表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
136/209

夜更けのパーティ

「さて」


 夕食の片づけを言いつけて、先に辞したヨウコを除いた三人はダイニングの隣に設けられているシガールームに通された。深い緑で統一された応接セットが一基だけ置かれたその部屋は広くも狭くもなかったが、この三人で入ると息苦しくもある。

 葉巻でも、と勧められたが、コローラル・ド・メフィステニスは先ほどまでの和やかさをどこかに忘れたような冷たさで断った。

 その変化にすぐに気付いた目の前の男は、口の端を上げただけで何も言わずに自分の懐から愛用のパイプを取り出すと刻み煙草を詰め始める。


「―――随分と、使用人が少ないようだが?」


 流れるようにパイプに火を入れる男を眺めながら、コローラルは肘掛け椅子に腰かけた。その脇にガリアが影のように控えて、じっと赤銅色の髪の男を見据えている。

 この男、ラウヘル・小雪・トーレアリングは、ほとんど誰にも知られることなく、ものの数日でコローラルの養い子であるヨウコの夫に納まった。あまりの手際の良さに、コローラルが部下から報告を受けたときは、すでに彼女たちの結婚式が終わったあとだった。

 ラウヘルは煙を吐きだしたあと、ゆっくりと再び吸いこんでようやく二人に目を向ける。


「これから更に減る予定なのですよ」


「何?」


 小さいとはいえ、数十の部屋があると思しき屋敷と森まで擁する敷地を管理するのに、コローラルが見た使用人はたった数人。ガリアの見た限りでは三十人にも満たないという。

 この屋敷とほぼ規模は同じだろう、コローラル自身の屋敷の使用人、七十人余りでも少ないと思われるというのに、だ。


「妻の希望でしてね。明日には希望退職者がここを出ていくことになっています」


 大人数を自分ですべて把握できないからという理由だという。退職後の仕事の斡旋などはしっかりと行おうというところはあの娘らしいが。


「……貴族の妻になるということは、そういう人心掌握も出来てしかるべきだ。それを教えてやらなかったのかね?」


 貴族に嫁入りするということは、その家の女主人となるということだ。だから、普通は姑が厳しく嫁を指導するものだし、使用人の扱いにも慣れなくてはならない。

 ヨウコは頭のいい娘ではあるが、貴族の生活というものに馴染んではいない。

 コローラルの屋敷で好きに過ごさせていたのは、彼女の心の安定がまず不可欠だと判断したからだった。


「私にとっても都合が良かったのですよ」


 紫煙を吐きだしながら、不本意ながらコローラルの義理の息子となった男はパイプを手元に戻したかと思うと、備え付けの棚に並んだ酒瓶の一つを取って栓を開けると、掃除された絨毯の上に垂らす。


 すると、絨毯から酒ではありえない不自然な煙が上がった。


 察したガリアが急いで手近な窓を開ける。


「毒か」


 椅子に腰かけたまま、無残に溶けた絨毯をコローラルは見つめ、そして酒瓶を逆さにしたまま肩を竦めた男を見遣る。


「幾ら使用人を選別しようが、こういう輩が紛れ込むものでしてね」


 ほとんどが小遣い稼ぎ程度の意識なのでしょうが、と笑うラウヘルは最後の一滴まで酒だったものを流し落としてすっかり中身を絨毯に空けられた酒瓶だけを棚に再び戻した。


「使用人の数が減れば対処はしやすい。持つべきものは、勘のいい妻というわけでしょうかね」


 いつも同じはずの笑顔が、どこか朗らかにも見えて、コローラルは意外な心持ちになった。この男は、はなからヨウコを妻に迎えようとしていたわけではなかったはずだ。


「―――やはり、我が家へ連れ帰るべきでは」


 珍しく、使用人の禁を破ったガリアは、探るように赤銅色の悪魔を睨みつけている。それでも、コローラルが白手袋の手を振ると、静かに影へと戻った。

 そのやりとりを興味深そうに見ていたラウヘルは、パイプの煙を燻らせて笑っただけだった。


「君が狙われているだけならまだしも、ヨウコまで狙われるようなら、私たちは今すぐにも彼女を連れて帰るが?」


「まぁ、確かに。七十七師団の方々が睨みを利かせていれば、よほどの馬鹿で無い限り葉子に手をかけようとはしないでしょうが」


 刻み煙草の灰を取りだした灰皿に落として、ラウヘルは最後の煙を吐きだす。


「彼女と約束をしたのですよ」


「約束?」


「彼女の望みは何でも叶え、何物からも守り、ずっとそばに居ると」


 特別大きな声でもないラウヘルの声が、部屋に静かに残った。

 まるで神に誓いを立てるような声に、コローラルは黙って男を見据える。


「ヨウコから奪うばかりの君に、何が出来るとも思えないがね」


 コローラルの言葉に、男は少しだけ目を伏せた。それは一瞬だったが、ラウヘルの、いつもの人を食ったような凪いだ雰囲気は何故か揺らいで、苛立ったように見えた。


「―――あの娘が、本当に強いばかりの娘だとでも?」


「何?」


「葉子という娘から、何かが奪えるとでも?」


 はっきりとした強い口調に、コローラルは娘が自分の屋敷に居た頃の部下の報告を思い出す。

 ヨウコは、記憶を取り戻したものの、時折、意識を無くすことがあった。

 本人は意識をしていない、もしくは覚えてもいないようであるし、ほんの一瞬、物を取り落としたり、青い顔で立ちつくしていたりするだけで、生活に支障をきたすほどのものではなかったが、それが戦場での経験の後遺症だということはすぐに知れた。

