珍獣と客間
カンカンカンという甲高い音に、汚れた囚人服でもいつかとほとんど変わらない顔でその銀髪はこちらに振り向いた。
その人は私のことを見て、目を丸くしたかと思ったがゆっくりとした優雅な動作で腰かけていたベッドから立ち上がってこちらにやってくる。
鉄格子越しに私を見下ろすと、まるで珍獣が芸でもしたかのような顔で笑う。
「お久しぶりですね。ヨウコさん」
有害銀髪はそう言って「どうやって生き残ったんですか」と不躾なことを聞いてくる。
だからアンタは有害銀髪なんだよ。
「何でここに居るのかは聞かないんですか?」
「どうせ陛下と結婚でもしたのでしょう?」
どうしてあのドッペルゲンガーもどきと結婚しなくちゃならない。
「ぶっぶー。はずれー。私はトーレアリングていう悪魔と結婚しましたー」
今度こそ有害銀髪は目を剥いて「どうして!」と叫んだ。
こればっかりは答えられない。それは私が聞きたいからだ。
「そんなことはあの悪魔に聞いて下さい」
そう言うと、有害銀髪は柳眉をひそめて私を睨む。おお、怖い。
「私だって、別に来たくて来たんじゃないんですよ。ただ、あなたの師匠に頼まれてですね」
「まさか、あの飲んだくれにも会ったのですか」
飲んだくれって。アンタの師匠さまでしょうが。バルガーさんは。確かにお酒は強かったけれど。
「北国に行ったときに助けられたんですよ。まぁ、結局あの悪魔に捕まって嫁になりましたが」
「―――あなたの論法は時々、私の理解を超えます」
「だーかーらー、私じゃなくて、あの悪魔に言ってください」
何も私が結婚なんていう強引な手段思いついたわけじゃない。承諾しただけだ。
あの人呼びましょうかって言ったら、有害銀髪は黙りこんでしまった。
まぁ当然か。あいつのせいでこんな牢屋に入れられているんだから。
どうやら、この銀髪は相当お高い御身分だそうで、死刑にはならないらしいけれど。
妾腹だってことで死刑になっちゃうってどういう理屈なんだろう。アホらしい。
「バーリム先生が、今日、亡くなりました」
黙り込んだ銀髪にそう言った。
今日はこれを言いに来た。
こいつは外からの情報を全く聞かされていないと、あの悪魔は言っていたから。
「他の騎士の人たちはもう、全員亡くなっています」
静かに言った私に視線を落として、有害銀髪は何か言おうと口を開いたが、やがて口を閉じた。
「私は、明日にでもお墓参りに行こうと思います」
刑の執行のあと、先生は仲間と一緒の共同墓に入るというから、花でも持って行くつもりだ。明日。
「―――今日は行かないのですか」
私は有害銀髪を見つめ、首を横に振る。
「昨日、話したからいいんです」
ちゃんと笑顔が記憶に残っている。私には、それだけでいい。
ゴーン。
ゴーン。
遠くから鐘が聞こえる。
この鐘が、執行を告げる音だとあの悪魔が教えてくれた。
要塞城の敷地の最も北にあるこの塔にも聞こえるのなら、きっと、この銀髪も知っているのだろう。
どうして、死ななくちゃならない人なんかいるんだろう。
どうして、私の知っている人がその人だったんだろう。
私は自分でも理屈の合わないと分かっていることを思って、目を閉じた。
ゴーン。
ゴーン。
鐘が終わったら。
ゴーン。
ゴーン。
終わってしまったら。
ゴーン。
ゴーン。
先生とは、もう二度と話せない。
鐘の余韻を感じながら、目の奥が熱くなるのを感じて目蓋をきつく閉じた。
泣くな。
私は、泣いちゃいけない。
私は被害者で、たった一人の生き残りだ。
「ヨウコさん」
呼ぶな。
我慢中なんだから。
「私を憎んでいいのですよ」
思わず目を開いた。
そうしたら、我慢していた何かが零れ落ちていく。
悔しくなって、手に持っていたものを鉄格子に投げつけた。
カン! と甲高い音と一緒に銀髪が目を見開くのが見えた。
「どうして憎まなくちゃならないの!」
誰もかれも、甘えるな。
「憎めとか、怒れとか、そういうのはめちゃくちゃ疲れるんだからね!」
私は確かに誰かを憎んでいいのかもしれない。でもそれは、そういうのは、
「もう、そういうのはうんざりなのよ! 憎んだり、憎まれたり、怒られるのも、怒るのもうんざり! 憎まれたきゃ、勝手に憎まれてると思ってなさいよ!」
罵倒されたいドエムな連中のことなんか知ったこっちゃない。
「……もう、誰も憎みたくなんかない」
誰もが笑って暮らせるなんて、とんだ夢物語だろう。
