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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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悪魔の失敗 ~三度目~

 物理的な魔術の効かない彼女を体の外側から癒してやることは出来ない。

 だから、手の平に埋め込んだ魔術で精神に干渉してやることはできた。人間の精神は体の構成物質よりもずっと魔術の術式に近く、原始的な、生命力にも近いからだ。

 それは、彼女の精神を傷つけてしまう可能性もある危険な治療でもあったが、ラウヘルに不思議とためらいは無かった。

 彼女の治療は、そっと、額に触れるような感覚だ。

 そうして額を撫でてやり、静かに、彼女には聞こえない言葉を注ぐ。


 大丈夫。


 あなたは助かる。


 安心していい。


 治療というにはあまりにもささやかなことだったが、彼女の潜在的な精神力は徐々に回復していった。意識を取り戻す頃には、辛い記憶のほとんどをラウヘルが持ち去っている。

  




 ようやく彼女が目を覚ます頃には、ラウヘルは肩で息をして床に座り込んだ。


 難しい術だったこともあるが、それ以上に己が緊張していたことを知る。


 荒い息の向こうで、彼女が不思議そうな顔で、尋問にも携わっていた侍女に文句をつけている。



 これから、どうするべきか。


 一つの問題で、これほど面倒だったことはない。

 葉子という娘には問題が多すぎる。

 

 ラウヘルの元へと連れてくるべきだろうか。

 

 だが、彼女をあちらの世界へ帰す手段が未だに見つからない。

 彼女を、殺すという手段以外に。

 それを、どう説明するというのだろう。


 こんなにも迷うことも初めてだった。

 

 結局、ハイラントを介して命じたのは、誘拐という杜撰な計画。

 しかし、それも失敗だったと気付くのはすぐのこと。


 魂の半身の力を見誤っていた。






 結果的に、ヘイキリングの呪いは解かれた。

 しかし、それは魂の半身である葉子・君島の手によってという最悪の形で。


 共に旅を始めた彼らは急速に引かれ合った。

 ヘイキリングを警戒して他の貴族たちによって放たれた刺客も、彼らの絆を深める事態にしかならなかった。

 ハイラントには、既に葉子を殺すよう命じた。彼女は、ラウヘルの計画にとって危険な因子であるからという理由だけ伝えてある。

 それが最善であったし、たとえ失敗したとしてもラウヘルには彼女をいつでも殺せる用意がある。それは、ラウヘルが関わったという痕跡を残す危険な手段でもあったから、最終手段でもあった。だが、細い首に手をかければ、いつも記憶が邪魔をすることにも、ラウヘルが自ら手を下さない理由の一つでもあった。



 しにたくない。


 

 かつて何度も聞いた言葉だ。そして過去に何度もラウヘルはその言葉ごと命を摘み取ってきた。

 けれど、あの娘がこちらに落ちてきてひと月が経とうとしても、彼女を殺すことに迷った。


 だから、ラウヘルはただ黙って彼女の行く末を監視し続けた。

 干渉もせず、その代わり目も離さず。


 そうしているうちに、葉子という娘のこともよく分かってきた。


 彼女は、普通の娘だ。

 二十四という年齢にはそぐわないほど落ち着きがなく、子供だというだけの。

 そんな彼女に、ヘイキリングは今までにない情を注いでいる。

 体の繋がりもないというのに、彼らは確かに繋がっていた。

 それが半身の力なのか、それとも孤独な彼らの恋だったのかは分からない。

 ただ、二人が寄り添っていれば、ラウヘルも何かが許されていくような気がした。

 

 あの娘が迷い人である以上、ヘイキリングにはこれ以上近付いて欲しくはないし、寄り添っていても欲しくない。それでは、彼が王になれない。

 けれど幸せを、運命や他人の思惑が否定して良いのだろうか。


 運命に抗ってでも、幸せになってほしいと思うのは、ラウヘルの傲慢なのだろうか。  


 ラウヘルの計画のために傷ついたヘイキリングと、ラウヘルの失敗のために傷ついたあの娘が、幸せになる姿を願ってはならないのだろうか。


 西国や北国、そして南国へと飛びまわる中で、ラウヘルは一人の時間に彼らの行く末をただひたすら見守った。


 どうか。

 

