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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
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行ってきますと行ってらっしゃい

 朝食の席で、私は給仕についてくれていたミセス・アンドロイドに挨拶と一緒に言付けた。

 この家中の使用人の人に集まってもらうことにしたのだ。

 昨夜、旦那さまにしたお願いの一つだ。いかがわしいことは一切ないベッドでの攻防ですでにぐったりしていたが、約束を取り付けさせた。こっちが苦労した割にいとも簡単に頷いたので、何だか私が負けたような気分になったのはご愛敬としておく。腹立つから。

 朝、ベッドの端っこで寝ていて (結局疲れ果てて同じベッドで寝るはめになった) 起きたらすっかり身形を整えた悪魔が椅子に座ってのんびりこちらを眺めながら本を読んでいたのは、寝ぼけた悪夢だと思うことにした。精神衛生上、正しい判断だと思っている。

 涼しい顔で「おはようございます」とのたまった三つ編み悪魔を叩きだしておばちゃんチャリムに身を包んで身形を整えたら、時間を計っていたのかというほど直後にミセス・アンドロイドが迎えに来て、旦那さまと二人で使うには広すぎるダイニングまで案内された。ここ数日通ってるから道順は覚えましたよ、と言ったら、寄り道をされたら食事が冷めると返された。ここに来たばかりの頃、どんなキッチンなのかと探検したのがよろしくなかったらしい。

 そんなわけで日の光のいっぱい入るダイニングの細長いダイニングテーブルで上座の旦那さまの脇で卵と菜っ葉の入った朝がゆ (何故か悪魔は和食が好きだ) を食べてお茶を飲んでから、私はミセス・アンドロイドに連れられて、玄関ホールに入る。

 この短い時間にどんな手段かミセスは使用人全員を集めてくれたようだ。

 ざっと見渡してから、これから何が始まるのかとこちらを眺めている使用人の人たちに向かって私は口を開いた。


「えー、改めましておはようございます。昨日からここの主人の嫁になりました、葉子です」


 こんな切り出しを聞いた人たちは誰も彼も訝るような顔になった。まぁ当然だ。だって私はここ数日この屋敷に暮らしていたし、彼らも私を奥様になる方として一応扱ってくれていたのだから。


「つきましては、ごあいさつと同時に、みなさんのご希望も伺っておこうかと思いまして、お忙しいとは思いますが集まっていただきました」


 私の投げやりな敬語にもほとんど表情の動かない彼らはなかなか不気味だ。

 まぁ、慣れたけど。


「これから私がこの御屋敷、引いてはトーレアリング家を切り盛りしていくにあたり、気に入らないことが多々、というかたくさん出てくると思います。そこで、ここで希望退職を募ろうと思いまーす」


 ここで初めて他の使用人たちから少し離れて私の右脇に控えていたミセス・アンドロイドがちらりとこちらに視線を寄越してきた。私は構わず続ける。


「再就職先はちゃんと用意します。退職金も出します。無理して気に入らない奥様の元で働くことありません」


「―――御言葉ですが」


 私の言葉の端を捕まえたのは、案の定ミセス・アンドロイドだった。


「わたくし共、使用人はあなた様のことをまだよく知りません。あなた様もそうでしょう。この短期間でお互いのことを理解し合うことは不可能だと思われます」


「よく知らないのに苦手意識がついてしまう相手っていうのは、よく居ると思いますよ」


「そうであったとしても」


 今度はミセスじゃなかった。発言主を探せば、私より少し年上だろうお姉さんメイドだった。美人だけど気が強そうだ。


「奥様の御言葉は我々、使用人に対しての侮辱とも取られかねないお言葉です」


 おお、涼しい顔して結構怒ってるな。見回せば、彼女の周りには同じような顔の人たちが老若男女と揃っている。


「私は旦那さまから好きに過ごしていいと言われています。だから、ここの規則に縛られるつもりはないし、悪いと思えばそう言います。私にとって、あなた方はただの道具でも物でもなく、一緒に暮らしている家族のようなものになると思います。だから、私が悪いと思えば、あなた方も私に注意して欲しい」


 何故か少しひるんだ使用人たちを見回して、私は続けた。


「私はそれを鼻で笑うような人たちとは暮らせない。だから、お互いの気持ちの整理が簡単につくだろう、この初日に希望退職を募ります」


 静まり返ってしまった玄関ホールに、私の声が響く。


「期限は三日。直接私に申し出てください。それが嫌なら旦那さまでもいいです。旦那さまにも話は通してあります。別にあとのことを悪いようには絶対しませんから、よく考えて答えを出して下さい」


 言い終えると、肩から吐き出すような溜息が出た。人事の仕事の人ってえらいわ。これは肩が凝る。


「―――葉子」


 測ったようなタイミングで、悪魔の声が玄関ホールに流れ込んできた。

 流れるように私の隣に立つと、使用人たちの顔を悪魔はさらりと見渡してから、ミセス・アンドロイドに顔を向ける。


「ロッテンマイヤー。あとは君に任せるよ。他は妻が言ったとおりだ」


「―――かしこまりました」


 まだ何か言いたそうだったミセスが礼をとる。

 だけど、私は別のことに気を取られていた。


 まじか。まじでロッテンマイヤーさん!


