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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
143/209

ハンモックと標本

 本日の昼食はタングンのスープに白魚のソテーでした。王都は微妙に海が近いから海の幸もこうして食卓に並ぶ。

 あー、それにしてもあの木の実、なんだっけ。

 見たことある。

 唸りながら食事をしていたので、見かねたヒンテンに具合でも悪いのかと尋ねられてしまった。何でもないとおざなりに応えた私は、午後もサバンナ庭に繰り出した。


 ああ、何だっけ。

 気になる。

 日も傾き始めた頃には私は庭を一周してしまうところまでやってきていた。

 図鑑の木は見つからない。

 いったいどこで見たんだ。

 さすがのサリーもお疲れ気味で、私は手近な木の元でサリーを休ませることにした。

 あれ、あんなところに一本道が見える。


 えっと。


 何気なく見上げてみたら見憶えのある実が。

 葉っぱとか、これ図鑑通りの!

 なんだこんな近くにあったのか!

……厩舎は屋敷の西側にあって、時計回りに回ってきたから屋敷の南側にある一本道までたどり着くのに時間がかかったらしいです。

 くそ。そうだよ。私が見たことあるんだったら、この一本道で竜車に乗ってる時しかないし! どうして気がつかないかな!


 私は自分を罵りながら木を仰いでちょうど成っている実を眺めた。

 やっぱりあの赤い実どこかで見たことがある。

 気になったら確かめてみたいのが人情です。

 私は木に足をかけた。そんなに高くないけど幹がしっかりしてるから登れそうだ。

 はっはっはー。小さい頃はよく登って遊びました。弟もそそのかして一緒に登ったらよく怒られたっけなぁ。……いえ、私、別におてんば娘じゃなかったですよ。それはもうインドアで。でもアウトドア好きの父の影響で登らざるをなかったというか。ほら、テント張るとかハンモック吊るすとか。

 そんな感じだったんで、昔とった杵柄で私は比較的するすると木を登ることに成功した。目についた太い枝に腰を降ろして、下から見上げるより近くにある実を取る。

 うーん、この実やっぱり見たことある。

 それに匂い。何か青臭いけど嗅いだことあるような。


「奥様!」


 あ、やべ。

 実の中身を取り出そうとしていた私は思わず下を見る。

 結構高いな。


「奥様! 降りてらしてくださいませ! 危ないですよ!」


 のんびり顔のサリーの脇で、フェンが泣きそうになっている。


「大丈夫だって。自分で登ったし」


「でも、降りられなくなったら……!」


 私は子猫か。

 呆れていたら、フェンの隣につんとした顔の女性が現れる。


「降りてらっしゃいませ」


 うわぁ、ミセス!

 ミセス・アンドロイドが冷やかな目でこっち見てる!

 どうしよう。森には行ってないけど、絶対怒られる。

 ミセスの怒り方は半端泣く怖いんだよ。

 声を荒げもしないでただ静かに反省点を私に言わせて謝罪させる。あの重くて冷たい空気といったら、ガリアさんの絶対零度の笑顔に匹敵する恐ろしさ。

 怖い。


「大丈夫ですか。奥さま。降りられますか?」


 良心的な問いかけをしてくれたのはヒンテン青年。お仕着せの上着を脱いでシャツ一枚になると腕をまくって私に手を差し伸べてくれる。使用人の鑑だけど、そこまでしなくていい。


「大丈夫だって。一人で降りられ…」


 る。


 あ、やばい。


 手がすべった。


 足でふんばるけど、靴も滑る。


「葉子!」


 怒ったような声が聞こえる。

 

 バランスを崩した私の体が、近くの枝を折った。

 ふ、太ったつもりはなかったんだけど!

 痩せた痩せたって言われるから、油断してたのか!?


 転がる視界に目を回しそうになっても、私は目すら閉じられなかった。


 あ、駄目だ。

 落ちる。



 バキバキバキ!



 小枝と葉っぱを蹴散らして、私の体は自由落下。

 怪我で済んだらめっけもんだけど、痛いのは勘弁だ!


 ようやく目を閉じたら、どういうわけかいつまで経っても痛みも悲鳴も聞こえなかった。

 痛みを感じる間もないないのか?


 ゆっくりと目を開けると同時に、何だか自分の体がふわふわするような心地に襲われた。

 天国?

 いや、でも私を見下ろしているのは、


「天使にでもなる練習ですか?」


 眼鏡をかけた紅い目の悪魔だった。


 そのクサい例えは何だと言い返そうとして、私は体が浮いていることに気がついた。

 悪魔に抱えられている。

 横抱きに。


「ぎゃあ! 攫われる!」


 悪魔にお姫様抱っこされるとか嫌過ぎる。 

 

「それだけ元気なら怪我もなさそうですね」


 暴れる私を悪魔は器用に抱えたまま、使用人たちに指示を飛ばす。


「フェン、サリーを厩舎へ。ロッテンマイヤーは夕食の準備を。ヒンテンは風呂の用意を。ベンデル、竜車を出しなさい」

      

 かしこまりました、と彼らが頷くのを確認してから、悪魔は私を抱えて竜車に乗りこんでしまう。


「おーろーしーてー!」


 座席についてまで私を自分の膝に乗せるから暴れてやったら、長い溜息をつかれた。何だ!

