鍵と闇
怪訝な私の顔を見て、少し不安そうにしたものの、メルツ王子様は持っていた鍵で牢屋の鍵を開けてくれた。
「逃げて」
そう言われてもなぁ。
私がここに連れてこられた経緯をかいつまんで話すと、殿下は難しい顔で唸った。そうだよね。ここがどこだか分からない上、今は真夜中だ。夜の森を歩きまわるのは、このじめっとした牢屋で一晩明かすより危険だろう。
牢屋から出た私は難しい顔した王子様をぼんやりと眺めた。近頃、一言えば十返ってくる生活だったので、悩む人は新鮮だ。やっぱ無茶苦茶だアイツ。
それに、
「たぶん、私を迎えに来る人がいるんですよ」
あの悪魔のことだ。どういう魔法だか知らないが私の居場所を探りだして迎えに来てくれるだろう。アイツ本人が来なくても、何かしら迎えが来るだろうと思う。
不思議と、あの悪魔がどうにかなるとは思えなかった。
それが信頼なのか、ただの客観なのか。
私の思考の答えの方が難解だ。
メルツ殿下は私の顔を見上げて、(やっぱり私の方が背が高いのです) 何故か納得するように頷いた。
「……そうでしたね。あなたはあの、ラウヘルの奥方なのですよね」
そこに納得されると釈然としないんですが。
あれと同一に扱わないでもらえませんか。
あれは悪魔ですが、私はただの迷い人なので。
まぁ、とりあえずこの牢屋に一人ぼっちで待ちぼうけはいただけないので、私は殿下についていくことにした。ありがたいことに部屋に匿ってくれるという。
牢屋を出て地下道を抜ける道すがら、誰も居ないことを確認しながら殿下のお話を聞いていたら、彼はなんとまだ十歳なのだそうで。
異世界の血って、なんて残酷なんだろう。私も異世界の食べ物食べて血肉なっているはずなんだから少しは生成されてもいいはずなんじゃないのか。
石造りの地下道をそっと抜けると、そこは真っ赤な絨毯が敷き詰めてある邸宅の廊下だった。何かがそろりと出てきそうな抜群のシチュエーションです。やめてー。
私はきょろきょろと影に目をやりながら何もいないことを確認して、王子様について歩き出す。
やだなー。こういうの。
ほら、何か。
「―――殿下」
こういうのが出てくるじゃないかと思ってたんですよね。
低い声に振りかえると、甲冑を着こんだ暑苦しい男がこちらを見下すように見つめていた。
金髪碧眼って王子様にも見えるのに、二流のバタ臭い美形にしか見えないんだから、私も目が肥えたものだ。
案の定、王子様は気まずげに唇を噛む。
十歳ながらによくやったと思うよ。得体のしれない女を牢屋から連れ出すとかさ。
でもバタ臭い甲冑美形は厳かに口を開いた。
「殿下のお手を煩わせてしまい申し訳ございません。こちらの女性をお連れするようわたくしが仰せつかっております」
甲冑の言葉に王子様ははっと顔を上げる。
「まさか、母上が…?」
「はい」
意図的に無視していた私にようやく甲冑は振り向いて、
「わたくしとおいでください。我が主、ガルニーアト様があなたとの謁見を望まれております」
わお! いきなりラスボスとご対面ですか!
