リモコンとカントリー
まず彼女は私が勤めていた会社やバイト先を辞めた。
知り合いが多くちゃ粗が出るからね。
それから、知人や友人にはこれからあまり会えなくなるとも連絡した。まぁ、最近は頻繁に会うような友達もいなかったからいいけど。一方的な通知だったけど、自分の仕事も忙しい彼女たちはあっさり頷いてくれた。
エーデルは努力家だった。
君島家に住むことになったエーデルはそれは頑張ってこちらの世界の常識非常識を学んだ。電化製品なんか東国にないからね。リモコンの扱いから買い物の仕方まで。両親や弟も根気よく付き合った。きっと、エーデルの頑張りを見たせいでもあるんだろう。
ステファンは、彼女の社会的地位を用意するためと、社会勉強的な意味で自分の秘書として彼女を雇い入れることに決めたけれど、エーデルは彼の恩に応えようと必死に勉強した。
……ええ。坊ちゃん顔だなと思っていたら、ステファンて世界規模で展開する財閥の跡取りなんだそうで。何そのハーレクイン設定は。若干二十五歳ながら、すでに自分で会社を経営している社長様だ。おいおいおいおい! 社長の設定とっちゃ駄目だって! あの人それしか取り柄ないんだから。
エーデルはこの世界の勉強の傍ら、次第にこちらの医学についても勉強を始めた。
うわぁ、色々さぼっててホントごめんなさい。何? 異世界渡る人はチートな努力家じゃないとダメなの? 私失格?
半年経つ頃には、エーデルは見目の良さも手伝って、誰もが振り向く素敵なキャリアウーマンへと変貌を遂げた。
「エーデルさん」
君島家の、私の部屋はもう彼女の部屋だ。
その戸の前で待っていた弟が、柔らかく微笑んで一軒家の狭い二階の廊下でエーデルを捕まえる。
「この前言ったこと、俺は本気だから」
真剣な弟の眼差しに、仕事から帰ったばかりの彼女は戸惑ったように黒眼がちな目を揺るがせた。
この女ったらしの弟は、いつのまにかエーデルさんに惚れていた。
まぁそりゃそうだ。半年も儚げな美人にあれやこれやと頼られていたんだ。惚れない方がどうかしている。でもそれは、世間的には、
「―――私は、あなたのお姉さんなのよ」
エーデルは、戸籍謄本上も社会的にも、もう君島葉子だ。
「―――あんたは、俺の姉じゃない」
弟が低い声で言った。
「俺は、あんたを、一度も姉と呼んだことなんかない!」
その理不尽にも当然にも聞こえる叫びを背にエーデルは自分にあてがわれた部屋に逃げ込んだ。
彼女が住み始めて、私の部屋も様変わりした。
私は、何事にも無頓着な性質なのか、自分の部屋を飾ろうなんて心はさらさら無かった。だからあったのは勉強机と小さな本棚、それからパイプベッドぐらいだ。服だってそんなに持ってない。今は家を出ていたから半分物置きみたいになってたはずだ。でもエーデルのセンスは良くて、元の世界での自分の部屋でも使っていたというカントリー調の白いデスクを手始めに、面白味のない本棚はもっと背の高いお洒落な本棚に、日の光を遮るだけだったカーテンは奇麗なレースにといった具合に自分の好みに変えていった。住む人によってこんなに違うものかと感心したものだ。
彼女は、先日買ったラグの上にどさっと倒れこんでうずくまる。
「……どうしてうまくいかないんだろう…」
エーデルは、今、ステファンに恋してる。
これも当然といえば当然だ。
だって、あれだけの男前に優しくされるんだ。こっちも惚れないわけもない。
きっと、ステファンも満更じゃないはずだ。
ステファンは、エーデルを裏切ったりしなかった。
仕事の手順を自ら教え、仕事の時はいつも彼女を自分の傍らに置いた。
考えてみてください。
書類を作れと上司にお願い(命令だけどあくまでお願い口調)されて、受け取る時には「ありがとう」なんて言われてみてください。これが毎日です。いつもです。
とりあえずこの会社に尽くそうって気になる。
なんて男前に育ったんだステファン…! 君が上司なら凡人豚な私だって木に登っただろう。
まぁ、そんなわけで、半年経ったエーデル=君島葉子生活は波乱だったようです。
―――この半年を、私はずっと、誰にも見つけられることなく見続けました。