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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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コップと水

 竜車を改めて降りてみたら、車止めには今日のパーティのためか人が多かった。あちこちのお屋敷から来たんだろう人たちが何だかこっちを見てひそひそやってから、移動魔術の方陣に乗ってどこかに飛んで行く。何だか、うちのお屋敷と同じ状況なんですが。

 微妙な顔で見知らぬ貴族さま方を見送っていたら、ふいに声をかけられる。


「ヨウコさま?」


 わお!


 駆け寄ろうとしたら、傍らで私の手を掴んだままの悪魔に手を引っ張られた。何すんの。 


「転んで怪我でもしたいのですか?」


「そんなドジっ子じゃありません!」


 ほら見ろ。来てくれた美少女が微妙な顔じゃないか!

 取り繕って、笑顔で挨拶する。大人ですから。


「久しぶり。クリスさん」


 今日のクリスさんは一段と美少女だ。私のスリットチャリムと違ってふんわり広がるタイプのチャリムで、栗毛の髪を丁寧に巻いて結っている。美少女です。癒される。


「可愛いね。いいなぁ。今日は北城閣下のお付き?」


「ヨウコさま……」


 美少女の苦笑も素敵です。


「本日は、トーレアリング宰相ご夫妻のお迎えにあがりました」


 私の隣の変態にまで仰々しくする必要ないよ。

 

「それにしても」


 クリスさんは上から下まで私を見て、困ったように笑う。


「今日は、本当に見違えましたね」


 我がミセスの功績です。つーかミセスは「これでいいでしょう」って太鼓判押してくれたのに、何なんだ。この周りの微妙な反応は。


「会場までお連れするのが、不安になってまいりました」


 クリスさんにまで言われると、微妙に、というかかなり落ち込む。今日の私の我慢って……。


「このまま引き返すわけにもいきませんからね」


 悪魔は当然みたいな顔して腕を出してきた。

 どうしろと、それ。


「妻に腕を組ませるのは夫の特権ですから」


「職権濫用ですよ」


 私はしたり顔の旦那を無視して「こちらへ」とクリスさんについていった。


 クリスさんに案内されたのは、城の中に続く外門だ。普通は車止めの手前にある魔法陣に乗って移動するから、ここに居るのは門兵ぐらい。


「こちらにお乗りください。このビークルでお連れいたします」


 門の手前に置かれていたのは、南国でよく乗られていたような車輪のない乗り物、牛のいない黒塗りの牛車だった。

 何でも、このビークルという乗り物は色々な形があるらしく、いつかカルチェが砂漠で乗っていたジープみたいな形から、この牛車みたいなものまで様々らしい。

 短い梯子で乗り込んだら、思ったよりも広い。ただ、時代劇と違うのは敷かれているのは畳ではなく毛足の長い絨毯で、低い丸椅子が置いてあること。


 丸椅子に三人で乗りこんだら、牛車はゆっくりと動き出した。


「会場までお連れいたしますので」


 本当なら生身の人間だけで行くのに、特別に乗り物で会場に横づけしてくれるらしい。まぁ、楽っちゃ楽だけど。


「……ねぇ、クリスさん。今日の私の格好、そんなに酷い?」


 周りの皆さんにあんまりにも微妙がられる格好でパーティなんかに出ていっていいものなのか。クリスさんにまで言われたら本当に不安なんだけど。


「まぁ!」


 クリスさんは目を丸くして、自分の口元を押さえた。


「―――申し訳ございません。ヨウコさまのお気持ちも考えずに、自分の都合ばかり申しまして」


 それこの悪魔にも言ってもらえませんか。隣のこいつ、朝から今日はとびきり気分悪いったら。

 

「ヨウコさまが、あまりお綺麗なので、つい不安になってしまいました」


「は?」


「ですから」


 クリスさんは、珍しくはにかむみたいに笑った。


「今日のヨウコさまはとてもお綺麗なので、私も驚いてしまったのです」


 ご冗談を。ミセスなんか顔色一つ変えませんでしたよ。「まぁいいでしょう」って。


「今日のヨウコさまの衣装を用意なさった方は、ヨウコさまのことをよくご存じなのでしょうね」


 ミセスは、ああ、うん。よくご存じです。悪だくみには絶対先手打たれています。


「ヨウコさまの美しさが、目に見えてわかります」


 今度は私の方が微妙な顔になってしまった。

 ウツクシサ?

