串焼きとトンネル
関所を抜けて無事にたどり着いた私は、懐かしい木造家屋に目もくれず、真っ先にギルドに駆け込んだ。
だって、ほとんどの持ち物捨ててきちゃったんですもの! 木札は持ってるけど南国の迷い人証明書では南国での保障であって、東国には通じない。それでも関所では私の身分を証明してくれるんだから、クルピエには感謝する。
窓口のお姉さんに確認してもらったら、私の持ち金はどう見たって安宿に泊まれるほど。それに南国でヴィアンドおじさんの所で働いたってことでもらったお金を足しても二日三日過ごせる程度だった。
だからお姉さんに相談したら、日雇いの仕事をいくつか紹介してくれたんで(西国にはなかったよ!)サリーを預かってもらってウェイトレスやら店番やらの仕事をいくつかこなして、旅費にすることにした。
今更だけど、生活力ついたな私。
南国との国境の辺境から、東国の王都がある街までは騎竜で街道を進んで最低でも一週間はかかるという。まぁマシだよ。
でも、私はなるべく昼間は日雇いの仕事をして夜は早めに宿に帰って床につくことにした。街道は人の多い通りを尋ね歩いて、選んで歩いた。
あの黒装束は、いつだったか俊藍を襲ってきた奴らと一緒だ。
どうして私を狙ってきたのかは知らないけど、東国の出身であることには間違いない。
私は野宿を避けて行程を進め、関所から七日目。
「あー着いた」
異世界から落とされて一日目、訳も分からず連れてこられた王城の前に立っていた。
幸い、再びあの黒装束に狙われることもなかったから、意外とすんなりやってきた。
クリスさんに遊びに連れてこられた下町を歩いてサリーと一緒に屋台を冷やかして、念願の串焼きをようやく口にした時には、思わず唸ったよ。色とりどりのお酒も美味しかったこと! 港町でもあるためか、見た目深海魚な魚の丸焼きとかもあったから、今度試してみよう。ここ最近の習慣としては、街に着いたらすぐにギルドへ直行なんだけど、宰相さまの社長に会えるか分からないから先に王城に来たという次第です。屋台への寄り道は正当な欲求です。
馬車の中からはちらっと見える程度だった要塞の門は大きかった。
サリーと一緒に「うわー」と見上げて、このまま「たのもー」って門叩いても良かったんだけど、さすがに不審顔の門番の詰所で草色頭で甲冑着たお兄さんを捕まえる。
「あのー。私、ヨウコ・キミジマっていうんですけど。クリスさんか、北城しゃ…宰相閣下に会えませんか?」
ついでに迷い人の証明書を見せると、お兄さんはますます不審な顔になってしまう。
でも、お兄さんの隣から顔を出した気の良さそうな白髪混じりのおじさんが、
「クリス? もしかしてクリス上等兵のことか?」
じょうとうへい? なんだそれは。メイドさんだよあの子。
でもクリスという名前の人はその人しかいないらしくて、今度はこっちが不信顔で肯いた。
「クリス上等兵にヨウコという迷い人が来たら連絡しろと言われているんだ」
「はぁ」
生返事の私を尻目に、おじさんは電話によく似た受話器を取り出すと、電話帳みたいな本を取り出した。そして、ぺらぺらと何かを探して、探し当てた一文を指でなぞる。すると、
ぼうっと文字が光ったと思ったら、おじさんは受話器に向かって話しだす。
ぽつぽつと私のことを伝えてくれたかと思ったら、このままここで待つように言われた。
「すぐに来るってさ」
「ありがとうございます」
じょうとうへいなる人がクリスさんかどうかは知らないけど、中に居る人なら彼女を知っているかもしれない。
東国の辺境からここまで来たのだと言うと、それは大変だったなと気のいいおじさんとお兄さんは驚いたようにお茶を出してくれた。ああ、なんか懐かしい。こののんびりした感じ、東国だ。それをのんびりすすっていたら、門の内側でドカンっと爆発音がして、大門の脇にある小さなドアがバタンと開く。
「ヨウコ…!」
栗毛の女の子が飛び出てきて、がしりと私に抱きついてきた。
格好はチャリムでもメイド服でもなくて、詰襟みたいな服だったけど、顔を上げた碧眼は、
「久し振り。クリスさん」
相も変わらず可愛らしいクリスさんだ。
彼女はなぜか泣きそうな顔で可愛い顔をしわくちゃにしてしまった。
「よく、西国の戦場から生きて…っ」
あ、そうか。私、あの戦場でよく生きてたよね。