 ごく普通の娘なのだ。

 特別な訓練を受けたわけでもない、それほど強い意思を持つわけでもない、ごく平凡な。


「私は、彼女から何か欲しいわけではありませんよ」


 静かな吐露は、目の前のラウヘルという男のごくごく珍しい本音のようにも取れて、コローラルは思わず目を瞬かせた。


 まるで、ずっと彼女のことを知っているような。


 変なんです、と娘は言った。うまく旅が進み過ぎたのではないか、とも。彼女の旅路は簡単なものではなかったはずだ。それでも、怪我ひとつせずに東国までたどり着いたのは、おかしい、と。


「伯爵がわざわざおいでくださったのは、こちらとしても有難いことでした。あなたの正式なサインをいただけませんか」


 コローラルが深い思索に耽るのを拒むように差しだされたのは、東国の婚姻証明書だった。西国でもそうだが、東国でも親、もしくは後見人の直筆のサインが必要だ。

 テーブルの上に置かれた証明書に、娘の文字を見つけてコローラルは理由のない安堵を覚えた。これが、思索の答えようにも思えた。

 何の変哲もなく、愛情も、恋情も、憎悪や嫌悪さえもなく、唐突に決まっただけの、誰も反対できなかっただけの結婚の証明書が、どこか温かに見えたのだ。

 たかが紙一枚の契約書が人の情すら持つとしたら、それは何と不思議なことか。

 コローラルを、非難するような視線でガリアが見つめている。

 この証明書にコローラルがサインをしなければ、いくら式を挙げていても書類上では正式に結婚したことにはならない。

 世界の情勢を好き勝手に弄ぶような男は、娘婿には決して向かない。

 それでも、思索の答えはコローラルを裏切らないような気がした。


 コローラルが懐から万年筆を取り出し、ガリアに魔術印を出すように言うと、彼女は驚いたような顔をした。次いで、咎めるような視線がコローラルを追いかけてくるが、それに反論する理由を持たなかったので、逸らすことであえて黙殺する。

 

 ヨウコは幸せになるだろうか。

 

 コローラルは彼女に選択肢を与えた。それが養い親としての領分だと思っていたし、今でもその考えは変わらない。メフィステニス家を継がせようとしたことも嘘でも酔狂でもない。それには、彼女には過酷な試験が必要であったし、それが彼女のためでもあった。

 だが、それが本当に、彼女にとって良いことだったのかと問われれば、コローラルは疑問を持つ。公的には出せない私情であるので誰にも話すことなどないが、伯爵として、養い親としての言動が、娘にとって本当に幸せだったのか。いつも疑問を抱いてきた。

 守ってやることもできる。生活も、少なくとも貴族としての贅沢はさせてやれる。

 だが、それだけで本当に良かったのか。


 サインをし終えたタイル張りの万年筆を見つめて、コローラルは片眼鏡の奥の目を細める。


「良い万年筆ですね」


 いつの間にか書面を受け取ったラウヘルが万年筆に目を止めたようだった。


「―――娘が、ヨウコが、旅先から領地に送ってくれたものだよ」


 北国に身一つで飛ばされた彼女が、南国からどうしてこの万年筆を送ってこられたのかは分からない。あのときは、コローラルさえもこのラウヘルという男の後手に回ってしまい、部下が南国に入り込んだときには、すでに彼女の痕跡は何者かに消されたあとだった。次に部下が彼女の姿を報告してきたのは、東国に単独で辿りついた後のこと。その頃には、彼女は愛用していたはずの旅行鞄を無くし、路銀を稼ぎながらこの東国の王都に辿りついたという。 呆れた娘だ。自分の明日さえ分からないという時に、助けて欲しいというわけでもなく、旅先の土産を実家に送るだけで。


 ふと、視線を上げると娘の夫となった男がじっとコローラルの万年筆を見つめている。

 

「……これも、娘もくれてはやらないよ」


 娘は貸し出すだけだと言うと、ラウヘルは何も答えず証明書を丁寧に丸めて懐にしまいこむ。その姿は悪行を重ねてきた冷酷な悪魔には見えない。

 ふいに、子供の仕草を思い出す。


 まさか、拗ねているのか。


 年の近い義理の息子を見つめると、初めて目にする奇妙な生き物に見えた。

 周囲は敵ばかりのこの男の隣に居る娘は、不満を言いながら何故か笑っているように思えるから不思議でならない。


 決して言ってなどやらないが。


 コローラルは含み笑いを口元に留めて、娘のくれた万年筆を懐に仕舞った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