サバンナとアンドロイド
病める時も貧しい時も夫を支えると誓いますか。
わざとらしいほど厳かな口調で尋ねる神父に、ヴェールを被った花嫁は恥じらうように答えます。
はい、誓います。
やがて隣の夫となる人と向かい合い、誓いの口づけを交わす。
なんてことは異世界ではありません。
でも、どこの世界にも結婚式というやつはあるわけで。
ほんの数日で整えられた段取りは、まぁ、何と言うか超略式ってやつなんだろう。
私の夫となる眼鏡悪魔が用意したのは、私の花嫁衣装と、結婚証明書というやつだけだった。
この東国での結婚式は、まず神と見立てた祖先に報告し、それから親類縁者に報告すればオッケーというもので、神聖なんだかそうでないんだかよくわからない。
王様はまぁ、ご先祖様がやたら多いしその他もろもろの報告が面倒だから全部、親類縁者の立会ってってことになるらしいんだけど。うわーめんどくさい。
で、私はというと、ただいま白チャリムに身を包んで悪魔のご先祖様が眠るという石室にも似た石造りの神殿の中で旦那待ち。
白い糸で複雑な模様の刺繍が入った裾の長いチャリムは奇麗だし、宝石のついたティアラと一緒に被せられたヴェールは複雑なレース編みで、その下の私の顔も特殊メイクで別人になっている。
いいんだ。白チャリムは呪いのアイテムだから。悪魔との結婚には持ってこいだ。
石室神殿は半地下になっているけど、窓が大きくて日の光はいっぱい入る。だから、意匠をこらした窓の隙間から光のカーテンみたいな陰影が灰色の石の上に落ちてオーロラみたいで奇麗だ。
昔から憧れてたウェディングドレスはきっと幸せいっぱいに着てやるんだと思っていたから、物珍しさばかりが先立つこの結婚に私はそれほど感慨を持っていないようで、神官と呼ばれる立会人と一緒に、黒づくめのチャリム姿の旦那となる人が入ってきても大した感動も落胆もなかった。
ただ、白チャリムじゃなくて良かったなと思った。
いやだって、あの人赤銅色の髪に赤い目なんですよ? 悪魔のくせにどんだけおめでたい組み合わせよ。
黒チャリムの旦那さまはちらりと私の方を見ていつものように笑ったかと思えば、ご先祖様の名前がずらりと並んだ石碑の前で私と並ぶ。
そうしてこちらは白と黒の合わせ布のチャリムを着た神官だというおじさんが私たちの後ろから祝詞のような呪文のような言葉を朗々とそらんじて、それが終わったら拳と拳を合わせて三人同時に礼をする。
それで結婚証明書にサインして結婚完了! あー肩凝った。
かと思ったら、ふいに隣の夫のなったばかりの旦那さまが私のヴェールの裾を持ち上げて、私の顔を覗き込んできた。
「……なんですか。旦那さま」
あからさまな不機嫌な顔だというのに、赤い目の悪魔はにっこりと笑う。
「いつもあなたは美しいけれど、今日は特に奇麗ですよ。私の可愛い人」
―――こうして、私のふざけた結婚生活は幕を開けた。
宰相という立場でありながら、悪魔の棲む御屋敷は要塞城からずいぶんと離れた場所にあった。
王都でも端になるというこの辺りは広大な森に囲まれて、庭との境がとんでもなく怪しい。でかでかとした門扉を竜車でくぐって、それからしばらく走らなければ屋敷に着かないから、あれが全部敷地らしい。金持ちの考えることはわからない。
けれど、そのだだ広い庭はただ本当に広いだけで、何かオブジェがあるとか花が咲いてるとかそういうものは一切ない。森を抜けるとただのだだっ広いだけの芝生だ。屋敷まで続く一本道の他にはところどころに木がぽつぽつと立っているだけの様子は、まるでサバンナのようだった。何をしたくてこんな庭にしたのだろうか。
