回廊とお小遣い
一度じゃ決して覚えられない回廊の迷宮をいくつかくぐって、ウィリアムさんに連れられてきたのは幾つかあるらしい跳ね橋の出入り口。まぁ私の身支度なんてたかが知れてるから歯磨いて髪とかしてきただけだよ。
衛兵の控える石造りの出入り口に居たのは、今日の私と同じような赤茶のアオザイ姿の、
「クリスさん!」
可愛い栗毛のメイドさんでした。今はメイド服じゃないし、笑顔でもないけどね。
でも嘘でも親切にしてくれたんだし、素直に可愛い女の子に会えるのは嬉しい。セクハラおやじから解放されるよ!
駆け寄った私にちょっと面喰った顔したクリスさんだけど、一応会釈はしてくれた。元はこんな子なのかもね。
「朝の用意ありがとうございました。朝ごはん、美味しくいただきましたよ」
私の本心だけど、クリスさんの方は嫌味か皮肉か測りかねているようだった。まぁ判断は本人にお任せします。
「ヨーコ。彼女が街を案内してくれるからね」
私の後ろで様子を見ていたらしいウィリアムさんが振り向かせるように手まねきした。
「これは心ばかりのお小遣い」
私の手を取ってウィリアムさんが乗せたのは手の平大の皮包み。何かずっしりしてるんですが。そういや私この世界のお金なんか持ってないよ。もしやこれ買収? これで私買われちゃう?
「この程度のお金で君を買おうなんて考えてないから。本当に気持ちだよ。素直に受け取って」
顔に出ていたらしい。ウィリアムさんは苦笑しながら、包みを私に握らせる。
そういえば、この人は私の心配してくれていたんだっけ。下心ありありだったけどね。
この皮包みも絞り紐の先に奇麗な飾り玉がついててさりげなく可愛い。その気遣い、社長に煎じて飲ませてやって欲しい。
「ありがとうございます」
素直にお礼を言うと、ウィリアムさんはほっとしたような息をついた。
「元気でいてくれて本当に良かったよ。女性は笑顔が一番だからね」
眩しい笑顔で言うと、ウィリアムさんはクリスさんに目配せして踵を返すと元来た通路を帰って行った。
これから仕事だもんなー。
私もクリスさんに振りかえると、彼女はちょっと困ったような顔で私を見ていた。栗毛に碧眼のばりばり外人の女の子がアオザイって結構面白い組み合わせかも。
「よろしくお願いします。クリスさん」
「……はい」
うなずくけれど、動こうとはしないクリスさん。ん?
「……閣下から、お聞きおよびなのでしょう?」
「何を?」
「……私が、あなたを……」
ああ、そのこと。
「いきなり出てきた私のことを信じろなんて、そんなおこがましいことは言いません」
衛兵が少し聞き耳立てているような気配がしたけれど、お構いなしだ。聞かれて困ることはない。
「あなたは命令されて私のお世話をきちんとしてくれたし、親切にもしてくれました」
出会って二日目の人の二日酔いの世話なんてなかなか出来ないようん。ごめんね。
「だから昨日も言ったように、私はあなたが私を傷つける人ではないと信じているし、嘘も言わないと信じています」
なんか同じようなこと言ったな昨日の夜も。
「でもあなたが私を信じるかは、あなたの心ひとつなので私の及ぶところではないと思っています」
信じるのはクリスさん次第。
信じられなくて私を陥れるようなことがあるのなら、それは何かが足りなかっただけだ。
「……信じられない」
クリスさんは私をじっと見つめて、呻くように呟いた。
奇麗な碧眼でこちらを遠慮なく睨んでくる。
「そんな奇麗事が、通じると思っているの? 誰もがそう言ってやればあなたを信じるとでも? じゃぁ、私に殺されたって文句言わないっていうの? 馬鹿じゃないの!」
おお、そう来たか。
「言っていいんですか? 文句」
「え?」
可愛い子だなほんとに。
人間の真なる裏表を知らんな? ではお姉さんが後学のために披露しようではないか。その一端。
「てめぇの手違いで勝手に異世界なんかに他人巻き込んでおいて謝罪の一つもないのか馬鹿野郎どもが誰がてめぇらなんかの言う通りにするかボケ大人しくしてりゃ薬だの尋問だの繰り返しやがって何様だそんなことされて誰がてめぇら好きになんかなれるか阿呆そのすっかすかな脳みそ洗って出直してこいこの木偶の坊が」
一息ですこれ。
あらあらクリスちゃん呆気にとられていますね。
ついでにそこの衛兵さんたちも唖然としてますね。頭鈍いなこの人たち。私より鈍くて城勤めなんて大丈夫か?
こんなの朝飯前に言えますよ。
「と、まぁ。普通はこのような文句が出てくるものですよ」
「普通!?」
そんなに驚かなくても。普通ですよええ。
にこにこしていたら何だか引かれた気がしますね。
正直な感想、申しあげましょう。
「奇麗事も何も、あなたが私を信じる信じないは、知ったこっちゃないって言ってるんですよ」
信じるのは私の勝手。信じないのはあなたの勝手。
結局そういうものなんじゃないのかな。
「これから街へ連れていくと言ってどっかの誰かに私を売りつけたとしても、私はあなたが親切にしてくれたことを感謝しますよ。一宿一飯の恩義ぐらいは払う分別はあるつもりですから」
言い切った私をクリスさんは何だか怖いものを見るような眼で見ています。
怖いことなんか一つも言ってないんだけど。まだ。
しばらく迷ったようにクリスさんは視線を彷徨わせていたけれど、ようやく私を上目づかいに伺った。
クリスさんの方が私よりちょっと背が低いんだよね。異世界に来てまで背が高いのか私。ここに来て出会った男性陣は意外と異分子だったのかもな。
「……あなたを、裏切るようなことはしません」
絞り出すような小さな声だった。
クリスさんは不服そうに、でも決心したように言った。
「私は、あなたを裏切るようなことはしません」
続けて言ったことにはがっくりきたけど。
「今回のことは、宰相閣下の御采配です」
そうなんじゃないかなーとは思ってたんだよ。ウィリアムさんがお迎えに来たからね。でも大人だから知らない振りしてたおいたの。でもバレちゃったよー。締まらないな社長。
きっと、昨日の罪滅ぼしのつもりなのだろう。
「ご厚意に感謝します」
そういうことにしておいてあげよう。社長拗ねちゃうしね。