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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
133/209

ある兄の死

 自分の人生は、振り返ってみてもさほど面白いものではなかった。


 名門の貴族だが妾腹に生まれたがために、本妻に疎まれ続け、父と母、他の愛人共々彼女らが続けざまに死んだあともトーレアリング家の妾腹の長男という事実はついて回った。

 騎士団に入ったのは、彼女らに対する僅かな反抗に過ぎなかったが、生来の研究好きが邪魔をしてついに出世にも興味を持てなかった。

 

 そんなバーリムをまるで面白がるように付き合ってくれていたのは、二歳下の弟だった。

 彼は本妻の息子であり、彼が産まれた時から家督は彼が継ぐことになっていた。母は反対したが、弟は優秀であり、口うるさい親戚連中からも反対意見は全くといっていいほど出ることはなかった。

 優秀すぎる弟とは、他の弟妹と同じように、バーリムと特別仲が良かったわけでもない。むしろ、自分たちの母がいがみあっていたので、同じ屋敷に住んでいても顔を合わせることなどほとんどない。

 だから、バーリムが十五の年、屋敷の植物園で初めて声をかけられたことに驚いたものだ。

 その頃から、バーリムは植物や野草に興味があり、領地にある草花を探し歩いては標本にしていて、本当なら研究所にでも務めることを望んだが、貴族の身ではそれも叶わない。仕方なく騎士団に入隊することを望んだが、母に酷く反対されて手を焼いていた。十五にもなると、親の扱いにも慣れてきたもので、家督を継げと金切り声を上げる母と新しい愛人を作ることに夢中な家のことに興味ない父に、決して頼ってはならないことをよく理解していた。そんなバーリムに、十三になったばかりの弟は、僕に任せてくれませんかと持ちかけてきた。自分が父と、バーリムの母を説得してみせると。

 確かにバーリムが居なくなれば、弟の家での地位は確かなものとなる。優秀だけではない、弟の狡猾で野心的な面を見た思いになったが、次に弟が言いだしたことに、バーリムはまた驚いた。

 バーリムが趣味で集めている標本を見せてほしいと言ってきたのだ。

 

 弟は、結局ものの数日で父と母の説得をしてみせると、バーリムの部屋の顔を覗かせるようになった。それは、バーリムが騎士団に入ってからも同じで、時折、宿舎にやってきては、バーリムが溜めこんだ標本を興味深そうに見ては、雑談をしていくようになった。

 兄弟なのだから、別に雑談をすることに抵抗はないが、不思議でならなかったバーリムに、ある時、弟はぽつりと言った。


「ずっと、こうして話してみたかった」


 すでにその狡猾さの片鱗を見せ始めていた弟の言葉と取れば、それはバーリムを利用しようというような言葉だったが、バーリムにはそうは聞こえなかった。

 利用するつもりだろうと、ただの駒として扱われようと、彼はやはり弟だったのかと思った。

 きっと、弟は本当にバーリムと話してみたかっただけなのだ。


 やがて、弟が十五になり、彼が幼い王子の世話係として登城するようになると、バーリムと標本を片手に話す機会は減っていく。

 それでも、時々はバーリムの宿舎の部屋にやってきては、溜まった標本を眺めていく。

 しかし、それもある時期からぱたりと無くなり、弟と顔を合わせたのは、それから実に十年の月日が流れたあとだった。


 その間、騎士団の中でもそれなりの地位を築いたバーリムは、ハイラント中尉に特別部隊に組み込まれ、残虐極まりない計画の中で一人の女と出会った。

 彼女は路地裏でまるで捨てられた人形のように座り込んでいた。

 話しかけても生返事しか返ってこない。

 それでも根気よく話しかけていると、男に捨てられて行くところもないという。

 バーリムは計画のために女を調達してくるように命令されていた。

 人を人とも思わない、非道な計画のために。

 ここで連れていけば、この憐れな女は一時的には救われるだろうが、そのあとに待っているのは確実な死だ。

 だが、バーリムがこの女を連れて帰るわけにもいかない。

 話を聞きながら、バーリムは女の死んだような碧眼を見て迷った。


「―――あんた、騎士かい?」


 唐突に、理性を宿した瞳で女が言った。今のバーリムは甲冑も制服も着ていない。だが、女が言うには、腰に剣をぶら下げて真面目くさった男は大抵騎士なのだと笑った。


「だったら、私を殺してとすがりつくわけにはいかないね」


 騎士はお堅いのが常だから、と薄汚れた顔に笑みを浮かべる。

 自分では、この女を救えないのだろうか。

 騎士だ貴族だと言っても、女一人救えない。

 それが惨めでならなかった。


「―――死ぬ覚悟はあるのか?」


 バーリムが問うと、女は顔を上げて目を丸くした。

 そして、次に顔を歪めた。


「……死なせてくれるのかい?」


 すがる手が無いのなら、差し出そう。

 それが死神の手だと、彼女は知っている。


「私は、バーリム。あなたは?」


 そんなお上品に訊かないでおくれと彼女は笑って、


「アンジェだよ」


 