屋敷に帰る道すがら、竜車の車中で正面に座る式服姿の旦那さまに尋ねてみると、
「代々、庭に頓着するような当主が居なかったもので。結局、私の代までこの様子ですよ」
つまりこの悪魔も庭とやらには興味がないわけだ。今更ながらにご趣味はと訊いてみたくなったので、続けて問うと、
「世界征服でしょうか?」
趣味で征服されたら世界も報われまい。
馬鹿話をしている間に竜車は石造りの屋敷に辿りついて、相変わらず無愛想な御者が丁寧さの欠片もなくドアを開き、先に旦那さまが降りて私に手を差し出してきた。普段なら絶対に取らないが、今日は結婚式から帰ったばかりで足はゆったりしたズボンだけど裾が長くて歩きにくい白チャリムだ。仕方がないので見た目よりも広い手に自分の手を置いた。
そのまま手を引かれて私は深い茶色の屋根がついた屋敷に招き入れられる。
観音開きの戸を開かれて、
「お帰りなさいませ」
三十人ばかりだろうか。
お仕着せのメイド服やスーツに身を包んだ老若男女が玄関ホールで出迎えてくれる。
その中から白髪混じりのナイスミドルが進み出て、
「無事のご結婚おめでとうございます。使用人一同心よりお喜び申し上げます」
彼がお辞儀をすると同時に他の人たちも続いてこちらに頭を下げた。
私も同じように「よろしくお願いします」とだけ応えた。
ここ数日お世話になっている人たちだ。
ここの人たちは愛想っていうものを忘れてきたように、機械みたいに働いているものだから、世間話をしようにも取りつく島もない。だから、数日経った今では、私はコミュニケーションを取る努力を半ば放棄している。
疲れた私はメイド長に連れられて旦那さまと別れて、とっとと自分にあてがわれた部屋に戻ることにした。普通のメイドとは違う裾の長いドレスの彼女は中年に見えるけど奇麗に髪を結いあげた凛とした女性で、顔は、そうあれだ。ロッテンマイヤーさん。
何くれと世話してくれるが、意見が一致したことも世間話をしたこともない。ミセス・アンドロイド。
私が与えられたのは、正面のサバンナ庭がよく見える、日当たりのいい部屋だ。
どんなお姫様仕様だと言いたくなる天蓋付きのベッドや、象牙色の細かい彫刻が施された化粧台なんかの家具類を見たときはうんざりしたが、よくよく見れば灰色のお屋敷によく馴染んでいて、青で統一されたカーテンも絨毯も何故か温かみさえもある。
住めば都とはよく言ったものだ。
私はまだほとんど空のはずのクローゼットを引き開けて、閉じた。
えーと。何だこれ。
もう一度見てみよう。見間違いかもしれないし。
戸を引き開ける。
夢じゃないのか。これ。
昨日までは異彩を放っていたクローゼットの隅の私の旅荷物が霞んで見える。
私はそれをひっつかむと、部屋についてきていた無表情なメイド長にわななく口元を抑えながら訊ねることにした。
「なんですか、これは」
「今夜が奥さまと旦那さまの初夜にあたりますので、ご用意させていただきました」
にこりともしないで応えてくれる機械仕掛けの口調が憎い。
誰かに抗議しようとして、私ははたと気がついた。
旦那となった悪魔の部屋を知らない。
バカな。
「旦那さまの部屋を教えてください。ちょっとお話があるんです」
「こちらのしきたりでは、結婚式を終えられて初夜までは夫となる方と顔を合わせることは禁じられております」
そこを何とか!
と言っても、この融通のきかないアンドロイドが聞きいれてくれるはずもなく。
結局私は自分を罵りながら仕方なく、夜まで待つことにした。
かくして、旦那さまは夕食が終わったなという頃に私の部屋へとやってきた。
誤字訂正しました。