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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
122/209

三つ編みとドロップキック

 まずいな。


 表面上はにこやかな男が荒れた部屋に入ってくるのを見ながら、私は内心慌てた。

 だってさー、私、正式な手続きして堂々と要塞に潜入したわけじゃないからさ。守衛のおじさん達は証言してくれるだろうけど。


 でも、男は私を横目で一瞥したものの何も言わずに、私よりも顔を引き攣らせた社長とクリスさんに向き合った。


「陛下がこの方との謁見を望んでおられます。お借りしても?」


 社長は青筋立ててるし、クリスさんは怒鳴り出しそうな厳しい顔をしてるのに、やたらと静かな男だ。

 私は自分に矛先が向いていないのをいいことに、上品だが強引にやってきた男を改めて観察した。

 暗い色の裾の長いチャリムと袷の着物を着て腰には灰皿箱みたいなものをぶら下げている。赤銅色の髪の一房だけの三つ編みが背中で長くうねっていて、東国では珍しい眼鏡をかけている。一見すると穏やかな紳士にも見えるけど、醸し出す空気は何となくうすら寒い。きっと眼鏡の奥は笑っていないんだろう。


 観察していたら、ふと男が私を見てきたので、口笛吹いてごまかすように視線を明後日の方向へ飛ばす。

 すると、彼は口の端だけ上げて笑い、


「葉子・君島さんですね?」


 驚いたことに私の名前をきちんと発音した。

 私が応えないでいると、男は勝手に続ける。


「私は、ラウヘル・ショウセツ・トーレアリングと申します。以後お見知りおきを」


 丁寧に礼をされたけど、ミカエリ・ジョーンズ以上の慇懃無礼だ。胡散臭い。


「ヘイキリング陛下が謁見の間でお待ちです。お連れいたしますので、こちらへ」


 私に拒否権はないらしい。

 社長とクリスさんを振り返ると、彼女たちは苦々しい顔をしている。


「あの」


「はい」


 男に呼びかけると、彼は丁寧に返事をしてくる。まったくもって胡散臭いなぁ。


「私、殺されるんですか?」


 なんだかんだと東国ではよく命を狙われたり死にかけたのだ。

 でもこの問いかけの何が面白いのか、ラウヘルと名乗った男は面白がるように目を細めた。


「とんでもない。あなたは陛下のお客様です。私が保証いたしますよ」


 胡散臭いアンタに保証されてもな。

 社長とクリスさんに振り返ったら、


「―――今のところは、大丈夫だ」


 今のところって何だ。社長。嘘でもいいから確実と言ってくれ。

 一気に何だか気が重いよ。

 そんな私に社長は私物の詰まった箱を手渡してくる。


「長い間ありがとうございました」


 一応、礼を言っておこう。預かってくれてたわけだし。

 でも社長は何か言いたげな顔でそれしか取り柄がないのに整った顔を歪めた。

 なんだよ。私が何だかいじめてるみたいじゃないか。


「大丈夫ですよ。また話に来ますから」


「―――ああ」


 ようやく苦笑するように緩めたよこの人。


「無事で良かった」


 不器用な言葉は相変わらずだ。


 ラウヘルに促されたので、私は彼について箱を持ったまま社長の部屋を後にした。



「―――北城宰相と仲がよろしいのですね」


 私の先導の道行き、胡散臭い男がそんな風に訊ねてくるので、鼻で笑うのをこらえた。


「同じ迷い人なので、話しやすいんですよ」


 そもそも私がこの世界に来てしまった原因だしね。責任は存分にとってもらうつもりだったのに、なんだかんだと私の方が面倒みてないか。


「そうですか。宰相と共にあなたはこの世界に落ちてきてしまいましたからね」


 かつかつと、静かな靴音と共に廊下を進む目の前の男の三つ編みが揺れるのを、思わず凝視した。


「落ちてきた時、あなたは三日も目を覚まさなくて。こちらに落ちてきた迷い人が死ぬという事例は無かったものですから、驚きましたよ。北城宰相が意識を取り戻す前にあなたと引き離すことが出来て良かった」