 バーリムが彼女を連れ帰ったことで、計画は本格的に動き出すことになった。

 女たちに炎の呪いを刻んで、戦争に送り出すという、残酷な計画が。


 バーリム達の計画をすべて知っても、微笑んでくれたアンジェの顔がいつまでも忘れられなかった。

 非道な計画に中にあって、いつしか彼女はバーリムの心の拠り所となっていた。

 たとえ、彼女がいつか、戦場で死ぬとしても。


 西国と東国の不仲の歴史は長い。だが、互いに国と国の間に設けられている戦場で様子を見る程度で、大則を犯してまで国を侵犯するほどではなかったはずだ。

 ハイラント中尉が違法な何かのために炎の呪いを開発したことは明白だったが、バーリム達は国のためだと言われ、それがすでに議会を通された命令だと知れば、拒むことなど出来はしない。誰もがおかしいと分かっていた。だが、東国の王は失踪し、この国の実権を握ろうとしているのは、迷い人の末裔である北城一族。そしてそれと対立する先の王の末の息子であるまだ幼い王太子の一派。彼らは互いを牽制し合い、その混乱ですでにこの国の政治の根幹は腐敗してほとんど機能していない。

 誰もが、この国は滅びると感じていた。


 そんな混沌の皇都を離れたバーリム達は国境にほど近い森に屋敷を構え、集めてきた娘たちとの静かな生活を始め、炎の妖精を戦場へ送り続けることになった。

 彼女たちとの生活は、静かだった。

 バーリムは趣味である研究に時間の許す限り没頭し、いつか夢見た研究者のように、時折娘たちに教鞭を取りながら過ごした。

 他の者たちも、騎士団でも行われている中枢の権力争いに嫌気が差していたようで、片田舎で静かに過ごす日々を愛し、だが、数か月単位で行われる娘たちの術の発動に心を重くしていった。


 穏やかで残酷な日々が五年続いたある日、それは唐突に終わりを告げた。


 かつては仲間であった騎士たちが東国王ヘイキリング陛下が戻ったと告げ、バーリム達を反逆罪として捕えたのだ。

 命令のために、この身を裂くような五年を過ごしたというのに、反逆だという。

 だが、誰も抵抗はしなかった。

 これで、もう、女たちを戦場に送りこむようなことをしなくて済むと、むしろ誰もが息をついた。隊長であったヨルダは、まだ若いバーリム達が死ぬことはないと言ってくれたが、仲間の誰もがすでに罪を償うことを決めていた。

 だから、王から直々に死罪を告げられた時にも、誰も抵抗などしなかった。

 

 最も重罪の死刑囚が入れられる独房から、刑場の鐘楼から響く重苦しい鐘の音で、一人、また一人と仲間が死んでいったことを知る。

 

 だが、副隊長だったはずのバーリムの順番はなぜか回ってこない。

 

 すでに聞いた鐘は十を数え、バーリムは最後の一人だと知れたがその理由は分からない。

 この独房を管理している看守は優秀らしく、バーリムに情報の一切を与えようとはしなかったのだ。

 そのかわり、バーリムが望めばすぐに本は手に入り、読みたい論文は翌日には届けられる。


 そんな奇妙な独房生活を送っていたバーリムに、ある日、面会人が来ると珍しく看守が告げてきた。

 

 すぐに弟の顔が浮かんだが、翌日やってきたのは、あの屋敷での生徒であった迷い人の女性だった。

 実年齢よりも幼げに見えた彼女は、戦場を生き延びたせいか記憶よりも痩せていた。

 話を聞いていくと、彼女はなんと弟の嫁となったらしい。

 

 彼女と時を忘れて話した。  


 時間の感覚が衰えていたバーリムは、彼女の長い冒険の話に、思いのほか長い時間この独房に居たことを知る。

 鐘楼の鐘を聞かなくなって、すでに久しい。

 次に断頭台に上るのは自分だというのに、その期日が意図的に延ばされているような気がしてならなかった。

 弟が宰相となったのは、バーリムと顔を合わせた最後の年だ。

 彼が執行を引きのばしているのだろうか。

 何のために。


 彼女が夕暮れ時に帰ったあと、夕食を持ってきた看守が静かに告げた。

 刑の執行は明日。

 バーリムは静かに頷いた。






 気配を感じて視線を上げると、幾らか年を経た弟が立っていた。

 ランプの明かりだけの薄暗い牢屋の中で鉄格子越しに久しぶりに見た彼は、静かにベッドに持たれかかっているバーリムを見下ろし、


「兄さん」


 その声が奇妙なほど静かで、バーリムは思わず笑ってしまった。

 それに釣られるように弟も引き結んでいた口元を緩める。


「相変わらずですね。こんな時にまで読書だなんて」


 そう言われても、この本はまだ読みかけだ。あと少しで読み終わる。

 そう告げると、弟は頷いて、


「では、読んでしまってください。私はここで待っています」


 夜半の牢屋に、しかも死刑を待つ死刑囚の独房にどうやって入ったのか、時折、魔法使いのようなことを平然としてみせる弟は相変わらずであるらしい。

 バーリムは遠慮なく残されたページをめくることにした。

 