 ご縁がなさ過ぎて辞書引かないと意味が分からない言葉です。


「―――あー、ごめん。よく分かんない」


「もう」


 投げやりな私に、クリスさんは困った子供を見るみたいに笑う。


「でも、そうしていると、いつものヨウコさまで安心いたします」


「今もいつもも私はいつも通り。おかしいのは、こいつ」


 投げやりついでに隣でぶすっと座っている赤銅頭に親指を向ける。


「朝からずーっとこの調子で、気分悪いったら」


 文句を言ったら、クリスさんは思わずといった風に笑った。


「ヨウコさまらしいです」


 こっちは笑いたくても笑えません。


「つーか考えられる? 仮にも奥さんが朝から一生懸命我慢して着飾ったのに、褒め言葉の一言もないんだよ? 口から生まれてきたくせにこういう時だけ化粧が濃いだの衣装が悪いだの! 馬鹿じゃないの!」


「―――煙草を吸っても?」


 私の文句は聞き飽きたとでもいうように、隣の不機嫌な輩はクリスさんにいつのまにか取り出したパイプを片手に訊いた。


「駄目!」


 だから吸い過ぎなんだよ! しかもこの牛車、窓が一つしかない。

 

「大事なパイプを叩き折られたくなかったら、そのまま大人しくしてなさい!」


 赤い目と睨み合う。今日はこればっかだ。

 先に視線を外したのは、悪魔の方だった。火のついていないパイプを口にくわえて、拗ねるみたいに明後日の方へと顔を背ける。こいつは。


「パイプじゃなくて、きせるというのですよ」


 これは、ともっともらしく漢字まで教えてくれる。煙管って書く。

 あーもう、牛車から叩き落としてもいいかなこいつ。


 大体、煙草ってそんなに旨いものなのか? 

 生まれてこのかた煙草なんか吸ったこともない。

 居酒屋行くとおっさん共がぱかぱか、会社でも女の子がすぱすぱやってるけど、未だかつてその煙が旨いと感じたことがない。


 腹立ちまぎれに、私はあの煙管とやらに指をかけた。


「あ!」


 非難の声も無視して、奴の口から煙管を奪う。


 結構重い。こんなの腰にぶら下げてるのか。馬鹿じゃないのか。

 煙管の先にはもう刻み煙草が詰めてあって、本当に火入れ待ちの状態だ。

 私は問答無用でくわえてみた。顎が疲れるんじゃないかこれ。


「火!」


 くわえる体勢で悪魔を睨んだら、悪魔は渋々といった顔でマッチを取り出して煙管の先に火をつけた。煙がもわっと沸いてくる。

 うわ、煙たい。

 口をつけてみる。重い。

 でも思い切り吸ってみた。



「げほがほげほごほげほ!」



 馬鹿だ。

 こんなの吸ってる奴馬鹿だ!


 喉を刺すみたいな苦い煙を肺が拒んで、私はあえなくむせた。こんなの人間が吸っていい空気じゃない。


「ヨウコさま!」


 クリスさんが怒るみたいにして牛車の窓を開けて何かを唱える。

 あ、ちょっと煙がマシになった。


 咳きこむ私の背中を撫でているのは、彼女じゃない。

 ってことは。


 涙目で隣を見たら、顔をしかめた赤目がこちらを睨んでいた。

 私の手から煙管を奪い返しても、怒鳴ってこないのが不思議なほどの顔で咳きこむ私を眺めて、でも何も言わないで背中をさすっている。怒られたいわけじゃないけどいっそ怒鳴れ。


 はー最悪だ。

 化粧が落ちるじゃないか。


 私の咳が落ち着いてきたら、隣の不機嫌な人は煙管の灰を携帯灰皿に落して、煙管をさっさと懐に仕舞いこんだ。


「……大丈夫ですか。ヨウコさま」


 喉ががらがらいがいがする。咳払いして、答えようとしてもうまくいかない。だから、こいつが悪いんだ、と隣の悪魔を睨んでやる。

 睨まれた当の本人は、本日何度目かもわからない溜息をついた。


「―――わかりました。私がすべて悪いです」


 なんだその投げやりな謝罪は!

