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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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キノコと森小屋

 落葉樹に色づいた葉っぱがほとんど落ちる頃、旦那さまは短い休暇をとってきた。なんでも、仕事が一段落ついたとか。どんな仕事しているのか今更ながらに知らないんだけど。

 屋敷に居るときの悪魔はたいてい煙草を吹かしているか書斎で寛いでいるか。たまに私にせっつかれて窓拭きなんかも手伝わされているけど、屋敷の主らしくほとんど何もしていないように見える。

 だから、休暇をとってきた旦那さまに私はかねてからの約束を果たしてもらうことにした。


「あまり離れないように。走らなくても何も逃げませんよ」


 まるで引率の先生みたいなことを言って、悪魔は私に持たされたバスケットを片手にパイプを咥えた。本日の悪魔はいつものチャリムに、皮靴ではなくてブーツだ。私もその格好に、上着を羽織らされている。

 たまの休暇でも冬から秋に差し掛かる季節には雨が多いらしく、天候に恵まれなかったので、今日みたいな秋晴れの日は珍しい。

 屋敷の周りの森に入らせてもらう約束をして早一か月以上。ようやく私は未踏の森へと入ることができた。だってさー、みんなして止めるんだよ。ミセスは言わずもがな、料理長やベンデルさんまで止めるから、一人で入るのは我慢していました。

 原生林歩き回ったことのある身としては、これくらいの森は雑木林みたいなものなんだけど、やっぱり東国の森は西国とは違う。西国はどこへ行っても日が差してくるような明るい森ばかりだった。伯爵の領地しか知らないんだけど、あれが一般的だっていうから他もあんな感じなんだろう。東国の森は、ほとんどが日の光を受け付けない、緑の濃い森だ。むっとくるほどの緑の匂いが漂い、水を湛えた苔が水辺もないのにびっしりとそこかしこを埋めていて、落ち葉を踏んでもぱさぱさとなんか音はしない。湿気を含んだ感触だ。落葉樹とはいえ木の背丈は総じて高くて、人を寄せ付けないような雰囲気がある。日があまり届かないせいか木の根元に草木はあまり無くて、木と木の間の視界は開けているように見えるけど、そもそも光が足りていないから数メートル先は薄暗くてよく見えない。

 森の空気を吸うと、懐かしくなった。

 私が薬草を学んだ場所だ。


「楽しそうですね」


 含み笑いをしながら私の隣に並んだ旦那さまはふうと煙を吐く。この人がついて行くからと何とかミセス・アンドロイドから許可をもらったのだ。仕方ない。

 大嫌いな煙草の煙は、冬の近いじっとりとした森の冷気に含まれて溶けていった。これなら気にならずに済みそうだ。


「伯爵のお屋敷では、屋敷の周りの森で薬草を採ってたんです」


 歩きながらついつい草を探して回るのはもう癖だ。そういう風に教え込まれたから。

 もっとも、伯爵のお屋敷では庭にも薬草を植えていたから、あんまり森に入るということは無かったんだけど。

 あ、あの赤いキノコ。猛毒の奴だ。というか、さっきから毒の野草しか見ないんだけど。土地柄ですか。

 悪魔の屋敷の森は、人が踏み固めただけの道が一つあるだけであとは自然のままに任せているらしい。倒れた木なんかもあるけど、そのままだ。ヒンテンがこの先の森小屋に毎日通って小屋のあたりだけを整理したりしてるみたい。

 本日の目的地もそこです。


 高い木を見上げていると、短い間だったけど叩きこまれた薬草と文字のありがたみを思い出す。結構、あれで救われた。何も分からないよりも、何か一つでも分かるっていうことが私の確かな支えになったから。

 でも、


「元の世界じゃ全然興味は無かったから、この世界限定の知識だなぁ」


 こっちの世界の植物をたくさん知ってても、元の世界ではまるで違うはずだ。たまにコーヒーの木みたいなものがあるのかもしれないけど、自然にはあまり無いだろう。


「覚えることを覚えたのですから、あちらの世界に帰ってもすんなり頭に入ると思いますよ」


 私の何気ない呟きを聞いていたのか、悪魔がそんなことを言う。


「一度、興味をあなたは覚えたのですから、大丈夫ですよ」


 興味がある、ということを覚えたから元の世界の植物も、言葉も覚えられるだろうか。

 そうだといいな。

 それが出来れば、こちらでもそうだったように、私はきっと世界のことがより美しく見えてくるだろうから。

 広い二つの世界を跨いだのだ。私の世界は他人様よりちょっと広いはず。

 だから、つまらない仕事も、運の悪い毎日も、ちょっとは素敵に見えるかもしれなじゃないか。

 帰るの、楽しみになってきたかもしれない。

 もちろん、淋しくないわけじゃない。


 昨日、カルチェから手紙が届いた。

 丁寧に、耳飾りのお礼と近況が綴られていて、最後にまた遊びにおいでと締めくくられていた。どうやら、アグリがカルチェを口説いている真っ最中らしい。戸惑う彼女の気持ちも書かれていた。適当に焦らしてやるといい。あくまで適当に。アグリは自主我慢は好きだけど餌をちらつかされたらこらえ性があまり無いと見た。

