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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
131/209

煮物とおやつ

 私は、誰かを容易く憎む。

 それは人の精神安定のためのほとんど本能的なものだと思っている。

 でも、それが人の死まで関わってくると、ためらってしまうのだ。

 その憎しみは、本当に正当なものなのか。

 

 心の弱い私は、人の死が重いのだ。


 私は結局、夕焼けに追われるように竜車に乗り、目の前に陣取った悪魔と一言も口を利かずに屋敷へと帰った。

 それは夕食のときも同じで、肉じゃがによく似た煮物と温かい根菜のスープも口あたりのいい塩だけのかゆもほとんど味わうことなく、悪魔の澄ました顔も見ないで部屋へと戻ることにした。

 就寝時間になっても、それは変わらなくて出来るだけ悪魔の顔を見たくないと思っていたら、彼はどういうわけか、月が高くのぼっても寝室にやって来なかった。

 ミス・アンドロイド、ロッテンマイヤーさんに訊ねようかと思ったが、馬鹿馬鹿しいと思って就寝準備をしていった彼女をそのまま見送った。

 広いベッドに寝転がってみた私は、ぼんやりとしたまま目をつむる。

 布団を被ってみても、何だか肌寒い気がした。

 冬が近いのかもしれない。

 悪魔が言うことには、冬の間はここに居るというから、あの悪魔の領地は相当寒いのだろう。


 つらつらと取り留めないことを考えていた私は、いつの間にか眠りに落ちて、夢を見た。


 あの、屋敷に居た頃の夢。








 その日、私はぎっしりと詰まった本棚と標本を片付けさせられていた。

 私は決して劣等生でも不良生徒でもなかったが、よく叱られる生徒だったので、この日も先生に罰を言いつけられて、腐界の部屋の整理を申し渡されたのだ。


「そこの標本はこちらへ」


 埃の舞う部屋の中で涼しい顔して埃除けの三角巾を顔と頭につけて泥棒のような私に、大量に積まれた標本箱を持ってくるよう申しつけたのは、およそこの部屋の主には似合わない美しいたたずまいの人だ。


「……いい加減にしてくださいよ。バーリム先生」


 私は言い付けられた標本の箱を覗き込んで顔をしかめた。以前手伝わされた時には無かった植物標本だ。また増やしたのか。この片付けられない男は。


「自分の部屋がにっちもさっちもいかなくなったら、私に罰をくれてるような気がするのは気のせいですか」


 ちなみに今日の罰の理由は、私が遅刻をしたせいだ。たった五分、雑草抜きに夢中で遅れただけで、この鬼畜教師は私に罰を言い渡した。普段なら、ほとんどの生徒は許されるというのに。


「まさか。私はいつも公平ですよ」


 奇麗な顔で埃にまみれている様子もない先生は本棚の本を一冊ずつ分類しながら言った。

 嘘だ。

 あんたの公平は、他人にとっちゃ不公平だ。


「―――また手伝わされているのかい」


 埃臭い部屋のドアを開けていたのは、チャリム姿の赤毛の美女。


「この子が素直だからって、ヨウコをこき使うのは止めな。バーリム」


「こき使ってなどいませんよ。アンジェ」


 アンジェさんは涼しい顔したバーリム先生に「どうだかね」と苦笑して、私に視線を向けてくる。


「ここの整理はほどほどにして、おやつにしよう。ヨウコ。スクリームがケーキを焼いてくれてね。セレットと待ってるんだよ」


 料理長のスクリームさんのケーキとなれば人気が高そうだ。あの人の作るものは何でも美味しい。すぐにでも行きたい。

 そう思ってバーリム先生を見上げると、先生は呆れたような顔で笑う。


「行ってもいいですよ」


「え」


「ただし、お茶を飲んだら私にもお茶を持って帰ってらっしゃい。片付けの続きをお願いします」


 アンタ、ドエスの星からやってきただろう。

 アンジェさんも悪ガキをたしなめるような顔で笑って、私に「おいで」と声をかけた。

 私は標本箱を倒れないように積み直して (貴重だと思われる標本を無造作に積み重ねているのだ。あの先生は) 三角巾を外すとやっぱり部屋は埃臭かった。

 嫌味の一つも言ってやろうと先生を振り返ると、


「アンジェ」


「片付けはあんた一人で進めておきな。あとでお茶を持ってきてやるから」


 呼びとめた先生にアンジェさんはそう言って笑う。そんな彼女に、先生も穏やかに微笑んだ。


「では、ヨウコ。またあとで」


 私はうげっと声を上げながら、何だか温かい家族の中に混じりこんだような心地になった。アンジェさんがお母さんでバーリム先生がお父さんなら、さながら私は手間のかかる子供というところか。あの先生がお父さんだったら私の反抗期はひどかったことだろう。