でも、それを願っちゃいけないなんて法律はない。
みんな勝手だ。勝手すぎる。
私が、憎めと言われてどれだけ傷ついているのか、知らないのだ。
「―――あなたは、本当にお人好しですね」
「何よ!」
「ほら、また怒った」
有害銀髪の子供のような台詞に肩の力が抜けた。馬鹿らしい。
銀髪は私の足元にしゃがむと鉄格子越しに、私が投げた棒きれを拾い上げる。
「手紙ですね。誰から預かったのですか。罰せられますよ」
「……だったら、私の旦那さまが罪を被るべきね」
この有害銀髪に会いに行くと言ったら、竜車で渡されたのだ。ないがしろにするつもりはなかったが、銀髪が「少し歪んでいますね」と言うので、ぐっと口を噤んだ。
そんな私を見上げて、再び立ちあがった銀髪は鉄の棒きれを摘まみ上げて棒の端をカチリと回す。すると、まるでホログラムのように空中に文面が浮かび上がる。四国回った私でも見たことのない文字だったけれど、銀髪は一通り読んだのか私に棒きれを返してきた。
受け取った棒を手の平で転がしてみて、どういう仕組みなのか考えたけれど、どうせ北国か南国のものだろうから、仕組みが一朝一夕で分かるわけもないと早々に諦めた。
「それで、私の師のバルガーからは何と?」
手紙の内容を言うつもりはないのか、銀髪は私を見下ろして常の高慢さを取り戻していた。まぁ、手紙の内容なんてろくでもない内容だろうから知りたくもないけれど。
「厄介なことに関わっているだろうから、元気かどうか教えてくれって。まぁ元気そうで良かったです」
私の言葉に肩を竦めると、犬猫を追い払うように有害銀髪は手を振った。
「私は元気でやっていると伝えておいてください。あなたの心配なさるようなことは何もないと」
牢屋に入れられてそう言える元気があるんだから、まぁ心配は無いんだろう。
「じゃ、帰ります」
「ええ、お元気で」
突き放した言い方は、まるで二度と来ないでくれと言うようだ。
「また来ます」
そう言ったら、有害銀髪の優雅な鉄仮面が微妙に歪む。
これはいい。
また来ることにしよう。
新たな嫌がらせを思いついた私は、それだけに満足して塔の階段を降りた。
完全に塔の階段を降りてから、あの有害銀髪にからかわれて少しだけ気分が浮上していたのに気付いて嫌な気分になったけれど。
だって、そんなこと考えたくない。
あの銀髪が、私をどうにか元気づけようとしたなんて。
その日は悪魔を待たずに屋敷に帰ることにした。
でも、それが今日に限ってはいけなかったと、自分を恨んだのは屋敷に着いて無愛想な御者の操る竜車から飛び降りてからだ。
屋敷の前には見慣れない馬車が止まっていて、嫌な予感がひしひしとしつつ、使用人を待たずに屋敷に入ると、ミセス・アンドロイドが珍しく困った顔を私に向けてきた。
なんだなんだ。何事だ。
今、あの悪魔は城で仕事をしているのでいないから、面倒事の責任は必然的に私がとることになる。
面倒臭いことじゃなきゃいいんだけど、と思いながら「こちらでお客さまがお待ちです」といつまでたっても困り顔のミセス・アンドロイドに客間に通されて、ようやく嫌な予感の元を見つけた。
「やぁ、久しぶりだね。ヨウコ」
黄緑頭に面頬を縦に走る入れ墨の紳士。
「伯爵!」
「お父様と呼ばないか。我が娘」
西国の辺境伯爵、メフィステニス伯爵は、他人の屋敷なのにまるで自分の屋敷に招き入れるように両腕を広げて見せた。
傍らにはいつものように、にっこり微笑む金髪メイドのガリアさん。
ああ、まずい。
私は思わず懐かしい顔を見て後ずさった。
「どうしたんだ。ヨウコ。私の顔を見て後ずさるなんて」
わざとらしい伯爵の笑顔が今日は何とも恐ろしい。
「ああ」と伯爵は納得したように頷いて、私がじりじり逃げている理由を言い当ててくれた。
「私に内緒で結婚を決めたことを、悔やんでいるのだね」
そう。
そうなのだ。私はこのお世話になった伯爵になんの一報も入れないまま結婚してしまった。一時の激情に流されたと言えば劇的だが、要はキレて頷いただけ。そうは言っても後の祭りだ。
連絡入れようかどうしようか迷ってる間にあっちから来ちゃったよ!
私は泣きそうになりながら、心の中で叫んだ。
バーリム先生、ごめんなさい。
今日はあなたの喪に服そうかと思ってたけど、そんなシリアス展開、誰も待っちゃくれなかった。
人間、生きてる人の方が恐ろしい。