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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
139/209

花と灰皿

 どれぐらいそうしていただろうか。


 墓の前に座り込んでいた私は、自分が森の中で長い時間我を失くしていたことをお尻の痛みで知った。

 何か、めっちゃ痛いんですけど。


 ようやく動き出した私を見つけたのか、「やっと動いたぁ」とひと掃除終えてきたらしい美女がすとんと私の隣に座り込んできた。おお、すごい揺れる。胸の地震だ。……私の思考は残念です。ごめんなさい。

 名前をローゼだと名乗った美女は、私のいかがわしい目線をものともせず、とろんとした目で私を眺めてくる。


「あなた、もうここに来ない方がいいよ」


 今度は、私がローゼを黙って見つめた。


「ここにはねぇ、ああいう人が来るところなの」


 ああいう、というのはいつの間にか居なくなったあの人のことだろうか。

 そうなのかもしれない。

 思い出に囚われて、忘れられない過去を見つめる場所。

 それがこの墓地なんだろう。


「―――また来ます」


 しびれた足腰を叱咤して、私はどうにか立ち上がる。

 ウィリアムさんは、私を殺そうと思えば殺せる。

 でも、殺さなかった。今日は。

 また会ってしまったら、彼は腰の剣に手をかけずにいられるだろうか。

 彼は、私の姿を見るたびに、きっと婚約者だったセルジュワさんを思い出す。

 それが辛いのだ。

 何もできない私に、恨み言を言わずにはいられないほど。


 ローゼさんは私をおっとりと眺めて「変わってるわねぇ」と笑った。

 そうかもしれない。

 でも、


「今度は、花を持ってきます」


 私は物言わぬ墓にもすがらないと、自分を救えない愚か者だから。



 竜車まで戻ると、御者のおじさんはのんびりと本を読んでいた。


「お待たせしました」


 特別強面というわけではないが、ひげ面のこのおじさんはとにかくぴくりとも表情を動かさないから、いつも何を話していいか分からない。


「あの」


 無駄口を叩こうとしてもおじさんは早く乗れと言わんばかりに顎で竜車の箱を指す。

 仕方なく荷台に乗り込もうとタラップに足をかけて、ふと訊ねたいことが浮かぶ。


「サリー、元気ですか」


 要塞城から連れてこられてからこのかた、厩舎が分からないから会えていない。


「屋敷の西の厩舎に居る」


 一瞬、誰が喋ったのか分からなかった。でもおじさんが不機嫌に顔を背けたので、あっと思う。おじさんが喋った!


「会いに行ってもいいですか!?」


「ああ」


 おじさんが頷くのだ。彼女はきっと元気だろう。

 何の根拠もなく、ほっとした。


 珍しく「どこへ行くんだ」と言われて「帰ります」と答えたら、竜車はゆっくりと動き出す。

 座席に腰を落ち着けてみると、長い溜息が口をついた。


 緊張していたのか。


 指先が小さく震えているような気がする。

 

 ウィリアムさんは言った。

 私が東国王である俊藍、いや、ヘイキリング陛下に愛されなければ、セルジュワさんは死ななくて済んだかもしれないと。

 彼は、あの戦場で私が死んだと知って、騎士と有害銀髪を罰したのだろうか。なら、あの東の魔女はどうなったんだ。


 知らないこと、知りたくないことが多すぎる。


 今までは、生きるだけで精一杯だった。

 だから、考えるのは自分のことだけで良かったし、助けてくれた人に感謝するだけで良かった。

 でも、私の周りの世界は常に変化し続けていて、その変化を私は今になって目の当たりにしつつある。

 

 私が生きて戻らなければ良かったのだろうか。

 少なくとも、私があの悪魔と結婚して東国に長く留まることにならなければ。

 

