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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
18/209

狼と湖

 灰色の毛並み。

 突き出た鼻面。

 牙の並んだ大きな口は私の頭ぐらいならひと呑みに出来そうだった。


 どこをどう見ても狼の頭だ。尻尾はどこですか?


 でも、それを否定するように底光りする蒼の双眸が私を映している。


 不思議とそれが理性をたたえているようにも見え、私は深刻な混乱には陥らなかった。

 ただ呆前と、目の前に現われた顔を見るばかりだ。

 首のあたりまで灰色の毛並みに覆われているが、体は人のようだった。


「あの」


 何を訊こうというんだ。

 わからない。

 

 わからないが、沈黙に耐えられずに口を開くと、狼マントは歩く速度を上げた。

 

 ざっざっと木々の隙間を抜けて、マントがようやく立ち止まったのは大きな岩のある小さな空き地だった。

 私を何も言わずに降ろすと、私の肩を抱いたまま自分のマントの留め具を外して頭から私に被せてくる。

 そのまま私をその場に置いて、辺りの小枝や木の葉を集め出したから、ここで焚き火でもやろうと言うのだろうか。


 彼は、今のところ私に危害を加えようとか、怒ろうとかいうわけではなさそうだ。


 こうして見ている限り、手が肉球というわけもなく、意外と裾丈のある彼のチャリムの隙間から尻尾が生えているわけでもない。狼の存在は本当にあの顔だけらしい。ピンと立った耳が時折こちらをうかがっている。


 木の葉を敷いて、小枝を組んで、狼マント(マントは私が被っているが)は腰のベルトに備えている箱から火打ち石らしい石を取り出して、ひときわ乾いた木の葉に向かって打つ。ほとんど一度でついた炎を木の葉の束に放り込んで、ようやく狼お兄さんは私を見据えた。


 ぼんやりとした焚き火の明かりで、彼の顔が浮かび上がる。

 精悍な狼の顔だ。


「―――驚いたか」


 狼がおもむろにその牙の並んだ口を開いた。

 驚かない方がびっくりです。

 

「ええ、まぁ…」


「その割に、落ち着いて見えるな」


 焚き火を囲んで改めて正面に立つと、やっぱりこの人背が高い。しかも隆々ってわけじゃないけど、体格いいから余計に大きく見える。

 普段あまり見下ろされることがないので、改めてその事実を確認すると何だか落ち着かない。

 ほら、城じゃみんなほとんど座って話してたしね。



「俺が、怖いか」



 怖くない人はいないと思うけど。

 その何か威圧的な雰囲気。

 でも、



「怖くありません」



 この世界に来て最初に出会ったからなのか、こんな状況でも幸か不幸か不安を煽られるほどの恐怖を私は彼に対して感じない。

 冴えた蒼の双眸を見つめていると、不思議と落ち着く。


 彼はそんな私を見つめていたかと思うと、ゆっくりと、何かを確認するように私の方へと歩み寄ってきた。

 その静かな動作を私も見つめて、動かないでいた。

 

 ここで逃げれば、この美しい湖面のような蒼い瞳が傷つくような気がした。


 

 動かない私の前まで来ると、黒手袋がそっと私の頬に触れる。

 長い指がゆっくりと目尻をなぞって、鼻筋を辿り、唇をなぞる。

 まるで壊れ物でも扱うような動きで確かめるように私のほつれた髪をゆっくりと撫でる。



 なんか、恥ずかしいんですけれど。



 だってさ、あの、この人背が高いから私、胸元しか見えないしね。

 こう包まれてる感じがいたたまれないというか。

  

 逃げだしたくなるというか。


 いや、待て!

 ここで逃げたら女が廃る! 何かが廃る! わかんないけど!

 ここは一つ場の空気を変えねば!


「あの、今更なんですけど、あなたのお名前は? 申し遅れましたがわたくし、君島葉子と申します!」


 狼お兄さんは私の必死こいた様子に笑ったようだった。


「シュンラン、だ」


 ウィリアムさんみたいな長ったらしい名前は貴族だけなのかな。

 疑問に思ってたら、シュンランは、俊敏の俊に、藍色の藍と書いて俊藍と書くと教えてくれました。私の名前の漢字も尋ねられたので答えたら見事なイントネーションで発音してくれましたよ。

 そういや城の人って私の名前の漢字知らないからカタカナ呼びなのかな。


「葉子」


 いきなり名前ですか。

 それでなくとも、ゆったりと私の髪撫でられている何だか甘い空気に耐えられないんですけれど。

 そわそわしだしたのが分かったのか、狼お兄さん、もとい俊藍お兄さんがくすりと笑った。

 おおおい恥ずかしいからやめれ! マジでやめて!