  

「目を放すとすぐこれだ」


「何が!」


「今日は何に夢中だったんですか。私の可愛い奥様」


 覗きこまれて思い知る。小さくはないはずの私を抱えて軽々と今も私を膝に乗せている悪魔は小揺るぎもしない。触ったこともない硬い体が思ったよりも大きくて丈夫で、私の嫌な記憶を呼び起こした。

 

 簡単に私を抑えつけた、あの夜の。

 

 肩を抱き寄せられて震えた私に気付いただろう。

 それでも悪魔は私を膝から降ろさなかった。

 ただ抱きよせて、冷たい指で私の手をさする。

 悪魔のくせに彼の周りの空気は何故か水のように冷たくて、澄んでいる。冬の朝の空気を纏うようで、まるで人の気配を感じさせない。

 男に抱き寄せられている感覚を、私から徐々に奪っていく。

 

「……この実を採ろうとしていたんですね」


 耳元の声が静かで、毛羽立っていたはずの私の気分を撫でつける。

 鼻に届いた吐息がふわりと苦い。


 あ。


「これ、コーヒーの実!」


「コーヒー?」


 聞きなれない単語だろうに、すぐに私の発音を理解したらしい旦那さまだったが、それでも不思議そうに私を見る。


「あの木は、カッフェという名前ですよ」


 なんだ、そのもっともらしい木の名前は!

「ああ、そういえば」と悪魔も何か思い当たったらしく、赤い実を見ながら説明してくれる。


「あの木は何代か前の当主が北城一族の宰相から譲られた木だそうですよ」


「それだ!」


 北城一族は迷い人の一族だ。だとしたら、


「あの木、私の世界にあった木かもしれない!」


「それで、その実をどうするのですか?」


「コーヒーが飲める!」


 あの苦くてまずい黒い飲み物が! 

 うっとりしてたら、またも不思議そうな顔で悪魔が見てきたけど、


「枯らさない限りは、どう使っていただいてもいいですよ」


 あっさり許可をくれた。

 こういう気前のいいところは好きだよ。


 竜車が止まって降りようとすると、また抱えられた。


「降ろして!」


「もう少し大人しくなるまでお仕置きです」


 玄関で出迎えてくれたミセスとヒンテンに珍獣を見るような眼で見送られ、私はお姫様抱っこのまま悪魔に連れ去られた。


「どこまで行くんですか!」


 文句を言いっぱなしの私に「はいはい」とおざなりに相槌を打ちながら悪魔が連れてきたのは、彼の書斎。

 部屋の前まで来てようやく降ろされると、なんだか地面がぐらぐらする。

 それでも「どうぞ」と悪魔が手招きするのでどうにか自分の足を動かした。また抱えられたら目も当てられない。


 そういえば、書斎に入るのは初めてだ。


 別に用もないし、屋敷に居るときにわざわざこの悪魔を探して回る用事もなかったから知っていたのは場所だけ。

 招き入れられて、まず目についたのは、


「あ」


 棚に飾られた植物標本だった。

 見やすいように一列に並べられていて、よく見ると季節順に並んでいる。

 思わず駆け寄った私を後ろから笑って追いかけてきた悪魔は、標本の一つを指さした。


「カッフェの標本ですよ」


 その標本は、葉や実、そして実を分解したものまで標本にしてある。この見憶えのある種。やっぱりコーヒーの木だ。


「この屋敷にあるあの木を珍しがりましてね。確か観察記もあるはずですよ」


 ワンルームマンションがすっぽり入りそうな部屋に、びっしりと並んだ本棚から悪魔は一冊の手記を取り出して、自分が使っているらしい窓際の執務机に並べて見せてくれた。そもそもこの部屋には机はこれしかない。他人を入れるために作っていないんだろう。


 その手記の字には、見憶えがあった。


「これって」


「兄の物です」


 見上げた紅い目が、思っていたよりも近くて驚いた。

 私は思わず後ずさるけど、悪魔はそれほど気にした様子もなく並べた標本を見回した。


「この標本も全部そうです。貰い受けてきました」


 そういえば、この標本片付けたことがあるかもしれない。

 

 墓も、名前も、きっと先生は忘れられていく。

 でも、私は忘れない。

 そしてきっと、この冷酷非情な悪魔も。


「兄は、カッフェの実は薬になるかもしれないと研究していたようですが、この実をどうやってコーヒーとやらにして飲むのですか?」


 純粋に興味があるようで、私の持ってきた赤い実を長い指でとると悪魔はしげしげと眺めている。

 悪魔を驚かせるのも面白いかもしれない。


「実の中の種を取り出して、火であぶって粉にするんです」


 問題はこのコーヒーっていう概念がない世界でどうやって焙煎して粉にするか、だ。


「どんな味なんですか?」


「それは、」


 答えかけて、やめる。

 苦くてどこか香ばしい香りの正体が分かった。

 この悪魔の好きな煙草の匂いだ。

  

「出来たら、一番に飲ませてあげますよ」


 意地の悪い顔で笑ってやったというのに、悪魔も心得たものでいつものように胡散臭く笑う。


「楽しみにしていますよ」


 絶対コーヒーを作ってやる。


 悪魔の微笑みがどこか優しく見えたのが悔しいから。

 



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