
「―――探しましたよ」
冷たい長い指が頬に触れて、ゆっくりと撫でる。
「伯爵の部下たちに、あなたとの魔術の糸を切られてしまいましてね」
夕焼けが溜息をつくように、長い指の人はささやく。
本当に気でも触れてしまったのかと思うほど、両手で優しく頬を包まれた。
見上げたあいつは、まるで宝物でも見つけたような顔で、微笑んでいた。
「―――実物が、こんなにもお転婆だとは知りませんでしたからね」
……悪うございましたね!!!
今度こそ私は冷たい手を振り払ってやった。
パン! と小気味い音がしたというのに、あいつはちょっと驚いたような顔をしただけだった。
頼むから、誰かこいつの鼻っぱしらをへし折ってくれ!
「あんただったんですね! 私のストーカーって!」
「ストーカー?」
「一方的に追いかけまわす変態のことですよ!」
言い切ってやったのに「ああ」ってうなずくか普通。おまわりさーん! 異世界でも迷惑防止条例って有効ですか。
「南国から出る時、あの国境で助けてさしあげたでしょう?」
ほら、刺客に追いかけまわされていた、と言われて思い出す。
「あれって、あの変態魔術師じゃなかったんですか!」
あれだ、黒装束たちに南国と東国の国境でサリーと逃げ回ってたら青い光が颯爽と!
「アルティの鬼火を私が借りていましてね。事後承諾で」
それは無断借用っていうんだよ! この犯罪者!
「うわーお母さんお父さんごめんなさい! こんな犯罪者と一度でも結婚したと思いこんでて!」
「結婚証明書は本物ですよ。役所に提出して戸籍を作っていないだけで」
「破って棄てて!」
「さて、どこにしまいこみましたか」
「あんたの書斎をひっくり返してやるからな!」
ああ、どうしてこの人の元に帰ってきたんだ。馬鹿だろ私。
伯爵の養女になるのも大変そうだけど、こっちの方が気候も暖かいし過ごしやすいじゃないか。
「―――では、私の所に戻ってきてくださるということですね」
「何をしれっと…」
決めつけているんだ。
あんたなんか嫌いだ。
「はい」
知っていますよ、と私の頭を撫でる、この人が嫌いだ。
だから、どうして。
どうしてそんなに嬉しそうな顔をするの。
何も言えなくなった私を満足げに撫でるこの手から、離れたくないと思ってしまう。
一度、この人は私との約束を破ろうとした。
いや、破った。
それなのに。
私は大きな手を払ってきびすを返す。
「葉子」
不思議そうな声が気に入らない。
「―――もういい」
裏切りは、もうたくさんだ。
私は振り返らずに、薬草蔵を飛び出した。