 どうか、間違わないでくれ。



 だが、無慈悲な魂の半身の力はささやかな願いを聞き入れてはくれない。



 ヘイキリングは、一人で王都へと帰還した。 

 異郷にほど近い東国の端の、ハイラントが待ち受ける魔女の元へと娘を残して。



 彼女の心に、裏切りという真っ黒な穴を穿って。





 信頼を築いていくのは難しい。

 信じるという行為は、時に自分の命さえ奪うからだ。

 人は基本的に己の身を守る為に生きているから、その信頼を裏切るということは、とても簡単だ。

 それは、言葉一つで済むほどに。

 きっと、きっかけはわずかなものだったに違いない。


 あの娘で自身さえ気付かないその穴に気付いたのは、彼女の精神に触れたことのあるラウヘルだったからこそだったのかもしれない。

 次第に広がるその穴は、やがて彼女を一度呑みこんだ。


 救ってやることは出来なかった。

 ラウヘルに出来ることと言えば、寝静まった彼女の精神を撫でてやることぐらいだ。


 ヘイキリングは、優しい気性の持ち主だ。自分に向けられた愛情を倍にして返すような。だから、娘の幸せを考えて、魔女の所へ残していった。

 それが、彼女への裏切りになるとは知らずに。


 最初にあの娘を救ったのは、間違いなくヘイキリングだ。

 子が親を求めるように、彼女はヘイキリングを必要としていた。

 どんなに聞きわけのいいことを口にしようと、彼女は確かにヘイキリングを愛していた。

 それは、彼の優しい言葉にすら傷つくほど。

 だから、その深く穿たれた穴に呑みこまれて、ヘイキリングへの想いが憎しみに変わっていくのを、ラウヘルは見た。―――見てしまった。

 見知らぬ土地に、歓迎されない人の元に一人残されるという不安と、悲しみと。

 自分の信頼を裏切ったヘイキリングに対する恨み。

 

 味方になる。

 彼女はそう自分で決意して、ヘイキリングへの恨みや憎しみを自分の中に閉じ込めた。

 それが、自分の中でどういう歪みになるのかも知らず。


 ハイラントに捕らわれ、炎の呪いをかけられても彼女の心は何も動かなかった。

 もしかしたら、自分が死ぬのではないかという状況になっても、彼女の心は揺るぎもしない。


 ラウヘルの兄は、彼女の心の暗闇に気付いていたかもしれない。


 家を離れ、騎士となってラウヘルと関わるはずもなかった彼が、再び計画の真っただ中に現われた時には運命を呪ったが、この時ばかりは兄がいることに感謝した。

 兄は、彼女に事あるごとに様々な知識をあてがって、ともすれば暗闇に囚われていく彼女の心を平静に保たせた。それは東の魔女も同じだった。彼女の興味を、自分の心から、外へと向けさせたのだ。

 

 戦乙女ばかりの屋敷の中で、穏やかな時間が過ぎればいいと思った。

 

 死ぬまでの間の、わずかな時でも。



 アルティフィシアルが、迷い人の死後説をいよいよ仮説から立証できると言いだしたのだ。


 ならば、とラウヘルは傍観を決めた。

 無いよりはいいというほどの確率だが、こちらで死ぬことであの娘が帰ることが出来るのならいいと思ったのだ。

 何より、彼女があの屋敷で穏やかに過ごした思い出を持ったままであるならそれでいい。

 

 あの戦場から、彼女が生きて出られるとは思えなかった。 



 やがて、戦乙女たちとの別れがやって来た。


 辛い記憶はラウヘルが全て引き受ける。

 何もかも忘れて元の世界へ帰るといい。

 

 そう、思っていた。


 けれど。


 戦場へ引き返そうとする彼女との魔術の糸が何者かによって断ち切られた。



 しまった。


 これは、あの、西国の怪物伯爵の。



 思い当たったときには、すでにラウヘルの手から彼女は離れていた。



―――これが、三度目の失敗。




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