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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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宝石と運河

 マダムがイメージに合う靴や宝石まで用意してくれるというので、私と悪魔は、店の三階にあるバルコニーに通された。


「わぁ!」


 思わずあがった歓声と一緒に、私はバルコニーから身を乗り出さんばかりになった。


 街の中のはずなのに、運河の街が一望できるのだ。


 今日は晴れているから傾きだした日差しを浴びた街が黄金色に見える。


 王の港なんてよく言ったものだ。確かにこの街は美しい。


 こちらへ、とマダムはバルコニーに置いたテーブルとイスに誘って、お茶とお菓子を出してくれた。蜂蜜の香りがするお菓子は、マダムが手作りしたそうだ。優しい、懐かしい味がした。母が時々作ってくれたお菓子が、こんな味だったんだ。

 この高級店が並ぶあたりは少しだけ高台で、ゴンドラが入れる運河は少ないけど街が一望できるんだそうです。


 美味しいお菓子と花の香りのするお茶を飲んだら、気分が落ち着いたのか全然関係のないことを話題にしてしまった。


「―――ガルニーアト様は、どうなったんですか?」


 あの悪女チャリムがですね、どうも女ボスに似合いそうだと思ったものですから。


「どうもしませんよ」


 お茶を飲みながら、優雅に悪魔は答えてくれる。


「ただ、あの方のご親戚は全員、政治家ではなくなりましたが」


 寒い話でした。ごめんなさい。

 うすら笑いの悪魔が怖いです。 


「あのご親戚方が居なくなってもいいようにする方が大変でしたからね」


 何しろ人数が百人単位なんだそうで。えげつないな。


「北城一族は、血統を重んじますから、近親相姦を繰り返し過ぎてもう一族自体絶える寸前なのですよ」


 傍系は多いけど、正当な血を受け継いでいる者はもうほとんど居ないらしい。その一人が、


「陛下のご正室さまです」


 あの、可愛らしいお嬢様だという。


「迷い人だという血は、薄まり過ぎてほとんど残っていませんがね」


 だから、


「北城さん、呼んだんですか」


 北城っていう血が何より大事だから。

 

 悪魔は、バルコニーから広がるアルンダッタを眺めながら、目を細めた。


「―――本当は、失敗すると思っていたのです」


「は?」


「ガルニーアト様から命じられた時、何を馬鹿なことをと思いました。迷い人はこちらに落ちてくる人のことであって、こちらから召喚することなど出来ないもの、というのが定説でしたから」


 その時はまだ裏切るわけにもいかなかったこの悪魔は、あの、アルティフィシアルという変態魔術師の力を借りて座標を探り出し、社長の居場所を特定して、こちらに引っ張り込む魔術を有害銀髪に実行させた。


―――ということは、


「……私、その一か八かのデタラメな計画に巻き込まれたってわけですか」


 被害者以外の何者でもない。


 結果としては、私が体験した通り、社長は無事召喚され、私もついでに落ちてきた。


 そんな馬鹿な。


 何か、もうちょっと無かったのか。こう、陰謀とかそういうもっともらしい理由が!


「まさか本当に召喚できるとは、思いもよらなかったのですよ」


 試しに変態魔術師がもう一度やってみたけれど、何でもかんでも召喚できるわけではない、というのが救いといえば救いだが……。


 美しい景色を眺めながら、馬鹿馬鹿しい気分で私は椅子からずり落ちそうになった。このまま運河に落ちたい気分だちくしょう。


「こちらに一度やってきたことがあるもので、座標が特定できるもの、というのがアルティの結論ですよ」


 研究馬鹿のいい研究材料になっただけか。馬鹿らしい。


「座標って何ですか? それと、あちらとこちらを行き来できるようになりたいんですか?」


 質問も投げやりになる。死にかけたあれこれが急に馬鹿馬鹿しいよこれ。


「座標というものは、便宜的なものです。魔術師は自分の魔術の残滓を追うことができますから、それをあちらの世界に見立てた球体で測るというもので」


 要するに、魔術で帰ったら、魔術で追跡される発信機がついてるってことだ。それも普通は何年も経ったらなくなるらしい。


「北城閣下の事例は特別です。彼の先祖の血の標本が残っていたので、型式が似たものを探したらしいですよ」


 御苦労なことです。


「―――行き来したいのは、アルティ達でしょうね。彼らは、もともと迷い人だったのですから」


 マイスターと呼ばれる彼らは、数百年に渡ってあちらへ帰るために魔術の研究をしてきたのだ。


「私は、こちらの人間がそちらへ行ったところで、何が変わるとも思えません」


 それはあなたがよくご存じでしょう、と言われて、そうだと肯く。私がこっちで経験したのは、苦労ばっかりだ。……まぁ、私の不運補正がついていないとは言い切れないが。


 それにしても、社長だけ呼びたかったのに私まで呼んじゃったなんて、迷惑千万な話だけど、



「どうして、私を殺そうとしていたんですか」



 やっぱり不思議に思うのだ。

 間違えて私を連れてきてしまったのなら、とっとと帰してくれれば良かったんだ。

 