……前にもこんなことがあったような。
私の隣にやってきた王子様があんまりにも不安そうに見上げてくるので、私は苦笑した。だって、可哀想な子犬を見捨てる気分になるんだよ。
あきらか、私が状況不利なのに。
甲冑美形が無言でついてくるよう促すので、私が歩き出すと殿下も一緒についてきた。おいおい。坊ちゃんに何かできると思えないよ。これからあんたのママとご対面なんだよ。
私の呆れた顔が見えたはずなのに、王子様は決意したように見上げてくる。
「私も参ります。―――あなたは、兄上の大事な御方ですから」
人の旦那を寝取ったみたいなことを子供に言われてる気分です。
ああもう、とっととどこかに逃げれば良かった。
私と王子様の会話が耳に入っていただろうに、甲冑は何も言わずにやっぱり迷路な屋敷の廊下を黙って進んだ。
廊下にある窓から外を見てみるけど、外は真っ暗で物音一つしない。この廊下にしても最低限の明かり石があるだけなので、薄暗いことこの上なく、油断をすると前を行く甲冑も見失いそうだ。
しばらく甲冑と王子様の三人連れで重苦しい空気のまま廊下を行くと、やがて甲冑は大きな扉の前で立ち止まってくれた。
今までこちらを気にしながらも振り返らなかった甲冑がこちらを見下してきて、「よろしいですか」と尋ねてきたので「はいはい」と応えてやった。どうやら上着を脱げということらしかったけど、ここに長居する理由は私には無い。
甲冑は私をひと睨みして扉を開けた。
さほど広くはない部屋だった。
二十歩歩けば壁につきそうな部屋に大きな椅子を押しこめて、緞帳みたいなカーテンを備えたひな壇の上の立派な椅子に腰掛ける人は肘掛に気だるげにもたれかかっていた。
「―――お前がヨウコか」
王子様の黒髪は、父親譲りだったのか。壇上の女性は見事な水色の髪だった。流れる水のような髪を水晶の飾りで結いあげて、白い肢体には銀幕のチャイニーズマフィアの女ボスが好んで着るようなチャイナドレスに似たチャリム。氷のような瞳は切れ長で、ただ一つ熱を持つような赤い唇の隣にほくろ。
ラスボスに相応しい貫録です。
この美女のどこが可愛いんだ! あの悪魔め。あいつの目が腐っているのか。
女ボスはゆっくりと姿勢を正して私に品定めするような視線を寄越してきた。申し訳ない。今は特殊メイクの一つもしていないおばちゃんチャリムな上だっさい上着着てて。
女ボスは溜息一つ溢して思わずといった風に笑う。
「このような小娘のどこに魅力があるのか、私には理解できないがね」
私も、自分に魅力なんぞあったら教えてほしいものだ。それを武器に悪女にのし上がって…は出来ないか。おべっか使えない。
何も応えない私を面白がるように女ボスは見遣って、目を細めた。
「―――初対面だったか。私はガルニーアト。現陛下の継母であり、そのメルツの母だ」
「……葉子です。今はトーレアリング宰相の妻やってます」
名乗られたら名乗るのが常識だ。
でも、女ボスことガルニーアト様は豪快な笑い声を上げた。
「はっはっはっはっはっ! あのラウヘルを夫にな!」
笑うよねー。
私も笑いたい。
「だが、お前には手もつけていないと見える」
鋭い。
当たりです。
やっぱ分かるものなんだな。
ガルニーアト様は笑い声を収めて女ボスに相応しい冷酷な笑みを浮かべる。
「小賢しいあいつのことだ。お前を取り上げることでヘイキリングの動きを抑えつけようとしているのだろうが」
ほっそりした腕を肘掛に乗せて、女ボスはゆったりと笑った。
「確かにヘイキリングの動きは鈍っているようだがね。お前が目の前にいるというだけで落ち付きのないこと。―――それほど魂の片割れとやらは、引きあうものなのか」
魂の片割れというだけだ。
俊藍と引きあう感覚は私にはない。
でも、煩わしいと思いながらこの王都に留まっているのは、片割れの効果というやつなのだろうか。
「―――お前、女として愛されたくはないか?」
ゆっくりと、闇を広げるように女ボスは紅唇の端を持ち上げる。
「ラウヘルという男は、誰も愛することはないよ」
暗闇の中に滑らかな声が響く。
「あれは、狂人だ。あれのことわりを誰も理解することは出来ないし、あれにとって他人は利用するべき物でしかない」
あの悪魔は、必要であれば幾らでも、何でも差し出す。けれど、それはすべて目的のため。
他人の友情も愛情も。
たぶん、自分の愛情でさえも。
「お前は決して幸せにはなれない」
闇の向こうで女ボスがランプの明かりみたいに笑った。
「目的だけ達成されても、お前は不幸になるだけだ」
そうかもしれない。
私が顔を持ち上げて、美貌の女ボスを見上げると彼女はゆっくりと微笑んだ。
「だから、お前」
赤い唇が柔らかに続ける。
「ヘイキリングの側妃にならないか?」
何それ。
一周年となりました。お付き合いありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。