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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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排気ガスとヒロイン

 悪魔のところに帰ったら、木の幹にもたれてインバネスを羽織った旦那さまは非常に不機嫌だった。

 でも、出来た薬を献上したら少しだけ態度を緩めた。


「ホントは煮詰めるのがいいんでしょうけど」


 水出し薬にもほどがある。それでも飲まないよりもマシ。なはずだ。私はプロでも何でもない。

 嫌だと思ったら飲まなくていい。

 そう言ったのに、


「飲まないはずがないでしょう」


 悪魔はゴブレットをためらいもせず手に取った。

 怪我人が飲む前に毒味をしなくてはならない。口をつける前に慌てて取り返して、私はもう一度自分で舐めてみた。

 うん。さっきと同じ味がする。それにしても苦い。

 涙目になりながらゴブレットを差し出したのに、悪魔の顔が近くて驚いた。


「口移しでもしてくださるのかと思いましたよ」


「この苦い薬を飲んで成仏するがいいですよ。この悪魔め!」


 怒鳴ったというのに悪魔は笑いながらゴブレットを受け取って、そのまま飲み干してしまった。

 葉っぱが底に張り付いたゴブレットを返す奴の顔に、歪みも何もなくてこっちが逆に青ざめる。 

 こいつ、味覚ないのか。


「ごちそうさまでした。美味しかったですよ」


 にっこりと微笑まれた。


 うわぁあああ誰かこいつに美味しい料理を食べさせてあげてよぉ!

 一緒にごはん食べてる身としては味覚崩壊し過ぎてて、こいつが食べた物を食べる気がしない。


「に、苦くないんですか」


「苦いですね」


「私、涙目になったんですが」


「おや、冷や汗ではなかったのですか」


 今からでも川の水だけ汲んでこようか。そういやこいつ死なないって言ってたしね!

 でも、「痛みが引いてきました」と言われて何だかどっと疲れが出てきてしまった。そういや、私は何も食べてないし飲んでもいない。お腹空いた。

 

「もういいです……」


 急に拗ねたい気分になって、悪魔のそばで体育座りでうなだれると、いつものように頭を撫でられた。ちょっとあんた自分の手、血塗れでしょう!

 

 それでも、どうしてかどうでもよくて顔を上げる気にもなれなかった。


「朝になれば、私も動けるようになりますから」


 あなたのお陰で痛みも引きましたし。

 そう言う悪魔に、嘘つき、と言いたくなった。素人の薬が効くとも思えない。私の自己満足だ。

 この悪魔は、私の自己満足を満たすためだけに薬を飲み干したのだ。


 ああ、最悪。

 

 ばさり、と音が聞こえたかと思って、辺りを見回したらいつの間にか吸血鬼はいなくなっていた。どこかに遊びにでも行ったのか。違うか。彼は意外と真面目だ。たぶん、見回りに行ってくれたのだろう。


 私って、ホント役立たず。

 さっきだって今だって、ベンデルさんの助けが無きゃ何もできなかった。

 自分で出来ることなんて、本当にあるんだろうか。


「葉子」


 私に出来ることと言えば、傍らの悪魔に呼ばれて振り返ることぐらいじゃないのか。


「少し眠りましょう」


 朝までは少し時間がある。

 身を寄せ合って寝る方が温かいのは分かっていたけど、何だか眠れそうにもなかったので断ってやった。

 しばらくヒロインばりの自己嫌悪に浸りたい気分だったのだ。

 そういう時は誰にも慰められたくない。

 悪魔は「そうですか」とあっさり引いて「おやすみなさい」とインバネスを巻きつけて目を閉じた。

 

 目を閉じた彼は、月みたいだった。

 奇麗で、決して手に入らない、そういう月。

 こいつはいつだってそうだ。

 たった一人で、雪原に立っているような。


 誰も愛することはないと、女ボスは言った。

 そうだと思う。

 あの悪魔には、いつだって自分の目的があって、そのために生きている。

 目的のために自分の人生を賭けているから、他には何も要らないんだ。

 