 やがて、牢の外の月が地平線に沈みかける頃、本を読み終わったバーリムは、以前は嗜んでいなかった煙草をゆったりとくゆらせている弟を見遣る。


「―――どうした、ラウヘル」


 本を閉じたバーリムをじっと眺めて、弟のラウヘルは珍しいことにひと時押し黙り、ようやく口を開いたかと思えば、その口調は重かった。


「……兄さんに、話しておかなければならないことが、あります」


「お前が、東国と西国の戦争を引き起こしたことか」


 バーリムがそう言うと、「葉子ですね」と弟は苦笑する。

 それから、「彼女には嫌われていますから」とも溢して、眼鏡の奥の目を細める。


「嫌われていると分かっていて、彼女を迎えたんだろう?」


「はい」


 そう簡潔に応えたものの、ラウヘルの表情は歪んだままだった。


「まったく、しょうのない弟だ」


 バーリムが笑うと、ラウヘルは訝るように顔を上げた。


「お前は、私がハイラント中尉の部隊に選別されたことを知らなかったんだろう」


 ハイラント中尉がバーリムとラウヘルの関係を知っていたなら、恐らく部隊に入れることは無かった。ハイラント中尉は、このラウヘルによって才を伸ばされたのだ。恩義ある人の兄弟を殺すような人間ではない。

 そして、恐らく世界中を敵に回している、この弟も。


「お前には感謝しているよ。ラウヘル。私の好きな本をここまで知っている人間は他に居ないからね。それに、ヨウコに会わせてくれた」


 そう言うと、弟の視線が鋭くなったような気がして、バーリムは笑う。


「彼女は私の最後の生徒でね。話せて良かった。本当に」


「泣いていましたよ。彼女は」


 責めるように言うので、バーリムは一層おかしくなって笑った。

 ヨウコは、本当に不思議な女性だ。

 まるで世界に見捨てられたような顔をしていたこの弟に、こんなことを言わせるなんて。


「義妹ともっと話をしてみたかったがね」


 弟は眉根を寄せて、目をきつく細めた。


「兄さん、私は――」


「お前のやったことを、私は間違っているとは思わない」


 ラウヘルは、時として非情で冷酷でさえあるが、バーリムはそれだけではないことを知っている。彼は、己の欲望のためにその非情さを使うことは一切ない。

 バーリムとラウヘルは、成長の過程で弟妹、父母や祖父母にいたるまで、すでに無い。

 わずかに残った親戚は年に幾度か顔を合わせる程度で、家族と呼べるのは、兄弟二人となっている。

 そんな弟から、兄を奪うというのか。


 死にたくない。 


 だが、それは許されることではない。

 罪科は等しく償うべきだ。

 それは、この弟も同じく。


「お前は死んではならない。生き延びろ」


 弟の罪科は死んだぐらいで償われるものではない。


「生きて、お前の罪科を見つめて、償え」


 バーリムを真っ直ぐ見詰めた弟は、深く頷く。


「いくら罪深くても私はいつまでも、お前の味方だ」


「―――それは、違いますよ。兄さん」


 弟は笑うことに失敗したような顔で苦笑する。


「そばに居ない味方なんて、それは、ただの気安めなんです」


 味方はその人のそばに居てこそ。

 確かに、その通りだ。

 バーリムは何も言わずに頷いた。


「私の標本や本は全部お前に譲ってやる」


 バーリムがそう言うと、弟はようやくいつものように笑った。 

 

「葉子が喜びそうです」


 それは良かったと言うと、ラウヘルは「兄さん」ともう一度呼んだ。



「あなたが兄で、良かった」


 


 不器用な弟はそう言って、白み始めた牢屋を去って行った。

 

 何を言っている。

 いびつで、不器用な弟め。

 己の罪に苛まれ続けた兄を最期まで救ってくれたのは、お前の方だ。

 執行をわざと延ばし、彼女に会わせてくれた。

 それにどれほど救われたか。

 もしも仲間に会うことができたなら、きっと惜し気もなくお前を自慢しただろう。

 

 面白味の欠けた、ただ研究に没頭し続けた人生だったが、幸せな人生だったと思える。

 

 あの狡猾で不器用で、世間では非情と呼ばれる弟が初めて会った少年の時のように声を震わせていた。

 こうして話をしてみたかった。

 そう言った時のように。


 アンジェ。

 君は私を憎んでいないと言ってくれた。

 ありがとう。

 君が最期にそう言った意味を、私は未だに分からずにいた。

 きっと、いつのまにか君を愛していたのに。


 憎んでいないというのなら、私は最期に願ってもいいだろうか。

 

 あの不器用な弟の、幸せを。



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