 赤銅色の髪が日に透けて、まるで紅茶のように深くて赤い色にも見えた。

 まるで、


「此岸花畑に放り出したというのに、まさか陛下に出会うとは思いもしませんでしたけれど」


 血の色だ。

 ゆっくりとこちらを振り返るその双眸も、眼鏡の奥で脈打つ鮮やかな血の結晶のよう。


「よく今まで生きていましたねぇ。葉子さん」


 まるで、世間話の延長のような口調で、男は続ける。


「この私が自分の手を汚してまで殺そうとしたのに」


 何者だ。この男。

 ただ一つ分かったのは、この男が私をこの世界に落とした張本人だということ。




 それから、どういう道順で謁見の間に辿りついたのかわからない。

 気がつけば、ひと気のない広い部屋でひざまずいていた。


「葉子」


 低い声に目が覚める。

 ああ、懐かしい。本当に。

 顔を上げると、湖面のような瞳が私を映していた。



 記憶にあるよりも少し痩せただろうか。

 黒髪を首の後ろでまとめているせいか、より精悍に見えた。

 飾りのついた詰襟服でひざまずいた私よりも一段高い椅子に腰掛ける姿は、やっぱりこの人は王様だったのだと思った。


 ふとその隣を見ると、長い黒髪の奇麗な人が座っている。美人というより可愛らしい感じの人で、白い肌、ふっくらと淡いピンクの唇が愛らしい。小動物を思わせる容姿だが、丸みを帯びた紫の瞳はちゃんとした意思を持っていることが窺えた。首までゆったりとレースで隠すようなドレスをまとった姿は間違いなく女で、一目で彼女が女として愛されていることが分かった。

 この人が奥さんだろう。

 奇麗な人だ。


 思わず顔が綻んだ。

 幸せなんだ。俊藍。

 きっとこの人は、俊藍のあの呪いも受け入れてくれたんだ。


 ほっとした。

 いつか迎えに来てくれるとか、そういう約束を諸々破られたってことだけど、あれは俊藍が一方的に約束していっただけだ。

 


「良かった」



 自分の思いが口から漏れたのかと思った。

 でも、爽やかな香り包まれて、初めて抱き締められているのだと分かった。

 暗い色の服がぎゅうぎゅうと二度と放すまいというように私にまとわり、私は懐かしさに鍛えられた腕を少しだけ掴んだ。

 俊藍がいつの間にか私のそばで同じようにひざまずいて私を抱き締めている。

 いつかの、雨の日を思い出した。

 味方になると言ったあの日。


 恋じゃない。

 そう思ったのは、間違いじゃない。


 この腕に抱かれて私はようやく自分の何かが戻ってきたような心地になる。

 それは、やっぱり今も同じだった。


 私を確かめるようにぎゅうぎゅうとしがみついてくる大きな体は、まるで大きな子供だった。


「―――大丈夫。生きてるよ。俊藍」


 肩を叩いてやると、今にも泣きそうな呻き声が聞こえた。

 大の男が泣くなよ。


「すまない」


 小さく溜息が私の耳元で囁いた。


「すまない。葉子」


 すまないと繰り返す声が本当に泣き出しそうだ。


「―――どうしてお前ばかりをこんな目に……」


 えと。どういうことかな。

 思わず顔を引き攣らせて俊藍の腕を引きはがした。

 何だ何だ、みんなして。

 逃げろだの、こんな目だの。


 俊藍の肩越しに少し驚いた顔の奥さんと目が合った。おっといけない。この人スキンシップ多いけど、妻帯者だったっけ。

 私は奥さんにニコリと笑いかけて、俊藍を今度こそ引きはがす。

 名残惜しげに私の肩に手を置いたけど、俊藍は大人しく離れてくれた。よしよし。女の嫉妬とかシャレにならないからな。正気に戻れ。


「元気そうで良かったよ。俊藍」


「……まだ、その名で呼んでくれるのだな」


 あ、しまった。俊藍って奥さんしか呼ばない名前だったっけ。忘れてた。


「忘れてた。御無沙汰しております。ヘイキリング陛下」


「今更繕うな」


 思わず、というように整った顔が苦笑する。表情筋も動いているみたいだし、大丈夫だろ。でも、私の安心をよそに、俊藍は再び笑みを消した。

 何か、結婚おめでとう、とか言える顔じゃないんですが……。


 俊藍は、覚悟を決めたような顔でしばらく黙りこんだけれど、苦渋の選択を呑みこむように口を開いた。


「―――葉子、お前には、そこのラウヘルと結婚してもらう」


 は?


