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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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スパイスとタックル

 決めたらすぐに発つことにした。


 荷物なんか、今度は何もない。

 私はミセスが用意してくれた綿入れだけを着た。


 

 玄関まで見送りに来たミセスは複雑そうな顔だったけれど「お元気で」とだけ返してくれた。


 あいつは来てない。


 短いようで、長い奥様生活だった。


 口を開けば悪態ばかりで、気に入らないことばかりだった。

 使用人なんて人とは相性が悪いし、つまらないことばっかりで。



 あ、そうだ。



「ミセス。私が屋敷に残してきたコーヒー、飲んでみてください」


「飲む……?」


 ミセスの怪訝そうな顔を見て思い至る。そっか、あれを飲む方法なんて教えてない。


「あれを火で煎って粉に挽いて、紙か布でお湯でこして飲むんです」


 さらにミセスの困り顔。うーん、想像がつかないのか。


「伯爵、紙とペン持ってないですか?」


「……これでいいかね?」


 懐からさっと万年筆と手帳を差し出してくれる。さすが紳士。


 私は玄関先でミセスと顔を突き合わせながら、コーヒーの飲み方を図解してみせる。


「こういう感じで」


「挽く粉の具合でも、味が変わるのですね?」


「そうそう」


 飲み方もいっぱいある。私はコーヒーが嫌いだったから、よくコーヒー牛乳にして飲んで弟に嫌がられた。あいつはブラック派だったから。そのくせ酒は嫌いで甘い物好きだった。


「そうだ。私が採り溜めてたスパイス入れても美味しいかもしれません」


 やったことはないけど、甘くすれば美味しいかもしれない。それはお茶にも言える。


 えーとなんだっけ、あー、そう、チャイだ。ミルクをたっぷり入れて飲むお茶。こっちのお茶は茶葉オンリーだから、こういう飲み方は珍しいかもしれない。ミセスは興味津津で聞いてくれていた。


「ゲミュゼさんと一緒に作ってた薬草のところに料理に使う薬草があるんで、それを入れてみてくださいよ。それから、解体していた燻製なんですけど、あれ焼いて美味しいの腹身だと思うんですよね。それから、」


 言いたいことはたくさんある。


 私だって鰹節の完成品を食べたかった。美味しいんだぞ鰹節は。コーヒーだってまだまだ試してみたい。あの森だってまだ半分も歩き回ってないし、ゲミュゼさんの畑借りて育ててた薬草が春にいい刈り時になる。野菜だって美味しくなってるはずだ。フェンに今度屋敷の外に内緒で連れて行ってもらうって約束したし、年の功なのかあの吸血鬼が持ってくるお酒は何気にうまいんだ。箱入り社長をせめて城から連れ出す計画をクリスさんと立てたいし、有害銀髪にまだまだ嫌がらせに世間話をしに行きたい。あの女ボスはまだお城にいるんだろうか。あの人と話すの別に嫌いじゃなかったから、また話せるなら話したい。お姉さまは好きだ。それから、それから。



 タッと階段を駆け下りてくる足音が聞こえた。


 顔を上げたら、赤銅色の悪魔が息を切らせていた。

 弾む息を整えて、何か言いかけて、彼は結局止めて口を閉じる。



 今更、一人で王都に戻るなんてまっぴらだ。

 面倒事ばっかりで、ちっとも私は楽しくない。


 楽しくない、はずだ。



 言いたいことはたくさんある。



 どうして結婚してないの、とか。


 どうしてそれを伯爵に話させるの、とか。


 

―――どうして、私との約束を、破るの。



 私をこの世界に留めておいて、自分の勝手で手を放すなんて、身勝手にもほどがある。

 こっちは、あんたのせいで散々な目に遭ってきたのに。



 私は階段の端から動こうとしない非常識な男を睨みつけた。


 

―――そして、馬鹿馬鹿しくなった。



 ええ、ええ。あいつが頭は良いくせに馬鹿だってことを忘れていましたとも!



 睨んだ私をどういう目で見ていたと思いますか。


 まるで自分が捨てられるみたいな目で、こっちを見てたんですよ!



 相変わらず、腹の立つ男だ。




 気がついたら私はミセスに手帳を預けて駆け出していた。


 病み上がりだからすぐに息が上がる。




 ああ、私も馬鹿だ。


 どうして、こんな人を残していこうと思ったんだろう。



 こんなにも、淋しがり屋だと知っていたのに。



 床を蹴った。


 あいつの驚いたような顔が滑稽だ。 


 そのまま腕を広げてあいつの首にぶら下がるように、タックルした。



 ぐっと、息を詰まらせるような声を吐きだして、それでも朴念仁は揺るぎもしないで私を抱きとめる。



 約束したんだから、守ってよ。


 


「一緒に行こう」




 私を抱き留めた腕が戸惑うように強張って、辛うじてつま先が床についていた私の体が浮いた。




「―――ええ」




 私の耳元で小さく囁いた声は震えていて、すぐに腕を放したくなった。


 

 本当に、しょうがない人だ。





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