 いっそ、私が死んでいれば。


 もう指の先の感覚は残っていなかった。


 ただ、絶望にも似た暗い思考の渦に呑みこまれて、私の意識は途切れた。




 生きろ、と言われた。

 だから生きようと思った。

 訳の分からないことで殺されてたまるかとも思った。


 それは、誰かの命を犠牲にしてでもと願ったことではないはずだった。

 誰かが死ぬなんて嫌だ。

 私は、その命の重みに耐えられない。

 数なんて関係ない。

 彼らは全員、血の通った人間で、みんな温かい手をしていたのだから。





 ふと、苦い香りに目が覚める。

 またか。

 でもここは、屋敷のベッドじゃない。


 身を起こしてみると、長椅子だった。でもワイン色のそれに見覚えはない。

 ぱさりと紙をめくるような音がして、私はようやく他人の存在を知る。

 窓の光をよく取り入れるように置かれているのは書斎机というやつで、その大きな机でひたすら紙をめくっている赤銅色の髪を見つけて、溜息が出る。

 道理でこの匂いがするわけだ。


「―――どこですか。ここ」


 泥だらけだったはずのチャリムの上着がない。最近ではチャリム一枚だと少し肌寒いのに、この部屋は少し涼しい程度の感覚だった。

 見慣れてしまった赤銅色の頭はこちらをちらりと見たけれど、紙に目線を落とす。


「城の、私の執務室ですよ」


 私は屋敷に帰ると言ったはずだが。

 私の不貞腐れた気分が伝わったのか、お仕事中の旦那さまは傍らに置いたままだったパイプをひと吸いする。


「ベンデルが連絡を寄越してきたのですよ。奥様がうんともすんとも言わないとね」


 ベンデルって名前なのか。あの御者のおじさん。

 というか、寝てたのか。私。

 でも寝ていたにしては気分は重い。お腹の中に何かが溜まりこんでいるように。

 体もだるかった。

 そもそも荷台で寝ていたなら、屋敷まで連れて帰って叩き起こしてくれればいいのに。

 そう愚痴を口にしても、悪魔の仕事の手は止まらず、私は少しだけ不満を覚えた。

 何故だ。無視は上等なはず。

 疑問が頭の中を巡るのに、何故か物足りない。

 あの夜のように、宥めるように悪魔が私の頭を撫でていないからか。


 馬鹿馬鹿しい。


 自分の寒い答えを振り払うように立ち上がると、少し立ちくらみがする。そういやランチがまだだった。


「じゃあ、帰ります」


「待ちなさい」


 呼びとめられて、振り返って、後悔した。

 パイプを手にした悪魔が、胡散臭い笑みをやめてこちらを見ている。


「墓地で誰かに会いましたね?」


 ここで私が答えなくても知っているだろうに、あえて私の応えを待つようにこちらを眺める紅い目が急に怖くなった。

 でも、ここで黙りこんでもどうしたって、私はこの悪魔に応えさせられるような気がする。

 私は小さく息を吸いこんで、重い気分と一緒に吐きだす。


「ウィリアムさんに、会いました」


 眼鏡の奥の紅い目がすがめられる。


「ウィリアム・文月・バークランドですね」


 この悪魔は、彼の事情すら知っているのだろうか。

 知っていても、きっと顔色など変えることなどないだろうが。


「墓地へ行くのは、しばらく控えなさい」


「嫌です」


 いつもよりも強い口調で言われたというのに、さっきの怖くなった心を忘れたように私ははっきりと応えていた。


「花を持って行くって、約束したんです」


 そう言った私と、悪魔はしばらく睨み合った。

 でも、どうしたわけか、悪魔の方が先に紅い目を逸らせてしまう。

 溜息をついて吐き出すように言う。


「―――私は、あなたの望みは叶えると約束しましたからね」


 溜息をつきたいのはこっちだ。こんな気分の重くなることばっかり。


「教えてください」


 知りたくない。でも、


「どうして、バーリム先生たちは死ななくちゃいけなかったんですか? どうして私は、あなたに殺されなくちゃ、いけなかったんですか?」


 泣いてしまう前に、知らなくてはならない。


 紅い目の悪魔は、私をじっと見つめてからパイプの灰を灰皿に落とした。そして席を立つと、私の前までやってくる。

 腕を伸ばせば私に触れられるかどうかというところに立って、こちらを見下ろしてくる。


「……あなたを陛下に会わせたのは、私の落ち度です」


 前とは違う。

 会ってはいけなかった。前はそう言い切った。

 言い切ったのに。

 触れ合ってもいないのに、まるで私の震えが伝わったかのように紅い目が細められている。だからだろうか。私の指の震えはひどくなるばかりだ。


「バーリム達の罪は、間接的とはいえ戦争を引き起こした重いものです。ですから陛下のご判断は正当であったと思います」


 ですが、と静かな応えは続ける。


「陛下は、元凶である私を生かした。だから、バーリム達に与えた罪が正当ではなくなってしまった」


 泣きたくなった。


 この悪魔を殺せなかったことで、俊藍は目を曇らせていたことが誰の目にも明らかになってしまったのだ。

 正当な判断だった。けれど、その判断に誰もが疑問を抱いてしまった。


 私のせい。


 私のせいなのか。


「あなたのせいではありませんよ」


 そう、すがりつきたくなるようなことを悪魔が囁く。

 耳を塞ぎたくなって、実際に私は耳を塞いだ。

 でも、くぐもった声が聞こえる。


 私以外の、誰のせいでもありません、と静かに悪魔は言う。


「だから、あなたは私を憎んでいいんですよ」


 嫌だ。

 そんなものに、自分を支配されたくない。


 支配されたらどうなるのか、もう見てきた。

 自分の感情だけに押し流されて、自分の周りは真っ暗になって、思い出も未来も望みも何も見えなくなってしまう。

 

 どうして今、そばに居るのがこの人なんだろう。

 

 この人の隣に居ると、私は自分の暗闇を否応なく取り出して見せつけられる。

 それがとても嫌だというのに、今一番、私の近くで私の話を黙って聞いてくれるのは、この人だけだ。

 

「あなたの知りたいことは、何でも教えてさしあげます」


 まるで契約を迫る悪魔のように見えるのに、私に腕を差し出すその人の囁きはどこまでも静かだった。ゆっくりと私の視界を暗闇に閉ざして冷たい夜に誘うというのに。

 

 それが、とても優しく感じるほど。




一部改訂しました。

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