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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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血と裸足

 私は廊下を壁伝いに歩いて、ようやくこの屋敷がひどく古いことに気がついた。

 貼り直されたり、塗り直されたりと補修はされているものの、時々目につく太い梁は年月を感じさせる色をしていたし、絨毯の色はくすんでいる。息を切らせながらも辿り着いた階段の手すりは木目もすっかり磨きあげられていてつるつると滑った。玄関へ降りてみれば、そこは昼間だというのに薄暗く、明かりもつけられていないシャンデリアが高い天井にあるのがうっすらと見えた。いつのまにか絨毯の消えた床は石のタイル張りで、裸足の私の足を冷やす。王都で暮らしていた屋敷より何倍も古くて大きな屋敷だ。温かみの一つもない暗い玄関で、私の吐息は白く濁る。

 人の身長の倍はあろうかという戸をわずかに開けることに成功して、外へ転がり出たら、雪がちらちらと降り出していた。


 痛みさえ伴う冷たさの雪を裸足で踏んで、何だかおかしくなった。


 なんて馬鹿なことをしているんだろう。

 元の世界へ帰れなくなったぐらいで、死のうだなんて。

 もっと辛いことは、たくさんあったはずなのに。


 肺の息すら凍る寒さにかじかんでいるというのに、私は玄関ポーチの階段を降りる。


 目の前は、ただ白いだけの雪原だった。

 木の一つもない。

 真っ白い平原だ。

 


 きっと、このままでいれば、私は死ぬだろう。


 まったく、馬鹿なことだ。


 お気楽な頭に嫌気が差す。


 

 私は裸足のまま、雪原に降りて空を見上げた。

 部屋からは曇り空だけだった空は、雲に隙間があって青空が覗いている。もうしばらくすれば吹雪になると思われたけれど、今はやる気のない雪が静かにぽつぽつと降っているだけだ。



 私は、何も出来なかった。


 結局、私は自分で頑張っていただけで何も出来なかった。 


 

 あーあ。


 つまらない人生だったな。



 運が悪いばっかりで、何にもいいことなんかない。苦しくて、苦しくて、そればっかりで。



 病み上がりに雪の重みが辛くて、私は座りこみそうになった。

 でも、ふと視界の端に何かが見えた。


 それは、雪の中では血にも見えた。


 今にも霞みそうな視界の先で、そいつはぼんやりと雪の上に立っていた。


 夜にでも溶け込むつもりかっていうほど暗い色のチャリムの、三つ編み。

 わずかに吹く風で長い裾がふわりと翻る。

 


 そのまま、どこかへ消えそうだった。



「―――ゆき」




 ああ。



「雪」



 私って。




「雪!」




 なんて、自分勝手なんだ。




 雪をざくざくと踏む。


 慣れない感触に足を取られて、転ぶ。


 顔から雪に突っ伏して、口に入った雪を吐きだす。何これ、痛い!


 生理的に泣きそうになって、それでも腕で体を起こして立った。


 信じられないほど寒い。冷たい。そりゃそうだ。冷蔵庫より寒いんだもんね!


 手も足も、顔も痛い。


 マントのように羽織ったシーツがぶわりと風になびいた。




「雪っ!!」




 叫びながら、雪の中を進む。




 私は、何も出来ない。


 なんてつまらない人生なんだろう。


 いつだって、引くのは貧乏くじ。


 頭だって良くないし、性格なんかもっと悪い。


 美人でもないし、優柔不断で、そのくせ出来がいい奴は目ざわりで仕方ないから容赦なく妬む。

 

 

 きっと、こんな私なんかに誰も振り向いてはくれないんだろう。


 この世界でちょっときらびやかな人たちに会ったのは、魂の半身補正で、興味を持たれたのは異世界から来た補正ってやつだ。


 面倒臭いことに巻き込まれたんだから、ちょっとぐらいおまけつけてくれたって良かったんじゃないのか、神様。

 便利技術の魔術まで使えないんだから、どうしようもないよ。




 それでも。




 それでも、




「雪!」





 赤銅色の髪が揺れる。

 そうして振り返って、いつもすかした白い顔が真っ赤になった。


 大股で私が辿りつく前にこちらにやってきて、




「何をやっている!」



 

 雪原中に響き渡るような怒鳴り声を上げた。


 思わず、殴られるのかと思って目を閉じてしまったぐらいだ。

 歯をくいしばった。


 でも、私は自分の指を彷徨わせた。


 目当ての物に触れて、握る。

 かじかんだ指で引っかかる程度だったけれど、目を開けてみたら望みの場所をきちんと掴んでいた。


 暗い色のチャリムの袖。

 

 

 何も出来ない私。


 そんな私でも、どこかへ消えそうなこの人の袖を引いてやることぐらいは出来る。


 

―――簡単に死ぬことが許されない人だ。



 きっと、私にやったよりももっとひどいことをしてきている。

 誤解も、怨みも、全部見届けてからじゃないと、安らげないんだろう。


 つーか、




「死ぬなら、もっと私のわがまま聞いてから死んで」



 

 こいつも運がないなぁ。


 見上げたら、袖を掴まれた眼鏡の悪魔が呆れた顔でこちらを見下ろしていた。


 私に手を差し出した時から、きっとこいつも私に巻き込まれていたんだろう。

 ご愁傷様だ。



 何も出来なかった私。

 きっとこれからも何も出来ないことが多いんだろう。


 私に出来ることは、この罪深い人の袖を引っ張ることぐらいだ。



 ああ。


 なんて自分勝手な。



 死にたがっている奴なんか放っておけばいい。

 第一、この男のやることなすこと、私は全部気に喰わない

 こいつが死んでせいせいする人間なんかごまんといることだろう。


 それなのに。

 

 自分が死ぬことを厭わないくせに、この悪魔が死ぬことは我慢ならないなんて。


 自分が自分で信じられない。


 信じられないけれど、浮かんだ答えは消えなかった。








―――私、このどうしようもない人が、好きだ。





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