「でもよく知ってたね」
私は色々あったけど、連絡したのは南国からが初めてだから、今でも東の国のクソババァの元に居ると思われているのかと思ってたよ。
クリスさんは、今度こそ泣きそうになってたけれど、はっと息を詰める。
もしかして、私が東国に来るとまずかったのかな。
その思いつめた顔を見てたら気の毒になって、私は口早に用件を言うことにした。
「あのね、私、しゃ、じゃなくて北城宰相に会いに来たんだ。ちょっと前まで北国に居たんだけど、元の世界に帰る方法わかったから」
それ話したらすぐに出ていくから、と言った私を難しい顔でクリスさんは見つめて、覚悟を決めるように大きく息を吐いた。
「分かりました。お連れします」
サリーは連れて行けないからと、大きな荷物を預けて守衛のおじさんにサリーのお相手してもらうことになって、私はクリスさんと城門の中へと入ることになった。
クリスさんは城門の脇に私を連れてくると、見憶えのある方陣の中に私と一緒に立った。
あ、これは。
「待ってクリスさん。私、特殊体質らしくて、魔術効かないの」
何かを唱えようとしていたクリスさんは驚いたように作業を止めて、私をまた泣きそうな顔で見つめる。でも思いなおしたように「こちらへ」と私の手を引いて城へ続く橋を渡らず、門の脇から階段を降りていった。
やっぱり迷惑だったのかもしれない。
でもまぁ、社長のところに連れて行ってくれるんだから、と私はクリスさんの後ろから階段をくだった。
要塞の周りは堀みたいな湖なので、橋を渡らなければ当然ほとりだ。石造りの城壁のひと際暗い場所へ行くと、クリスさんは何事かを口の中で呟いて、城壁に積んである石の一つを手で押した。
すると、ゴゴと小さな音がして、ふわりとアーチの入口が現れた。そのトンネルは長いようで、晴れた日の光もほとんど入らない。
「こちらから、北城閣下のところへお連れします」
ここから?
私の疑問が分かったのだろう。クリスさんは頷く。
「魔術でお連れできない今、安全にお連れできるのはこの道だけなのです。―――私を信じて下さいませんか」
そう手を握る彼女があまりにも真剣だったので、私は大人しく頷いた。
トンネルは暗くて、クリスさんが魔術で作った明かりさえも三メートル先の暗闇に呑みこまれる。足音だけが響く中で、私は何となく気づまりで話しかけることにした。
「北城宰相は元気ですか?」
クリスさんはますます押し黙る。質問が悪かったかな。
でも、しばらく黙り込んだあと、彼女はおずおずという風に答えてくれた。
「―――閣下は今、すべての力を奪われて軟禁されています」
え、
「何それ」
権力なかったらただのわがままお坊ちゃんじゃないか。あの人。
「どうしてそんなことに?」
「通常の宰相の業務はこなされています。でも、意見することはおろか、城から出ることさえ禁じられています」
「そんな、どうして……」
そんな面白いことに。……おっと失礼。不幸っぽいことに。
クリスさんは続きを促す私を横目に、二股に分かれたトンネルの先にあった扉を無言で開く。
わずかぶりの陽光に目を細めて出ると、そこはいつか私が通ったような気がする要塞の中の廊下だった。
クリスさんは迷いのない足取りで歩きだすので、それについて歩いて行くと、幸い誰にも会わずに一番奥の観音開きのドアまで辿りついた。
「入ります。閣下」
ノックもそこそこにドアを開けてクリスさんに促されたので、私は忍びこむみたいに部屋へと入る。
そこには、見憶えのない男が机の上でうつ伏せになっていた。
元は整えられていたと思われる部屋は、机と簡単な棚しかなくて、書類や酒瓶であふれて酒臭い。部屋同様に荒れた机の上に突っ伏しているのは、乱れた詰襟の無精ひげの男だ。その手にはやっぱり酒瓶。昼間っから良い御身分だな。
「―――閣下。北城閣下」
男に近寄ったクリスさんに肩を揺らされて起こされると、彼女の手を酒瓶が、
ぶん!
と払いのける。クリスさんに当たりはしなかったけど、この酔っ払いめ。
男はのっそりと体を持ち上げ、がりがりと頭を掻いたかと思ったら、部屋で呆れた顔をしている私を見て、動きを止めた。
「……まさか、葉子か?」
この偉そうな声。まさか、
「社長?」
あのエリートまっしぐらな上等そうな外面が見る影もない!