 そろりと首を動かした。

 俊藍の声は続く。


「その男は、我が国のもう一人の宰相で、お前をこの世界に落とした首謀者だ」


 それは知ってる。でも、


「五年前、私に獣化の呪いをかけ、内政を混乱させて私を王位から追い落とし」


 振り返ると、赤銅色が目に入った。


「国境でハイラントと結託し、炎の女神を量産し」


 あの赤い瞳には私の間抜けな顔が見える。


「東と西に戦争を起こさせた裏切り者だ」


 だが、と俊藍は吐き捨てるように続ける。


「この者は、表向きには戦争を終結させた功労者だ。表向きには罪には問えない。それでも、この男を野放しにはできない」


 まさか、この、何だか縁側でひなたぼっこするみたいに笑ってる人が。


「私に忠誠を誓うかわりに、お前を妻に迎えたいと言ってきた」


 えっと。

 私は私の隣で大人しくひざまずいている男を改めて見た。

 にっこり笑ってるけど、目は笑ってない。うすら寒いよあなた。


 それから俊藍を見た。彼は何だか自分がこいつと結婚しろと言われたみたいな顔で今にも泣きそうだ。泣くなよ。泣きたいのはこっちだ。


 私は混乱する頭の中で、俊藍がほざいた衝撃の事実をまとめることにした。

 えっと、このメガネが私を異世界に落とした張本人で、俊藍にも呪いをかけてて、有害銀髪と知り合いで、アンジェさん達を……


 体が言うことを効かなかった。

 でも、止まれとも思わなかった。


 気がついたら、俊藍の腕を振り払って、隣の男に殴りかかっていた。

 渾身の一撃だったにも関わらず、男は軽々と私の拳を受け止めてしまったが。


 私は舌打ちして蹴りを繰り出したがそれも駄目。いつの間にか立ち上がった彼に拳を受け止めたのとは反対の手で弁慶の泣き所を抑えられてしまう。

 もう最後の手段だ!


 ええい!


 ほとんど目をつぶったまま私は頭を大きく振りかぶって、男めがけてスイング!


 ごん!


 命中したはいいけど、自分も痛い。涙目になって目を開くと、ドアップで眼鏡の奥の赤い目が笑っていた。

 私の額と自分の額を合わせたまま、まるで恋人が睦言を囁くように、男は口の端を上げる。


「噂どおり、元気の良い方ですね」


 私の決死のストリートファイトを元気がいいで片付けやがったよ。


「この鬼悪魔! 鬼畜! 人外魔境! ドエス眼鏡!」


 叫んでいたら、顔が熱い。いつまでも涼しい顔したこの顔が憎かった。


「人殺し!」


 そう叫んだら、ようやく返事がかえってきた。


「―――それは、炎の女神たちのことですか?」


「それ以外も全部!」


 大雑把なことをおっしゃる、と男は初めて笑みを崩して、


「彼女たちは自ら望んで女神になったのですよ?」


 そうかもしれない。

 彼女たちは最後まで誰ひとりとして逃げようなんてしなかった。

 でも、それは、


「アンジェさん達は、死ぬ以外に救いが見えなかっただけだよ」


 死んでも死にきれないほど絶望して、あの家で癒されていたのだ。


「あの家以外に、帰る場所がないのに、どうやって逃げることなんか出来たの」


 泣くな。

 俊藍の前でも泣かなかったのに、目の中が水の膜に覆われるのを感じる。

 でも、「ちっ」と小さく舌打ちが聞こえた。

 顔を上げると、今までどんな言葉を受けても表情なんて笑顔以外忘れたみたいな男の顔が、忌々しそうに歪んでいる。

 私の不思議そうな顔を見とめて、今度こそ男は大きく舌打ちした。


「私だって、あなたを妻にしたいわけじゃありませんよ。ですが、私の計画にことごとく入り込んで小さな綻びを作っていくわ、殺そうとしても何故か生き残るわ、あなたのような人を野放しにしておけないのですよ」


 散々な言われようだ。

 どうして、こんなラスボスみたいな男にこんな言い草並べられなきゃならないんだ。


「どうしても殺せないなら、いっそ取りこんでしまうしかないでしょう」


 どういう理屈だそれは。

 唖然としている私の両腕を万歳させるように掴んだかと思えば、男はそれこそ子供の二、三人はさらっていそうな人の悪い笑みを浮かべる。


「嫌よ嫌よはお互いさまです。どの道、あなたは私の妻になるしかありませんよ」


 覚悟を決めたようなクリスさん。

 逃げろと喚いた社長。

 すまないと繰り返した俊藍。


 何だか全部、繋がるのは気のせいですか。

 確かに逃げたいわ。

 ラスボスの嫁になれとか。


 でも、


「この!」


 男の腹めがけてドロップキックをくれてやると、両腕は自由になった。

 はっはっはっはー。伊達に弟の上に君臨している姉じゃないんだぞ! 時には力も必要なのです。


 悪人面で私を睨みつけてくるこの赤目。

 とんでもなく凶悪で、どうしようもない人なんだけど。


 面白いと思ってしまった。


 この極悪人が私のためにその涼しい顔色を崩すのだ。

 面白くないはずがない。


「俊藍」


 半ば唖然と私と極悪人のやりとりを見ていた俊藍が、私の呼びかけに「あ、ああ」と生返事をした。


「私、この人の所にお嫁に行ってもいいよ」


 今度こそ、黒髪の奇麗な王様の顔が凍った。

 なんだよ、アンタが行けって言ったんでしょうが。


 すぐには動きそうもない俊藍を尻目に、私は再び赤銅色の悪魔を振り返る。

 既に笑みを湛えている悪魔は、私を見つめて目を細めた。

 この悪魔には私の許しも妥協も要らないんだろう。だったら、せいぜい、これからしばらく嫌がってもらいましょう。

 きっと私もこの極悪人と大差ない凶悪な顔で笑っていることだろう。



「これからよろしく。ダーリン」



 こんな感じで、私は誕生日に好きでもない初対面の男とめでたく結婚することになりました。


 まったく、なんて誕生日だ。





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