 アンジェさんと食堂にやってきたら、意外にもセレットさんとマッチョな教師のリカインド先生しか居なかった。


「よう、来たな」


 リカインド先生は片手を上げて私たちに自分たちの近くの席を勧める。


「てっきり女の子が群がってると思ったのに」


 私の呟きが聞こえたらしく、リカインド先生は「ああ」と笑う。


「俺が昼飯のあと、個人的に頼んだからな。それをセレットに聞かれたわけだ」


「スクリームはせっかくだから大きなケーキ作ってくれるって言うんだもの。一人で食べることないでしょう?」


 紫髪の妖艶なセレットさんに微笑まれ、リカインド先生は苦笑する。


「そろそろヴェイユがキュルが採れるって言ってたね」


 茶器でお茶を入れてくれたアンジェさんが、私に湯呑をくれた。


「そう。だから今日はキュルのケーキだよ」


 人の顔よりも大きなケーキを持って現れたのは、金髪天使のスクリームさんだった。

 スポンジケーキにはたっぷりとしたクリームが乗って、その上にはキュルという果物らしい赤いフルーツが奇麗に並べられている。


「美味しそう!」


 私たちが歓声を上げると、天使はそのまま額縁に入れたくなるような顔で微笑む。


「お、やってるな」


 そう食堂にやってきたのは、珍しい眼鏡の農夫だ。普段は畑からほとんど出てこないというのに。チャリムの肩に手拭いを乗せた姿はまったく農夫だけど、この人も顔が整っているのでどこか似合わない。


「まだこのキュルは甘くなかっただろう」


 ケーキを覗き込んで、ヴェイユさんはしげしげと果物を眺める。


「だから、砂糖と酒とで煮詰めて乗せてみたんだ。食べてみてよ。ヴェイユ」


 ヴェイユさんも席についたところでスクリームさんが切り分けてくれたケーキは美味しかった。スポンジは口に入れるとふんわりと溶けて、クリームはじゅわっと舌を滑り、キュルはほんのりとお酒の味と相まって、甘く喉へと消えていく。

 ああ、幸せの味。

 私の顔がよっぽどやにさがっていたのか、スクリームさんは面白がるように笑う。


「そんなに美味しそうに食べてくれると、作りがいがあるよ」


「おいおい。このケーキを頼んだのは俺だぞ」


 意外にも甘党らしいリカインド先生の抗議に、みんなで笑った。


 ひとしきり談笑してケーキがあと一切れになったころ、私はアンジェさんと一緒にあの埃臭い部屋へ戻ることにした。行かないと後でうるさいんだ。森で薬草探してこいとか言われる。……ええ。経験談です。


「せんせー。お茶ですよー」


 ドアをノックすると簡潔に返事が返ってきたので、遠慮なく開けると理不尽な教師は愛用の椅子に腰かけてのんびりと読書していた。整理はどうした。


「ああ、ありがとうございます」


「整理はどうしたんだい」


「整理中ですよ。この本の内容を思い出せなくて」


 アンジェさんは呆れながらバーリム先生が座っている隣の机の物を脇に寄せて、ケーキと茶器の乗ったお盆を乗せる。

 とことんまで、整理の駄目な人らしい。整理と言いながら、ついつい他に目がいって整理できない人の典型だ。他人のことは言えないけれど。

 茶が冷めるというのに、本から顔を上げない先生に、アンジェさんは「まったく」と溜息をつきながら笑った。


 その後、先生に茶を飲むようせっついて、整理をしていたら夕食の時間になってしまっていたらしく、私たちを呼びに来たザイラスさんも巻き込んでようやく片付けは終わった。標本箱はひとまとめにされて、本棚は先生の気に入る並びになったようだ。

 終わったころには熊顔のザイラスさんも、さすがに無愛想な顔に疲労を滲ませていて、「これだから、こいつの部屋に行くのは嫌なんだ」と子供のような文句を言った。




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