 私はただ、こいつの目的に必要だったからここに居るわけで。

 

 一年と言った。

 一年、こいつの奥さまであればいいと。

 それまではどんなワガママも聞くし、守ると言われた。


 幸せにするとは言われていない。


 不思議と落ち込んだ気分で見上げると、木々の間に星空が見える。排気ガスのない空は奇麗で、曇った空に馴染んだ私にはもったいないほどだ。

 落ち葉をかき集めて、地面に寝転がると吸いこまれそうになる星空が視界いっぱいに広がった。でも三日月があるから暗い星は見えない。

 星を霞ませる月は小枝の向こうで異彩を放っていて、私をぼんやりと照らしている。

 

 あーあ。私ってば何してるんだ。


 この世界に来てから流されっぱなしだ。


……いや違うか。生まれた時からだ。

 好きなお菓子を二つ並べられたらどっちが欲しいか決められないし、弟が出来てからはお姉ちゃんでしょを理由に二つとも取られていた。友達もそれなりに居たと思うし、それなりに暮らしてきたと思うけど、自分というものがまるで無い、やっぱり誰かに流される性格だった。

 就職に失敗した私に向かった母親のひどい詰りに堪えかねて、転がるように家を出た。派遣という職を母は非常に嫌がったけれど、初めて出来た四畳半の自分の城に心が躍った。でもまぁ、それも最初の一年で、派遣もいつクビになるかっていうご時世なのでバイトも始めて。

 車に轢かれそうになって、この世界に落ちた時の私は、結構限界だったのかもしれない。


 でも。

 殺されかけたり死にかけたり、とんでもないことばかりだったけど。……涙出そうだ。

 それでも、今は、生きてるような気がする。


 役に立たないし、自分で何も出来ないけれど、以前の私なら、何が出来なくてもどうでも良かった。誰かの役に立ちたいとも、何かをしたいとも思わなかった。


 今の私が、もしも元の世界に帰れるのなら、きっと、世界が違って見えるだろう。

 それが、早く見てみたい。


 帰ろう。


 私の世界に。


 面倒臭いことばっかりだけど、全部終わったら。

 帰してくれるという人も居る。


 明日をも知れないというのに、私の口からは鼻歌が出てきた。


 母が好きだった歌だ。


 寒いけれど、泣きながらたった一人で歩く。

 何の歌だったかな。


 母は、この歌を口ずさみながらよくお菓子を作ってくれた。




「―――何の歌ですか」


 聞こえるはずのない声が聞こえて体を起こして地上に視線を戻すと、眠ったはずの人がこちらを眺めていた。


「私の国で、昔流行った歌だと思います」


 名前なんだっけ。


 応えた私をじっと見て、彼は目を細めた。


「帰りたいですか?」


 孤独なこの人の方が、そのまま月に帰ってしまいそうだと思った。

 怨みや嫉み、罪や罰、自分自身まで重石にして、どうにかこの世にとどまっているような。


 自分の世界に帰ろうと思う。

 そう思うのに、言葉にならなかった。

 

 私は、俊藍の味方となると言った。でも愛人にはなれない。彼の女にはなれない。

 だって彼は一人じゃない。孤独でもない。


 でも、この人は孤独だ。

 この、紅い目の人のそばには誰も居ない。


 私はこの人の味方にはなれない。やり方も性悪な性格も嫌いだ。

 でも、一人には出来ないと、思ってしまった。


 せめて、ほんの少しの間だけ。

 

 私のワガママでそばに居ることは出来ないだろうか。


「―――お腹空いたので寝ます」


 子供みたいなワガママを、許してくれる今のうちだけ。


 私は不思議そうな顔のあいつを背にそのまま落ち葉に寝転がって目を閉じた。




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