社長はおもむろに席を立つと、酒がまわっているのか多少ふらつきながら私のところへ走り寄ってきて、
「なぜ、今戻ってきた!」
ああ、やっぱり社長だ。この偉そうな感じ。
「なんでって、元の世界に戻る方法見つけてきたんで、お知らせに」
社長の無精ひげ顔が今度こそ派手に歪む。いったい何なんだよ。
むっとした私を見て、何か言おうとしてたけど、今度は大きな溜息をついた。ここに返ってきたら何かよく溜息つかれるな。
「―――どうして、陛下のところへ真っ先に行かなかったんだ!」
アンタこそ会えて嬉しいとか、無事で良かったとか社交辞令はないのか真っ先に。
「どうして私が陛下なんかに会わなくちゃならないんですか」
あ、まぁお世話にはなったから言伝ぐらいは預けておこう。
ますます不可解な生き物を見るような目で私を見て、社長は溜息交じりに頭を掻く。風呂に入れ酔っ払い。
「陛下って結婚したんですよね。おめでとうございますって言っておいてください。それより、元の世界に帰る方法をあなたに話したら出ていきますから」
仕事を干され気味だっていうからちょっと同情した私の時間と心を返せ。お望みならとっとと出てってやる。
「そんなことはどうでもいい! 早くここから逃げろ!」
「はぁ?」
私の肩に掴みかからんばかりの社長は、不審顔の私に怒鳴りつけるように続ける。
「元の世界へ帰る方法が見つかったなら、君はその方法で早く帰れ!」
「忘れたんですか。私、あなたの車に轢かれそうになってこの世界に来ちゃったんですよ」
うっと唸ったところを見ると忘れかけてたらしい。どうした。昼間っから酒なんか飲んでるから頭がまともに働いていないんじゃないのか。
「元の世界に帰れないなら、すぐにこの国を出て、どこでもいいから匿ってもらえ!」
どこでもいいって大雑把な。
「何なんですか。さっきから。どうして私が逃げなくちゃならないんですか?」
「いいか? 君は、今、自分で思っている以上にこの世界の事情に深く関わってしまっているんだ。不幸な目に遭いたくないなら、すぐにこの国を出ろ」
おおかたにしてすべからく、巡ってくる不運には見舞われておりますが。
不信顔の私にそう言って、社長は何かを思い出したのか、荒れた棚をごそごそとひっかきまわして、子犬でも入りそうな箱を取り出してきた。
「―――預かっていた」
差しだされたのは、見憶えのある鞄だった。
「これ、私の……」
あちらの世界から一緒に落とされた私の荷物だ。
「全部ちゃんとあると思うが、確かめてくれ」
言われるまま、箱の中の鞄を手に取った。少しくたびれた合成の布が懐かしくて何度も撫でる。中には財布と携帯、手帳とハンカチ、化粧直しのポーチまであって、あのとき買っていたはずのビールとおにぎり以外は全て揃っていた。それから、あのとき着ていたジーンズとセーターとコートもスニーカーもある。
ああ、私の物だ。
もう捨てられていたと思っていたのに。
こうして手元に戻ってくると、何だか他人の物みたいに見えた。手に取った手帳を広げる手は、あの頃とは比べものにならないほど日に焼けて節くれている。
手帳をめくってみると、書きかけの日記のようなものを見つけた。
この世界に来て二日目。二日酔いの私が書いたやつだ。
あの頃の私には、今の私は到底想像なんか出来なかっただろう。
日付を見ると、あの時からすでに一年近く。
スケジュール帳の日付はすでに足りなくて、小さなカレンダーを見ると、
「―――今日、私の誕生日だ」
原稿書いたりするために、伯爵の手帳に今までのことを書き出していたから何となくの換算だけど、それがあっているなら、今日はちょうど私の産まれた日だった。
落とされる前の誕生日は残業やらが重なって、深夜のコンビニで一人淋しくケーキを買ってくるというわびしいものだった。友人や弟からのおめでとうメールを見ながら、ビール片手に自分に乾杯したのは何だか遠い日だ。
日付を指でなぞっていた私の耳に、静かなノックが鳴った。
そして、
「北城宰相、よろしいでしょうか」
返事を待たずに扉を開いたのは、眼鏡をかけた上品な男だった。