時間と石畳
彼らは、抵抗らしい抵抗も見せなかったという。
静かに激昂する王にほとんど言い訳らしい言い訳もせず、粛々とその処罰に身を任せた。
総隊長だったという、行商を装っていたヨルダおじさんだけは自分だけに処罰をと言ったらしいけれど、結局聞き入れられず、一番最初に断頭台に上がった。
騎士という人たちにとって、重罪人と同じように首を断たれてしまうことははりつけの刑よりも屈辱的なことらしく、さすがにその刑に隊長が処されたことに他の騎士たちからも怨嗟の声が上がったらしいが、王は聞き入れなかった。
アンジェさん達のような一般市民の女性に、違法ぎりぎりの術をかけて戦場に送り出していたという事実は許しがたい罪だ。
でも、彼らの尊厳まで無視する必要はあったのか。
何も知らない王が。
「時間になったら、迎えに来ます」
不気味な顔のお兄さんはそう言い残して、私を静かな独房の前に残して立ち去って行った。
いいのかな。私一人残して。
遠ざかっていく靴音を聞きながら、ひょろりとした背中を見送って、目の前のライオンの檻のような独房に視線を向けた。
独房は本当に一つの階に一つきりで、他に牢屋はない。他の牢屋は連なっているそうだが、ここはまた特別なようだ。じめじめはしているけれど、思っていたよりも異臭がするとかそういうものはない。鉄格子の向こうはちょっとした部屋のようで、粗末なベッドとトイレと、それから、いつか見たような本と書類が所狭しと放り込まれていて、ベッドに寝転がるその人は今にも埋もれそうだ。
「バーリム先生」
人の声が珍しいのか、ベッドの上の人は少しだけ驚いたようだ。
肩をわずかに震わせて、のっそりと顔を上げる。
「―――……ヨウコ?」
そんなに太っていたわけでもないのにいくらか痩せてしまったのだろうか。
こけた頬には無精ひげが目立って、以前のドエスぷりが抜けてしまっているが、顔立ちはやはり今でも奇麗だった。
「お久しぶりです。先生」
茫然と、まるで幽霊でも見るような眼だったバーリム先生は、やがて本を放り出して鉄格子のところまでやってきた。
「どうして生きて……」
笑っていいのか、泣いていいのかわからないような顔で唇を震わせる。
いつか、あの屋敷で薬草をドエスたっぷりに教えてくれていたのが嘘のようだ。
「話せば長いんですけれど、生きてますよ」
おばちゃんチャリムの両腕を広げて見せると、先生は少しだけ笑ってくれた。
「……変わらない。本当にあなたなのですね。ヨウコ」
「私だけ、死に損っただけです」
誰もかれもが私に生きろと言って、置いていってしまったのだ。
たくさんの愛情と、私一人残して。
「アンジェさんや、他の皆が生かしてくれました」
あの悪魔にあの屋敷の騎士たちに会いたいと言ったら、会ってどうするつもりなのかと訊かれた。
罵るつもりなのか、恨み言をいうつもりなのか。
そうだとしたら、やめなさいと言われた。生き残っているのはすでに一人だけ。静かに死なせてやることすらも、できないほど恨んでいるのかと。
わからなかった。
会ったら自分が何を言うのか分からない。
そう思っていたけれど、
「アンジェ……」
彼女たちのことを私と一緒に覚えているのは、彼らだけなのだ。
アンジェさんの名前を本当の意味で哀しく呼べるのは。
「アンジェさんに、屋敷を出る前に言われました。あなた達を恨んではいけないって。先生たちの私たちに対する優しさも、同情も、全部本物だからって」
恨んじゃいけない。
そう、彼女はそう言った。
バーリム先生は目を細めて穏やかに微笑んだ。
とても嬉しそうに。
「―――楽しかったですか? あの屋敷での生活は」
「はい」
とても楽しかった。
あの屋敷はどこかおかしくて、歪んでいて、希望も何もなかったけれど、楽しかった。
勉強して、笑い合って、いつでも誰かが微笑んでいた。
あの穏やかな時間は、決して無駄な時間じゃない。
世の中から弾き出されてしまった彼女たちの、最期の穏やかな時間だ。
残酷な、でも優しい時間だった。
「良かった」
バーリム先生は鉄格子に呟いて、目を閉じた。
「良かった。私たちは、彼女たちにそれを聞くことが最期まで出来なかった」
それが、心残りだったのです。
独房の冷たい石畳に差し込む日の光に、先生の呟きが溶けた。
私は先生の顔を見ないように、その光をじっと見つめる。
「よく、生きて……私に会いにきてくれてありがとう。ヨウコ」
私たちはしばらくそのまま、黙って静かな石畳の中で立っていた。