 私の焦りをよそに俊藍さんの動きはどんどん大胆になってきた。

 私の首筋を撫で、足を絡めるように長靴を履いた長い足を踏み出してくる。

 いやいやいや待てって! 落ち着け!

 

 やっと腰が引けて後ずさりしたら容赦なく追いかけてくる。

 ぎゃー!


 とうとう大岩の元まで追い詰められて、いよいよ逃げられなくなったからそのまましゃがんでやろうと尻もちつくようにしゃがんだら、俊藍さん、覆いかぶさるようにして追いかけてくるじゃないか! いや待てよ! マジで! 


 ほとんど半泣きです。


 目尻からこぼれおちそうになっていた涙を、大きな口が開いて、べろん。


 べろんって。


 うわぁあああああ何か舐められた! 舐めたよこの人! どうせならホントのワンコに舐められたい!


 泣きたいやら叫びたいやらで、もう頭の中はカオス。


 俊藍さんの狼顔出てきたときだってなかった未だかつてないほどのパニック状態の私の腕をつかんで、むき出しの肩をまたべろん。そういや今、私、下着のまま! 服を手に持ってるのとマント被せられててあったかいからうっかり意識がお留守だったよ!

 舐められた箇所がひりひりするのは小さな擦り傷になってたらしい。

 そんな私の頭の理解もよそに、正真正銘の狼は肩に、肘に、腕に、荒縄で傷だらけになった手首をべろべろと舐めていく。


「や、やめ…っ」


 もう止めてと舐められてない方の手で俊藍さんの狼顔を遠ざけようとしたら、その手もべろん。ひーっ!

 俊藍さんは思い切り怯んだ私の両腕を掴んで、今度は首筋に、その鼻先を埋めた。


 べろん。


 うわあああああ近い! 近すぎる!


 首筋を辿って、胸の際ぎりぎりまで。

 私の足元を押さえこむように、下着の隙間の脇腹へ。そのままへその辺りを撫でられまくって、


「いや、駄目…!」


 太ももを撫でられるように舐められて、変な声が出そうになった。

 思わず口を押さえたら、蒼い瞳に伺われたような気がしたけれど、そのまま足を持ち上げられたよ!

 いやいやいや泥だらけですよ! この足!

 引き抜こうとする抵抗も空しく、足首を取られて直にお兄さんの吐息がかかった。

 膝から脛、そして無理やり縄を剥ぎ取って血まみれになった足首にまで俊藍さんがたどり着くと、ことさら丁寧に拭われた。

 いやああああ止めてよ! 何か布とかいただければ! 適当にやりますから!


 う、うううう……全部舐められた…。

 信じられない…。


 もう泣いてますよ。私。

 いい大人なのに。鼻水出てきた。

 あんまりだ。

 もうお嫁にいけない。

 

 涙目で顔を上げた俊藍を睨むと(もう呼び捨てでいい)、ふっと優しく笑いやがりましたよ。

 ちょっと待て! 反省しろや! かよわい乙女が泣いてるんだぞ! 鼻水垂らして!

 つかんでいた私の足を放すと、俊藍は今度はこちらに覆いかぶさってくる。


 え。


 ちょ。


 待って。


 散々私の体辿った長い指で私の顎支えて、大きな口近付けて、べろんって。


 おおおおおおいいいいいい!



 今度こそ盛大に抗議しようと思ったら、ふんわりとした風に包まれた。



 それは一瞬で、瞬きしたら、目の前には、見たことある服を着た、お兄さんが居ました。

 


 漆黒の滑らかな髪は私より長い。優雅だけど日に焼けた顔は精悍で整っている。

 何より見覚えのあるのは、静かな湖面のような蒼い双眸。


 ええと?



 唖然とした私と同じぐらい、目の前のお兄さんも呆前としている。

 年のころは私よりちょっと年上。社長ぐらいかな。


 いや、それより何より、


「……俊藍…?」


 狼の顔はどこにいったんだ。

 もしや別人か?


 でも、目の前のお兄さんは私の呟きに目を細めて微笑んだ。


「葉子、お前は、幸運の女神だな」


 驚きのあまり、耳が幻聴おこしているようです。

 生まれてこのかた、幸運なんて言葉とは無縁でやってきたというのに、人生最悪を更新し続けているわたくしに何の冗談でしょうかふざけるな。


 あれ、でもこの声、俊藍…?


 

 そう思った瞬間、唇がお兄さんに塞がれた。




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