 彼女は、私が結婚したということを知らないらしいから、伯爵は本当に私の現住所だけ教えたようだ。自分で報告しろと。今から、手紙の内容を悩まなくては。

 南国の王女さまのポリテイクと、クルピエからも手紙が来た。

 ポリテイクは結婚を儀礼的におめでとうと書いてくれていて、最近南国で流行っているお菓子の話なんかを綴っていた。

 クルピエは、結婚おめでとうございます、とか、妹が会いたがっている、とか言い訳じみたことを書いて、最後に自分も会いたいと書いていた。もう謝らないってことか。それとも会ったらまた謝るつもりか。

 ポリテイク嬢には会いたいけど、クルピエにはまだ会いたくないなぁ。

 クルピエの手紙の内容だけ珍しく訊ねてきた悪魔は、私の応えに「あなたらしい」と言って少しだけ笑った。


「―――東の果ての魔女は元気なんですか?」


 東国の文字、森の歩き方、薬草、お金の使い方、料理の仕方。今思うと、北国風な料理を教わっていたんだと分かるけど、俊藍に教えられたサバイバル知識とはまた違うことを彼女に教えられた。

 気丈で、意地悪で、最後の最後まで私を嫌いだった、魔女。


「エバ・シエルヴァは」


 私の脈絡のない質問に、悪魔は平然と口火を切る。

 

「東国に捕えられ尋問された後、北国に強制送還されました。その後、病に倒れて療養所に入ったそうですよ」


 いつも思う。


「今では自分が何者であるのかさえ分からない状態だと聞いています」


 この悪魔は、自分に関わって巻き込まれた人や死んだ人のことを全て知っているのではないだろうか。

 緋色に近い冷たい瞳で、自分の罪を全て見つめているような。


 気が狂いそうだ。そんなこと。

 自分が殺した人の顔を逐一数えて覚えていたら、きっと正気ではいられない。

 でも、悪魔から狂気の色は全く感じられない。

 それが恐ろしいのか、だからこそ悪魔と呼ばれるのか。


 その得体のしれない男は、今日も私の隣に居る。


「この辺りでは雪はあまり降りませんがね。私の領地ではもう雪の季節ですよ」


 天気の話と物騒な話を同じ口調で話す男が。


 森の冷たい空気を思い切り吸うと、肺が痛んだ。



 山小屋についた私たちは、料理長が作ってくれたおにぎりを食べることにした。すっかり昼食メニュー入りしたおにぎりは、思いのほかおかゆ好きの悪魔にも好評だった。


「かつお、という魚はいませんが、話にあるような魚ならいたかもしれませんね」


 博学な悪魔がそんな情報を提供してくれたので、鰹節を作るのも時間の問題かもしれない。先日すったもんだの末、手に入れたコーヒーはあの木だけでコーヒーがいくらとれるのか分からなかったので、苗木を育ててみることにした。とりあえず農園に十本分の種を植えてみたから、運が良ければ苗木が作れる。とりあえず手の平に乗るぐらい採ってみて、今はあの豆を乾燥させてみている。


 昼食をのんびり終えたら、私たちはさらに森の奥へと入った。

 屋敷をぐるりと囲んでいるという森だが、敷地の中には天然の湖もあるという。なんと。屋敷で使っている水源はまた別だが、こちらも予備水源として埋めたりせずに残しているとか。

……なんだか豆の乾燥とかに比べて壮大な計画です。


 旦那さまはうろちょろする私によく付き合ってくれた。

 最終的には私の方がくたびれて音を上げて木の幹にもたれかかると、悪魔の方は疲れた様子もなく笑ってパイプに火を入れる。


「よく付き合ったものですから」


 ああそうか。

 悪魔の柄にもない穏やかな顔に、納得した。


 私でもこんなに楽しいんだから、先生ならひとしおだっただろう。

 くたびれたけど、懐かしい薬草がたくさん採れた。

 俊藍と原生林を歩きまわったときに教えてもらった薬草もある。

 

 東国は、本当に思い出だらけだ。


 もしも私が元の世界に帰ることができたら、この知識を誰かのために役に立てることができるだろうか。

 私がこんなにアウトドア派になって帰ったら、きっと父は喜ぶだろう。家庭菜園を始めたいと言っていた母にいいアドバイスができるかもしれない。

 人生経験を積んでちょっと大人になった私を弟は見直すかも。というか姉上さまは敬え。


 私は、たくさんの人に生かされた。

 それは比喩でも揶揄でもなくて、本当にたくさんの人の力で生きてこられた。

 

 だから、生きて帰ろう。


 先のことなんて分からない。

 でも、私は生かされた。

 自分の力でもない、神様でもない、運でもない。今まで出会ったたくさんの人に、憎まれて甘やかされて、生かされたのだ。


 そして、この悪魔にも。


 

 私が見上げると、紅い目がすうと細くなった。

 

「今度は、湖まで連れて行ってあげますよ」


 そう言って、子供にするみたいに私の頭を悪魔は撫でる。近頃、これが癖なのか頻繁に撫でてくる。

 こいつは私を殺そうとした。それはきっと事実だ。本気だったんだろう。

 でも、約束をした。

 必ず私を元の世界に帰すと。


 約束は、守られない。

 それが私の人生においての常識だ。

 でも、それでも。


「楽しみにしてます!」


 大きな手を振り払った私を、楽しげに見下ろす性悪悪魔だけは、きっと。

 私との約束を、守ってくれるような気がした。


 きっと、必ず。





ご指摘いただいた誤字を修正いたしました。ありがとうございます。

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