 まだ沸点の下がらない私を無視して、悪魔はクリスさんに顔を向ける。


「どこかで一度妻を休ませます。その際に身形も整えてやってください」


 クリスさんは心得たというように「かしこまりました」と肯いて、ぽんと手を叩く。すると牛車は方向転換するのかぎぎぎという音と一緒に動いて、再び走り出す。


「無茶をなさらないでください」


 そういったのはクリスさん。隣の元凶はやっぱり黙りこくったままだ。もういい。こいつのことはもう知らない。


 隣のガキと一緒の顔をしていることは知らないで、私はクリスさんに仏頂面を見せたまま、牛車が止まるのを待った。



 牛車が横づけしたのは、



「―――、本日はお日柄もよく」


 社長の部屋だった。馬鹿な。つーか何。その的外れなご挨拶。


 今は悪態もつけない私はうんざりした顔を社長に残してクリスさんに手を引かれていった。

 クリスさんが連れてきたのは社長の部屋のキッチン。そこで私に私のハンカチか何かを出せと言って、ガラスのコップを差し出した。


「そのハンカチできちんとカップを拭いてください」


 言われるままにミセスに持たされたレースのハンカチでコップを拭いたら、水場を示される。


「今は、他に方法がありませんから、どうか」


 自分で蛇口をひねって水を入れてくれという。


 ああそうか。私、ここの食べ物、食べられないんだった。

 恐る恐る、蛇口をひねる。思えばこの城も便利だな。井戸から水汲まなくていいし。

 コックを開けて、コップに水を注ぐ。

 注いだ水は、透明だ。

 それをクリスさんが受け取って、先に口をつける。

 何もない。

 大丈夫と言われるように再び受け取って、私は口をつけた。


 水は、甘かった。


 喉を通る水は冷たくて、さっきの不快な煙が消えていく。

 水はコップ半分までしか飲めなかった。でも、舌には痺れもないし胸やけもない。

 ほっと息をつく。

 私って、結構面倒臭い体質だったのか。繊細さの欠片も持ち合わせてないと思っていたのに。

 こんなにも、怖かったんだ。


 コップをクリスさんに返すと、クリスさんが泣きそうな顔で受け取る。

 二人とも、何も言えなかった。

 私は、何を言っていいのかわからなかった。

 彼女を責める言葉も、自分を情けなく思う言葉も、どれもちゃんとした言葉にならなくて、潤いの戻ってきた喉の痛みが引いてくると、もどかしくなった。


「……ありがとう」


 口に出したら、これが正解のような気がした。


「ありがとう。クリスさん」


 少し掠れた自分の声が、ちゃんと正解を言い当てたようで少しだけ嬉しくなった。

 お礼を言うのは当たり前だ。水を用意してくれたんだから。

 でも、今度はクリスさんの方が泣きそうな顔になった。


「あなたっていう人は……」


 言い切れないまま、彼女の瞳から涙がこぼれてしまう。あーあー勿体ない!

 私は持っていたレースのハンカチを彼女の目に当てた。

 そうしたら、今度はクリスさんが笑う。


「あなたって、どうしてそうなのかしら」


「そうって?」


 いつもよりくだけた口調のクリスさんに問い返したら、彼女は泣きたいのか笑いたいのかわからない顔で、


「とんでもない時に優しくて、困ってしまうの」


「……人を空気読めない人みたいに言わないでもらえるかな」


 私は常識人を自負する大人です。空気を読んでこその日本人! 空気のまるで読めない社長や悪魔とは違う。


「―――私は」


 笑いを収めたクリスさんが、微笑みを湛えたまま穏やかに続ける。


「そういうあなただから、幸せそうにしていると、とても嬉しくなる」


 幸せそう? 私が?


「どこが?」


 今の今まで交戦中だったんですがね。あー、思いだしたら腹立ってきた。


 顔をしかめた私をクリスさんがくすくすと笑った。


「秘密です」


 私のことなのに秘密って。……まぁいいか。この子が楽しいなら。


 私たちは二人して化粧を直すことにした。

 ミセスってば用意のいいことです。お洒落バックにちゃんとお色直し用の小さな化粧道具が一式入っていました。どおりでちょっと重かったわけだ。


「ヨウコさま」


 クリスさんが私の化粧を直してくれて、今は私がクリスさんの目元のアイシャドウを直している。自信はないけどアイラインは上手く引けた。

 ついでに明るめのアイシャドウを上塗りしたらクリスさんの目元が明るくぱっちりとなった。よしよし。美少女がさらに美少女に。


「ありがとうございます」


 改まって言われると照れるものだね。


「また遊びに来るからね」


「はい」


 今度はゆっくり、クリスさんが手料理ごちそうしてくれるって。楽しみだ。



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