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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
137/209

墓地と馬鹿

 翌朝、悪魔の旦那さまに寝顔を眺められたことを散々愚痴り倒して、朝食を終えたあと、伯爵は領地にお帰りになると言ってきた。


「そんな、もっとゆっくりしていってもいいじゃないですか」


 東国の観光でも。私もしたことないんですが。

 そういう私に伯爵は昨日とは違うスリーピースのフロックコート姿で優雅に笑う。


「私もガリアも西国の立て直しに忙しくてね。名残惜しいが、今度は手土産でも持って遊びにくるよ」


 そうそう、と伯爵は慌ただしく身支度を整えて玄関ホールまで歩を進めながら、自分の懐から見憶えのある万年筆を取り出した。


「あ!」


「そうだよ。君の送ってくれた万年筆だ。良いものをありがとう」


 なけなしのお金で送った甲斐があるというものだ。


「お茶も美味しゅうございましたわ。使用人にはもったいないお気づかい、ありがとうございます」


 ガリアさん達、皆で飲んでくれたらしい。実はけっこう大量だったのです。


「あのグラスは旦那さまのお気に入りなのですよ」


と、教えてくれるので伯爵を見遣ると、伯爵は珍しく少し照れたように笑って、


「娘からの贈り物は、存外嬉しいものなのだよ」


 嬉しいことを言ってくれた。

 カルチェも耳飾りを喜んでくれたようで、私の連絡先が固定されたから近々知らせてくれると伯爵は言ってくれた。そうか。カルチェも気に入ってくれたのか。砂漠の国のお姫様に気に入ってもらえるか分からなかったけれど、あの細かい細工のついたイヤリングは彼女にぴったりだと思ったんだ。

 南国から東国に行く途中、旅先で手に入れたほとんどの物は成り行きで捨ててきてしまったから、先に送っておいて本当に良かった。これはクルピエに感謝だな。


 伯爵は自前の馬車でやってきたらしく、すでに屋敷の玄関に横づけされていた馬車に乗り、御者は何とガリアさんだった。他の皆は本当に忙しいらしい。


「忙しいのに、会いに来てくださってありがとうございました」

  

「元気で。いつでも帰っておいで」


 そう言って伯爵は私の頭を撫でて、馬車に乗り込んだ。


「伯爵も、ガリアさんもお気をつけて!」


 私は二人の馬車が、屋敷を覆う森に見えなくなるまで手を振った。

 

 ほとんど裏切ったような私を、まだ家族と見てくれる人がいる。

 それだけが、嬉しかった。



 続けて、旦那さまが城に行くというので、私も便乗することにする。私用に竜車を出してくれるとも言うが、不愉快だが相乗りする方が効率がいいから仕方ない。

 いつものように、ロッテンマイヤーさんにだけ見送られて竜車に乗り込む。

 私が希望退職宣言してから、あまり他の使用人さん達と顔を合わさなくなっていた。まぁ、気持ちは分からんでもない。リストラを狙っている人事担当の顔は、なるべく見たくないものだ。


「今日は、どちらへ?」


 伯爵と私の会話にまるで透明人間になったかのように割りこんでもこなかった悪魔が、竜車の箱に揺られながら、ようやく口を開いた。あんまり影薄くしてるから誰かと思ったよ。


「今日は、共同墓に行きます」


 皆に会いに行くには花束一つ持っていないけど。だって、悪魔の庭には色気のある花一本生えていない。悪魔に頼むのも癪に障るし。

 

 当の悪魔は「そうですか」とだけ呟くように言って、普段なら私が怒鳴るから吸わない煙草のパイプを取り出す。睨んでみても、どこ吹く風だ。素知らぬ顔であっという間に刻み煙草をパイプの先に詰めてマッチで火をつけてしまう。

 もわり、と煙が上がって、私は竜車の窓を開けた。


「……止めてください。煙草」


 嫌いなんです、と続けると、悪魔がようやく私を見た。そういえば、この男、さっきからお得意の胡散臭い笑顔じゃない。無表情に私を見て、ふっと煙を吐く。

 何だか、怒っているような、苛立っているような。

 原因は? 私か? 伯爵か?

 どちらにしたって、何かやった覚えもないから八当たりに等しい。


「煙草を止めたら、私は何かいただけるんですか?」


 は?


 言われた言葉が何だかよくわからない。噛み砕くようによく考えてみた。

 あいつが、煙草を止めたら。私があいつに何かくれてやらなくちゃならない?


「ふざけんな!」


「では、私が煙草を止める必要はありませんね」


 ぷかりと紫煙を竜車の箱の中でくるらせる目の前の男が分からない。

 窓を開けていても、苦い香りが箱の中に充満した。ああ、イライラする!

 どうしてこの香りに落ち着けたりしたんだろう一昨日の私!

