毒草とゴブレット
明かりを地面に近付けながら付け焼き刃な知識を総動員して、痛み止めになりそうな薬草を探した。幸い、この辺りにはまだ王都の屋敷よりも薬草が残っていて、どちらかと言えば王都よりも温かい地域に当たるだろうと思われた。
道具類は無いので手だけでどうにかできる物じゃないと駄目だ。水は欲しかったが、医学的な知識は乏しいので生水が傷にいいのかどうか分からない。
「―――どうだ?」
前を歩くベンデルさんに尋ねられて、唸った。
薬草になる物も多いが、圧倒的に毒草が多い。
素手で触るだけでも危ない草もあるから、迂闊に手を出せない。
この毒草の多さは異常だ。
この森、見たことがあるかもしれない。
苔むした岩肌を見つけて閃いた。
ここは、いつか俊藍と歩いた死の森かもしれない。
もしそうなら、川の水も湖の水も駄目だ。草も木も、毒草ばかりで食えたものじゃない。
唇を思わず噛む。痛み止めを探すどころじゃない。うっかりすると中毒死だ。
すぐにでも追っ手がかかりそうなのに、いつまでもその気配がないということは、そういうことなのかもしれない。
何も知らないで水の一口でも口にすれば、すぐに死ぬ。
雨が降っても最悪だ。
どうすればいいんだ。
思っているよりも、自分が焦っていると気付いた。
怖い。
怖いのだ。
人が、目の前で苦しんでいるのは。
「―――そういえば」
押し黙った私を尻目に、闇夜の吸血鬼さまはのんびりとした調子で森を見回していた。
「この森は不思議な森だな。二つの匂いがする」
二つの匂い?
「水の匂いと草木の匂いだ」
いわく、同じ毒の匂いながらまったく違う匂いがするのだそうで。
ただの人である私にはまったく分からないが、ベンデルさんにはその不思議な匂いが漂ってくるそうです。名犬のようです。言わないけど。
「二つ……」
この死の森の毒は、毒草から染みわたった毒だ。だから草には致死の毒は含まれていなくても、雨水などの要因で地面に染み込んで地下水から湧き出た川や湖の水は猛毒となっているらしい。地面を通る間に、まったく違う性質の毒となっているなら、
「薬になるかもしれない」
毒草は調合を変えることによって薬になる。元の世界での法則は知らないけど、少なくともこちらの世界での調合はそういう法則だ。良薬と呼ばれる薬を作るには、一歩間違えると毒薬になる調合もある。
私は目ぼしい毒草をありったけ摘んだ。
「水があるのは、どっちですか」
ベンデルさんに案内してもらって、川に出る。
湖じゃなくて良かった。あっちは水の動きがなくて毒が強そうだ。
川は奇麗だった。森の木々が少しだけ晴れて、夜空に浮かぶ月がぼんやりと川面に映りこんでいる。
この奇麗な川に猛毒が含まれているなど、知らない人は思いもよらないだろう。
この際、目分量で調合してみるしかない。
手で恐る恐る川に手を突っ込もうとして、止められた。
「死にたいのか」
驚いたことに、近付くことさえ嫌がっていた吸血鬼が血の付いていない私の腕を掴んでいた。
「薬が作れるかもしれないんです」
振り返って黒い瞳を見上げると、ベンデルさんは少しの間だけ黙って、溜息をつく。
「調合は俺がやる。毒味もだ。お前は指示だけしろ」
「え、これ毒ですよ!」
「俺にとっての毒はその血だけだ」
私を自分の後ろに下がらせて、吸血鬼は指を鳴らして再び黒い塊から何かを取り出した。手に乗ったのは、美しいカットの入ったゴブレット。
そしてためらいなく、猛毒の川に手を突っ込んでゴブレットを水で満たした。
その水をどうするのかと見ていれば、なんとそのまま飲んでしまった。
白い喉が水を嚥下するのを見届けて、私は乾いた笑い声を上げた。
そんな私に、わざとらしく色気たっぷりに吸血鬼は微笑んだ。
「―――飲んでみるか?」
飲んだら死ぬな、これ。
私は丁重にお断りした。
それから、何度か吸血鬼に毒を飲ませることになった。人間であればお腹壊すぐらいじゃ済まない猛毒を、彼はまるでただの真水を飲むように飲んでしまう。
「これじゃ死ぬな」
「心臓が止まるぞ」
「目が見えなくなるな」
「暗殺用の毒に似てる」
感想まで言ってくれるからありがたい。
私は、その草を半分とか指示だけ飛ばす。冷静に見ると美形が手を緑にしながらちまちま葉っぱを千切っている姿はなかなか微笑ましい。
そんな馬鹿な感想まで浮かんでくるようになって、ようやく、
「飲んでみろ」
もう一つ取り出されたゴブレットに少しだけ調合した水を注がれて、突き出された。
緊張して黒目を見上げたら、吸血鬼は真面目に頷いた。
ここで私を殺しても、この化け物には何のメリットもない。
よし。
女は度胸だ。
私は恐る恐るゴブレットに口をつけた。
「にっっっがっっっ!!」
葉っぱの何枚か沈んだ水は、とても苦いが毒じゃない。何だか体がすうっとする。……毒じゃないよね?
私たちはもう一度、この調合をやってみて、出来あがった水をベンデルさんの四次元ポケット (何でも入る物入れだっていうから) にゴブレットごと保管してもらって悪魔の元に帰ることにした。
全部終わったら、指先が震えていることに気がついた。
意外と必死だったんだな私。
ベンデルさんの後をついて歩きながら、冷え切った指先に息を吐きかけた。あれ、息まで冷たい。川岸って結構冷えるからなぁ。
ふと、前を歩いているはずの黒髪の吸血鬼が振り返っていることに気がついた。
「どうしました?」
私が訊ねるといや、と短く言って吸血鬼は呟いた。
「一度、お前を食べてみたいと思っただけだ」
それだけは勘弁してください。