 怖い目にも、たくさん遭った。


 あちらで車に轢かれるにせよ、助かったかもしれないし、少なくとも居なくなるなんてことにはならなかったかもしれない。


 非難がちになる目で隣の人を睨んだら、彼は、珍しいことに私を一瞥しただけで目を逸らせてしまった。


「……あなたが」


 美味しいお茶を飲みながらする話じゃなかった。

 でも、一度口から出た言葉は戻らない。


「私をすぐにあちらへ帰していれば」


 こいつが計画を邪魔されることも無かったはずだ。


 今こうして、私を自分の妻にまでして、ワガママを聞く羽目にならなくても良かったはずだ。


 こうして、嫌いなはずの迷い人と、一緒にお茶を飲むことも無かったはずだ。


 紅い瞳が私を捉えた。

 でも、その瞳はゆらゆらと揺れていて、あいつは口元を引き結んだまま。


 せっかくのお茶が冷めてしまう。



 私の、楽しかった今日のことまで、泡のように消えてしまいそうだった。



 私は、最初から最後まで、必要のない人間だった。


 こちらの世界にとっても、俊藍にとっても、そして、今、私の隣に居る人にとっても。


 要らないってことは、じゅうぶん分かっていたつもりだ。


 でも、私は生きていて、色んな人に出会って。


 

 それは、全部、泡みたいなものだったんだろうか。



 一晩だけの夢みたいに、朝、目が覚めたら何の夢だったのかさえ、分からないような。


 私にとっては大切なものでも、他人にとってはそうじゃないことだって沢山ある。あるけれど。


 私ぐらい、大切にしてあげないで、誰が大切にしてくれるんだ。


 

「……言いたくなければ、言わなくていいです」


 私との約束があるからか、赤銅色の髪の人は私の質問には必ず答えようとする。

 無理なんかしなくていい。

 何より、自分を殺そうとした理由なんて、聞くんじゃなかった。

 どうせなら知りたいと思ったけれど、それは余計なことだった。

 ああ、早く帰りたい。



 隣から、溜息が聞こえた。

 その吐息に、聞きとりにくい呟きが混じる。


 

 あなたを泣かせるつもりはない。


 

 だったらどういうつもりなんだ。

 でも、それを言ってしまったら、私はあいつの溜息を認めるような気がして唇を噛んだ。

 悔しくなる。

 言葉一つで、人の心を揺らすこの人が嫌い。

 言葉だけで揺らされる、弱い自分の心が疎ましくなる。

 何も言えなくて、苦しくなる。



「―――迷い人が、どうやって元の世界に帰るのか、知っていますか?」


 静かな声にも、私は答えられなかった。

 黙っていたら、息を吐き出すように続けられた。


「一つは、あなたも知っているように、北国で座標を特定して魔術で移動させるやり方。……北城閣下の召喚は、これを応用しただけです」


 アルティは、と溜息は続く。


「あちらの世界を座標という魔術の特異点で結び、あちらの世界の詳細な地図を作りだしています。こちらに落ちてきたものを送り返すことによって、自分の魔術の残滓を探っているのですよ。ですから、座標で送り返すということは、彼ら魔術師があちらの世界を認識する手段ということです。彼らの研究の一環なのですよ」


 だから、あんなにサービスがいいのか。落ち込んだ脳みその傍らに変態魔術師のしたり顔が見えるようだ。あの性悪魔術師め。

 でも、あの変態魔術師は結局一度も、私を元の世界に帰すとは言わなかった。


「その魔術師たちの研究よりも簡単で、身近な方法が二つ目です。これも、アルティの研究結果で分かったことですがね」


 溜息をつくように喋る人は、話している間中、私の方をちらりとも見ない。

 ただずっと、アルンダッタの景色を眺めたまま。

 夕暮れが近いのか、オレンジ色混じりの日差しに照らされて、運河がきらきらと黄金色の道になっている。



「―――もう一つの帰る方法は、この世界で死ぬことです」



 ゆっくりと、隣の人に視界を戻すと、紅い瞳がこちらを静かに見つめていた。


「こちらでの肉体が朽ちるとあなたがた迷い人はあちらに元々ある体に戻るようなのです。体ごと移動しているように見えて、実はこちらでは、言ってみれば血肉を持った魂の泡のようなものなので、落ちてきた年のまま時間は止まり、外見上は年を取らない。ただし、体だけはこちらで作られたものなので、衰えていく」


 それがアルティの仮説ですが、と言葉を切る。


「実際、北城閣下の祖先はこちらで亡くなった時、確かに葬られたはずなのですが、あちらの世界には北城の魔術の残滓が残っていて、どういうことなのか、今まで謎でした」


 実例のある、仮説ってことか。


「ですから」


 砂漠の中で水を探すような眼だと思った。

 そんな赤い目の中で、私は捉えられている。

 でも、それ以上彼の口から言葉は出てこず、わずかな吐息だけが漏れた。



「……私を殺そうとしたのは、帰すためだったの……?」



 だとしたら、これほど滑稽なことはあるか。

 私は、死なないために生きてきたのに。


 元の世界に帰ることを望みながら。



「―――もしも」


 小さく、低い声が呟く。


「あなたが帰りたいと望んで、どうしても方法が見つからない時には」


 掠れた声が、聞こえる。



「私があなたを手にかけようと思っています」



 泣きたいのは、私の方だ。


 何度そう思っただろう。


 でも結局、私は泣けない。



 隣で、自分の言葉に傷ついている人がいるから。



 傷つくぐらいなら、言わなければいいのに。


「私」


 繕うのは得意な方だと思う。


「世界旅行がしたい」



 お腹も空かない、危なくない旅がしたい。

 あと半年とちょっとぐらいはある。

 それぐらいあれば、優雅な旅が出来そうじゃないか。



「一緒に行きませんか」



 ねぇ。


 わがままは何でも聞いてくれるんでしょう?


           

 紅い目の人が、困ったように笑った。


「―――いいですね。行きましょうか」


 

 どうして、この人に頼まなきゃならないんだろう。

 私が、自分でけじめをつけるべきなんじゃないか。


 でも、どうしてだか、この人にはわがままを言いたくなる。


 私がきっと、さよならを言うのは、この人にだけだと思うから。




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