 

「あーもうわかりましたよ! そんなに欲しけりゃ、煙草止めさせる物くれてやる!」


 気がついたらこんなことを口走っていた。


 私の馬鹿。





 望みの解答を引き出せたからか、要塞城に着く頃にはどこか上機嫌になっていた旦那さまが竜車を降りてから (後ろ姿に舌を出してバーカってやってたらばっちり見られた) 私は無愛想な御者に連れられて、要塞城から離れた。


 城を囲む森の奥深く。人里もあるかわからないような場所にそれはあった。


 いつもならすぐに帰ってしまう御者のおじさんは、私を降ろしてもその門の前から去ろうとはしなかった。待っていてくれるらしい。振り返ると、さっさと行けというように手をしっしとやられた。犬猫の扱いだったけど、待っていてくれるなら有難い。こんな場所に放り出されたらどうやって帰ればいいのか分からない。


 低い石壁の間の小さなを門の隣には、金属のプレートで小さく書かれている。

 犯罪者墓地。

 罪人ばかりが葬られるという墓地。


 ツタの絡みついた門を自分が通れるほど開く。鍵はないようだ。

 門の中に滑り込んだら、そこは、広大な墓の庭だった。

 日本の墓石とは違う、正方形に近い四角い墓石が視界いっぱいに並んでいる。周りは深い森だけど、ここだけは野原のようで、思いのほか整備された道は明るかった。ところどころにある木々も明るい色をしている。

 まぁ、夜には来られないだろうけど。

 花さえ持っていない私は何をしにきた人に見えるのだろうか。

 私は墓地の奥にあるという、共同墓を探して辺りを見回す。

 墓石があるのは、北の塔で死んだ貴族の罪人のものだ。

 貴族と認められない者は墓地の奥にある共同墓に葬られるという。

 ずらりと並んだ墓の野原は、広い。

 これだけの人が、無念のうちに死んだというのか。

 誰もが無念というわけではなかったのかもしれないが、天寿をまっとうしたとは言えないだろう。

 もっとも、私の基準で図れるものではないだろうから、何ともいいようがないが。



「あら、珍しい」



 誰もいないと思っていた墓地で、後ろから声をかけられたとしよう。


 大声で叫ばないのは、心臓に毛が生えてる奴だけで。


 私は例に洩れず、大声を張り上げた。



「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!」



 なむあみだぶつ、悪霊退散! 私は食べても美味しくありません!


 最後の方は自分でも何を言っているのかわからなくなっていたが、とにかく声が枯れそうなほど叫んだ。

 一通り私のボキャブラリーが出尽くした頃、声の主はのんびりと私に再び声をかけてきた。


「落ち着いたぁ?」


 慣れているのか声の主は落ち着いている。よく聞けば、女の人だ。

 私はすっかり乱れた息を整えながら、振り返る。


 およそ、墓場に立っているのが想像のつかない女の人だった。

 

 金色の髪にピンクのメッシュを入れた髪は芸術ですかと言いたくなるほど奇麗に巻かれ、風にふんわりとなびいている。白い小顔には垂れた鳶色の瞳、オレンジのルージュの引かれた唇。ボリュームのあり過ぎる肢体を包むのは、真っ黒なチャリムだった。どこのお水のご商売の方ですかという出で立ちだが、その白い指にはホウキとちりとりが握られている。


「いらっしゃぁい。珍しいお客様」


 彼女は間延びした口調でにっこりと笑って、墓石の隣に掃除用具を置いた。


「さっき、竜車で来た人ぉ?」


「あ、はい」


 落ち着きを取り戻すうちに、ようやく私は彼女がホラーの主役ではないことを認めた。このあらがいようのない日本の女子高生的な存在感でホラーだったらびっくりするわ。


「どんな御用ぉ?」


 とろんと居眠りしているみたいな彼女は豊かな胸の前で腕を組んで微笑む。谷。チャリムに谷が出来てる。すごい。……おっと、失敬。


「共同墓を探してるんです」


「共同墓ぉ?」


 そう言って、彼女は小首を傾げた。どうやっても男をそそるようにしか見えない女もいるもんだ。すごいな。


「共同墓はぁ、けっこういっぱいあるからぁ。いつの共同墓?」


 いつ? いつとな!

 そんなにあるのか。

 何だかショックを受けながら、私は「一番新しいのは」と尋ねた。


「それならこっちぃ」


 案内してくれるらしい。

 私は美女の妖艶な丸いお尻くっついて、墓地の奥へと向かった。


「あのねぇ、共同墓に来る人って珍しいのよぉ」


 前を行く真っ黒チャリムの美女は華奢な肩越しに私を振り返って言う。


「犯罪者なんかのお墓に来るってぇ、とっても変な目で見られるからぁ、家族でも全然来ないのぉ」


 そう、なのかもしれない。犯罪を犯した家族を、見舞おうという人は少ないだろう。


「たまに来るのはねぇ」


 鳶色の瞳が細くなったような気がした。


「恨みを持つ人」


 死んだことを確認しに来るように来る。


 私もそう思われているのだろうか。

 事実、そうなのかもしれない。死んだことの確認。

 私は、不思議と静かな気分で美女の瞳を見た。


 墓地の奥の日の射す森に入ると、美女は私から視線を外して、それきり何も言わなかった。

 共同墓は、森に入ってすぐにあった。

 日の射す森の中を横一列に、石を積み上げたかまくらみたいな墓が丸い古墳みたいに並んでいる。

 どこまでも続くその先を、私は結局目では辿ることはできなかった。


「こっちよぉ」


 美女はその墓の列を右に私を誘って「ここ」と案内してくれる。

 墓の列の一番右端。

 その前には、先客が居た。

 美女を見遣ると彼女も少し驚いているようだった。


「いつのまに来たのかしらぁ?」


 細い首をひねっているから、美女の知らない間にやってきたらしい。

 

 かまくら墓の前に置かれた石碑をなぞっている男には、見憶えがある。


 首の後ろで藍色の髪をくくった、長身の色男。きっとその目は藍色だ。

 それが騎士の制服だと知ったのはごく最近だったけれど、黒の詰襟服の人はこの森では異質だった。



「ウィリアムさん」



 いつか、私を愛人にと言った色男は、私を見止めて少しだけ驚いて、やがて悲しげに微笑んだ。




ご指摘いただき誤字を訂正いたしました。

ありがとうございました。

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