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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
138/209

人と石碑

「生きていたんだね」


 オーラが眩しかったはずの色男がなりをひそめ、彼は暗い瞳で私を見た。

 間違っても、私が生きていることを喜んでいる瞳じゃない。

 それが分かったから、私は必要以上には近寄らず、一緒に来た美女の隣で立ち止まる。

 そのことに気がついたはずのウィリアムさんも、何も言わなかった。


「お久しぶりです」


 私がそう言うと、ウィリアムさんは少しだけ笑う。


「元気そうだね」


「おかげさまで」


 社長とだってこんな寒い再会の挨拶じゃなかった。

 私は奥歯を密かに噛んだ。

 対するウィリアムさんも、何かに耐えるように目をつむってからやがて口を開く。


「結婚したんだってね。おめでとう」


「いえ」


 今、何をしているのか、とか、どうして社長のそばには居ないのか、とか尋ねることはたくさんあるはずなのに、私は質問一つ口にのぼらせることができなかった。

 森の真ん中の新しい墓の前で、石碑に刻まれた名前をなぞっている人に、何を言うことができるだろうか。

 私が、墓の前の石碑を見ていることに気がついたのだろうか。ウィリアムさんは少しだけ自分の体を引いて、再び石碑に視線を落とした。


「これを見に来たの?」


 見に来た、というよりも会いに来たんです。

 そう答えると、彼はまた少しだけ目を丸くした。


「誰か、知り合いが?」


「十一人居るんです」


 私の答えに満足したのかは知らないが、ウィリアムさんは少しだけ納得したのか「どうぞ」とだけ言って墓から少し離れてくれた。

 そちらへ行けということか。

 知っている、それもそれほど険悪な関係ではなかったはずの人に私は緊張したが、墓から一歩、また一歩と遠ざかるウィリアムさんを見ながら墓に近づいた。


 かまくらによく似た墓は、目の前に立つと存外大きかった。決して小さくはない私の背からも見上げるほどで、周囲は大人が何人か手を繋いでも足りないほどだろう。

 まだ草もあまり周りにない新しい墓には手向けられた花もなく、ただ真新しい石碑だけが置かれていた。

 彫り込まれている名前を順に目で追って、見憶えのある名前を十一人見つけた。

 

 ああ。


 溜息が洩れた。

 彼らは、本当にこんな風に死ななくてはならなかったのだろうか。

 私もウィリアムさんと同じように石碑の名前をなぞらずにはいられなかった。


 いつも優しかったヨルダのおじさん。

 いつだって楽しくおしゃべりしてくれたウェンダ青年。

 派手だったけど温かく指導してくれたヨアヒム先生。

 いつも美味しい料理と笑顔で迎えてくれたスクリームさん。

 頭は軽かったけど馬鹿話で一緒に盛り上がったフリエル。

 無口だったけど意外と優しかったクーリガン先生。

 優しくて奇麗で優しく見守ってくれてたセルジュワ先生。

 マッチョでおおらかな良い先生だったリカインド先生。

 熊みたいだったけど面倒見の良かったザイラスさん。

 畑談義で語り明かした変人だけど優しかったヴェイユさん。

 

 そして、ドエスで義理のお兄さんの、バーリム先生。


 誰も罪から逃れる気はなかったと言った。

 罰と聞いて誰もが、安堵の息をついたとも。


 それでも、いくら生前、彼らの言葉を聞いても、残った人は死んだ人のことを悔やまずにはいられないのだろう。

 それはもう、戻ってくることはないから余計に。


「―――君が、悪くないことは知っている」


 低い声が、しゃがみこんだ私の頭の上から響いた。

 私の背から暗い影がひっそりと覆うように立っている。


「でも、君がいなければ、彼らは死罪にはならなかったかもしれない」


 私が。

 私のせい?


「君が、陛下と出会わなければ、陛下はこれほどの罪を彼らに告げなかったかもしれない」


 私が、俊藍と、出会ったから、先生たちは?


「君が、陛下に愛されなければ」


 セルジュワは死ななかったかもしれない。


 喉が凍った。

 

「セルジュは、君を恨んでいなかったよ。いつだって悪いことをしたと悔やんで、自分の罪は当然だと言った」


 でも、それでも。

 彼女には生きていて欲しかった。


「だから、私は愚かだから、生き残った君を恨んだ」


 森が鳴る。

 陰影が揺れて、ざわめいた。


 すまない。

 

 消えゆくような声が聞こえる。

 愚かだと分かっていながら、止められないものがある。


「ヨウコ、君を目の前にしたら、私は己を抑えることができない」


 闇に溶けていくような声に、私は場違いにも聴き惚れた。

 その声は、とても、とても儚くて美しい。


「セルジュワは、私の婚約者だったんだ」


 家と家同士が決めた、美しいが堅物の彼女を疎んで何人もの愛人を作った。それでも彼女はその美しい相好を崩さない。

 けれど、


「最期の日、彼女は笑ったよ。君が生きていることを知って。私が教えた」


 それがとても悔しかった。


 夜が引いていくように暗い声は私の背から消えていき、あとには元の明るい森が戻った。

 私は闇に魅入られたように振り返らなかった。

 

 ただ悲しくて石碑を何度もなぞる。


 なんて、愚かなんだろう。

 

 私も、人も。



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