下着と萌
これから寝る体勢なのが一目瞭然な着流し姿でぶらぶらと来た彼は、窓辺に置いた小さなテーブルとイスで仏頂面のまま酒をちびちびとやっている私を見て首を傾げる。
「どうしたんですか? 昼間よりもご機嫌ななめのようですが」
赤銅色の頭をちらりと見てから、私は何も言わずに机の上に放り出した衣装を指さした。
「ああ、誰かが気を回したのでしょう」
物珍しそうに悪魔が手にしたのは、局部だけを申し訳程度に隠したすけすけの下着だ。これとパンツだけ履いてお出迎えしろといわれました。ふざけんな。どんなお迎えだ。
今の私は悪魔と同じような着流しです。
「着てみますか」
「あなたがどうぞ」
そう言ったら「そうですか?」と着流しの襟を緩めるので慌てて止める。何考えてるんだこいつは。
「男のスケスケなんて見たかないですよ! 器量よしのお姉さん呼んでください! 出るとこ出たお姉さんが着てこその衣装なんですよ!」
「そうですか? 痩せた方が着ても男を刺激するには充分と思いますがね」
「だって、この布地の少なさが肝なんですよ? 見えそうで見えないのがいいんじゃないですか! 絶対領域万歳」
「見え隠れすることに神秘性を見出すのは肯けますが、それは反応を楽しむための趣向なのでは?」
どうして旦那となった人とスケスケ下着を挟んで、萌談義せねばならん。そしてアンタはなんでそうドエスなの!
私は思わず頭を抱えた。
なんてことだ。何か早まった気がする。趣味が合わないことも含めて。
泣きそうな気分で、本日めでたく旦那さまとなった人を見上げた。
いつもは背中で泳がせている赤銅色の三つ編みを肩にかけて、眼鏡をかけた姿は優しそうに見えなくもない。年は、聞けば三十になったばかりとかで、老獪な手腕を持つ宰相にしては思いのほかまだ若い。
近くで見ると、その横顔は奇麗だった。
白い肌の顔のパーツは一つ一つが精巧で、面長の顔はまるで月を思わせた。何も知らずに出会っていれば、月からやってきたと言われても信じてしまいそうだ。
私の視線に気づいた赤い瞳が面白がるように細められても、どうしてかこの人を美しいと思った。
「あーあーあー早まった!」
「何をです?」
「アンタと結婚するのは早まった! あれですよ、頭にカーッときてただけなんですよ。まつげで影ができるような人と結婚するなんてどうかしてるとしか思えない!」
「私はあなたのような美しい方と結婚できて嬉しく思いますよ」
「その面白がってるようにしか思えない顔で言われて誰が信じると思うか! ああああ馬鹿だ! 私は馬鹿!」
「そういうところも可愛いですよ」
「いちいち相の手入れないで! 自分を罵倒してるんですから! すみませんが今からでもナシにできませんかこの結婚! いーじゃないですか、私は迷い人だしあなたに嫌われてるし元の世界に帰ったっていえば皆納得しますって!」
「私が納得しませんが」
「どうして!」
すい、と手をすくい取られた。
私の指が震えたことに気がついたはずなのに、白くて広い手はゆっくりと私の手を包みこんでしまう。
「すでに、あなたは私と契約したのですよ」
まるで、本物の悪魔が目の前に現れたようだった。
赤い瞳はにこりともせず、暖かい掌で私の手を包んだまま静かに言う。
「あなたを汚さないと誓いましょう。ですから、あなたは最低一年、この世界にあって私の妻であってください。一年を過ぎれば、あなたがあちらの世界に帰るのなら必ず帰して差し上げます」
「一年……」
「陛下があなたを諦める期間です」
男の声を初めて聞いたような心地になった。
見上げると、そこには悪魔ではなく、一人の真摯な男が居た。
「あなたは、陛下と出会ってはいけなかった。たとえ、魂の片割れだとしてもね。私があなたを誤ってこちらの世界に招いてしまったことが原因ですが、私は、否応なく引かれ合う魂というものを見誤っていた」
男はゆっくりと目を閉じた。
「あなたには、許してほしいとは思わない。憎んで、恨んでくださって結構です。ただ、私はあなたのことを尊重し、どんな願いも叶え、必ず守ると誓いましょう」
飾り気も、何もない。
ひどく真っ直ぐな、懇願だ。
私はいたたまれなくなって、泣きそうになった。
「陛下は、これからのこの世界に必要な方です。そうであるためには、異世界からの訪問者であるあなたを手に入れてしまってはならないのです」
知っていますか、とつぶやくように男は言う。
「北城一族がこの東国に出来てから数百年、加速度的に東国は腐敗しました。かの一族の才を疑わず、重用し続けた。その結果、東国の国力は落ち、西国との小競り合いを繰り返すようになった」
つまり、迷い人のせいで、東国は駄目になっていったということだ。
それは、
「―――それが、私が陛下と会ってはいけなかった理由ですか」
「そうです」
頷く紅い目の男を見ながら、私は呑み込んだ言葉を心に落とした。
だから、あなたは私を嫌いなのか、と。
まるで嫌われたくないかのような言葉だ。自分は、この悪魔を嫌いなのに。
「ご心配なく。あなたのことは、私がきちんと面倒を見ますから」
私の複雑な顔を見られたらしく、悪魔に戻った男は目を細めた。
「悪魔のアナタに心配されても嬉しくありません」
そうですか、と笑う悪魔が、やっぱりわけの分からない人間に見える。
でも、考えるだけ無駄な気もする。
「あの、早速お願いがあるんですけど」
「名前で呼んでくれるようになったら聞いて差し上げましょう」
「いつの間に条件付きになったんですか」
「今です」
理不尽なことを言って悪魔は私の手を放すと大きく伸びをする。
「私の名前はしょうせつ、小さな雪と書いて小雪といいます」
これは、
「……それって、アザナってやつ…」
「よく知っていますね」
にやりと笑った顔は、まさしく悪魔だった。
いつか聞いた話だ。アザナは、親しい恋人か夫婦の間で使う名前で。
「めでたく夫婦になったのですから、アザナで呼んでください」
そういって、早々と私のベッドに入ろうとするから慌てて引きとめた。
「なんでここで寝るんですか!」
「私の部屋には仮眠用のベッドしか無いんですよ。どうしてこのベッドがこんなに広いと思っているんですか」
「大人四、五人が遊んでも大丈夫な広さだなとは思っていたけど……!」
「そうですよ。ここが私たちの寝室です」
あんまりにもあんまりな事実をつきつけたかと思うと、私を放って悪魔の旦那さまはベッドの右端に陣取って布団を被ってしまう。
サイドテーブルに眼鏡を置いて、にっこり笑うと、
「あなたもおやすみなさい。起こしてなんかあげませんよ」
「話はまだ終わってない……っ!」
慌ててベッドに飛び乗った私は、旦那の肩を揺すりながら名前を呼ぶことを強制され、不承不承呼んでから、話を聞いてもらうことになった。
やっぱりこいつは悪魔だ。