 ここ数日お世話になってたのにまともに名前も覚えてないのかお前と言われたら面目ないとしか言いようがないけど、あっけに取られた私の手を取った悪魔が「さぁ行きますよ」と言ってくれなきゃ、目が覚めなかったかもしれない。頭の中じゃ、あの某山の上の空中ブランコ娘が歌っていたから。

 ひっそり私たちと一緒に玄関ホールを出てきた無愛想な御者のおじさんが竜車が用意して帰ってくるまで、私のリピートは続いた。何だか車いすから立ちあがってみたい気分だ。


「私は、城での仕事がありますから、その間に行ってみるといいですよ」


 まるで子供を遊ばせる親みたいなことを言って、悪魔はゆったりと竜車の座席にもたれかかる。

 向かい合わせに座る今日も暗い色のチャリムの悪魔を見ながら、私は眉をひそめた。


「子供の使いみたいな話をしてますけど、いいんですか? 本当に」


 私の疑問を解消してくれる気はないのか、悪魔はのんびりと腰の煙草入れに手をかける。私が睨むと苦笑しながら箱から手を放したが。


「手続きは済ませてあります。あとはあなたが詰所に行くだけです」


 手持無沙汰な顔の三つ編み悪魔は、そのまま車窓の外に視線を向けた。

 確かにこの悪魔は怨みはたくさん買ってそうだけど、こいつが死ぬと困る人間もごまんと居るんだろう。この仕事の速さから、その一端を垣間見れた気がする。

 私が使用人を解雇したいと言った時もだ。彼の決断にかかった時間はものの数秒だった。

 私には、三十人から居る使用人を全て把握しきることはできないと思った。だから、最低限の使用人に出来ないかと言ったのだ。そうしたら、明日にも使用人の前で自分で説明しろと言われた。てっきり悪魔がどうにかしてくれるものと思っていたから、その時、自分の甘さをつきつけられたような気がした。

 これが仕事の出来る奴と出来ない奴の違いか。忌々しい。


「たぶん、私、しばらく城に通うと思います」


「だったら、しばらく私と一緒に出勤ですね」


 それは嫌だと思ったのが顔に出ていたらしい。

 悪魔は面白がるように笑った。


「面白いことじゃないですよ。全然」


 悪魔に頼んだ私のもう一つのお願いは、全く面白いものでも簡単なものでもない。


 日が三階建ての建物より高く昇った頃、竜車は要塞城に辿りつき、旦那さまたる悪魔は優雅に箱から降りて私に手を貸してくる。気障な態度だけどこれが習慣らしいので付きあうことにしている。手の甲にキスとかは却下だが。

 要塞城は基本的に竜車も入れなければ、出入口も一つしかないので、私は旦那さまと一緒に堀にかかる橋をのんびりと渡ることになる。普通の人は魔術でぱぱっと目的地まで行っちゃうらしい。便利なもんだ。

 私は今日ばかりは旦那さまに案内してもらわなければならないので、目的地の入口まで案内してもらった。その薄暗い詰所の前で、仕事に行くという悪魔はにっこりと笑う。


「行ってきます」


「……行ってらっしゃい」


 不承不承言ったのが気に入らないのか、何故かその場から動かない。


「もう一度」


「は?」


「やり直し」


 行ってらっしゃいを? どうしろと!


「名前を呼んでくださいと言ったはずですよ。昨夜、可愛く呼んでくれたじゃないですか」


 エロい言い方に聞き耳立てるなよ。詰所のお兄さん。見えてるよ!


「いかがわしい言い方しないでくださいこの悪魔」


「悪魔、じゃないでしょう?」


 くっ。何なんだこいつは。

 私は盛大に舌打ちして、昨夜の根負けした自分を罵った。


「………………行ってらっさい。雪」


 小雪、と呼ぶのは非常に癪に障ったので、雪と改名してやったのだが、


「行ってきます」


 どことなく嬉しそうに笑うものだから、気に入らない。ちっ。今度から雪ちゃんと呼んでやる。空中ブランコに乗ってやる!


 三つ編みを翻して仕事場に悪魔を見送って、私は詰所の窓口を振り返る。

 そこに居た今にも化けて出そうなほど陰気な顔したお兄さんは、だらりとした動きで私の呼びかけに応えた。不気味すぎる。


「面会の申し込みをした者です」


「ああ」と肯いて、痩せて青白いお化け顔のお兄さんは意外なほど手早く書類をめくって言った。


「バーリム死刑囚と、ハイラント受刑囚の面会ですね」


 書類を見ながらお兄さんは詰所の隣にある厳つい鉄格子の鍵を開けて、私に入るよう促した。


「独房になっていますが、他の房に迷いこまないように。身の安全は保障しませんよ」


 まぁ、死刑囚の独房は静かなものですがね、と不気味な声でお兄さんは言い、私の前に立って石造りの冷たい廊下を指す。


 牢屋に続くとは思えないほど、明かり取りの窓から日の光が注ぐ廊下は静謐だった。

 このお兄さんが掃除でもしているのだろうか。廊下に埃は少なかった。


 この先に。

 そう思うと、少しだけ足が竦んだ。


 悪魔に頼んだ二つのお願い。

 それは屋敷の使用人のことと、この面会。こちらはもう少し時間がかかるだろうと思っていたから、翌日にはもう会えると言われて驚いた。

 だから、ほとんど心の準備はない。


 暗い色の詰襟のお兄さんについて、廊下を歩きながら私は眩暈がしそうだった。

 昨夜悪魔に告げられた事実は、私には重い事実だったから。


 アンジェさん達を戦場に送り出した十一人の陽気で、優しくて、残酷な騎士と、絵の中にでも入っていそうな人形めいた魔術師。

 彼らに会いたいと言った私に悪魔は微笑むことなく静かに告げた。


 魔術師は決して生きては出られないという北の塔にあり、十一人の騎士のうち、残っているのは一人だけ。


 他の騎士達は、すでに処刑された後だった。



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