かくれんぼとストーカー
東国へと続くという国境の高原は、なだらかな丘の頂にあって一本の道が通るだけの草原だ。その青々とした草原の背は高く、長いはずのサリーの足までほとんど覆うほど。だから、私が歩くと胸もほとんど隠れてしまう。かくれんぼには持ってこいの場所だろう。
風が吹くと時折ざわざわと風の通り道が出来るこの広い高原は、各国の間にある戦場でもある。それぞれの国が物理的な戦争を行うときには、ここに一斉に布陣するのだという。ここが戦場と決められているから職業軍人の騎士や傭兵が居るわけで、西国の村が襲撃を受けるということは、大則を破る本当に予想外な事態だったらしい。
今は南国と東国はそれほど交流もないけど仲が悪いわけでもないらしく、この高原はただただ広く、空には時々、輸送用らしい飛行機が飛ぶぐらいで、私以外に草を刈り取っただけの道を歩く人も車もない。
ぽくぽくと歩くサリーの背に揺られながら、私はのんびりと今にもしゅわしゅわと鳴りそうなソーダ色の青空を見上げた。ハワイアンブルーというやつだ。あ、それはかき氷か。
南国の気候は始終亜熱帯で蒸し暑いのが売りだったけど、この高原はもうそれほど気温も高くない。チャリム一枚だった私も、国境の関所からはマントを軽く肩にかけている。
あっという間だったけれど、長い旅だった。
どういうわけだか四か国まわる羽目になったけどあとになって思い出せば、良い旅だったと思えるだろう。まぁ、ほんとにいろいろあったけど。
初めは東国に行って、俊藍に会ってやろうと思っていた。
訊きたいことはたくさんある。
どうして東果てのクソババァは俊藍を裏切ったのか。
どうして、アンジェさん達は死ななければならなかったのか。
私は何も知らないままあの奇麗な王様と別れてしまったので、その理由でさえ検討もつかない。
炎の呪いに苦しんでいたのに、どうして戦場に炎で苦しめる女神を送り込む必要があったのか。
今となっては、東国と西国の戦争の理由さえどういうことだか疑問が残る。
どうして、東国は西国に戦争を仕掛けなければならなかったのか。
そもそもあの変態魔術師は、どうして私を東国へ向かわせなかったのか。
あの魔術師は意味のないことをたくさんするし、変態ではあるけれど、自分の興味が及ばないことに指一本を動かすとは思えない。とにかく私に嫌がらせしたかったっていうのは納得できる理由はあるけれど。
訊きたいことはたくさんある。でも今となっては俊藍に聞かなくてはならないことでもないような気もしている。
彼が全部知っているとも思えないし、私の関心事はどちらかというと別のことだ。
私が常に頭に残しているのは、色々な人との思い出と、少しの恨み事と、元の世界に帰るということ。
何といっても、俊藍はもう結婚してる。
あのバルガーのおじさんが嘘言うとも思えないから本当だろう。あの変態魔術師にしろギルドの胡散臭いマイスターにしろ、北国は他の国が思っている以上に他国の情報を集めているようでもあったから。
とにかく新婚さんのところにそんな生臭い話を持って、魂の片割れとか名乗る女なんか割り込んで欲しくないはずだ。
ぶっちゃけ、幸せそうな顔を見ると殴りたくなるだろうから私の拳と俊藍のあのお綺麗な顔のために会わない方がいいだろう。本当に面倒な男だ。
とりあえずこれ以上の面倒事はごめんだ。
クリスさんに手紙は届いただろうし、パパッと社長と面会させてもらって、不本意だけどバルガーおじさんにはお世話になったから弟子の有害銀髪に文句言って、俊藍には手紙でも書いて、それから西国の伯爵に連絡入れよう。郵便局のお姉さんの話だと、そろそろお土産も届く頃だろうし、万年筆の感想でも聞いてみよう。向こうからしたら私は旅の空だから一方的に連絡待ちだろうしね。
そんなことをつらつらと考えていた私をよそに、サリーが突然足を止めた。
不機嫌にごろごろと喉まで鳴らす。
「……どうしたの? サリー」
高原は砂漠ほど広くない。
半日もぽくぽくやってれば東国の国境に着くとヴィアンドおじさんは言っていた。
昼食も近い穏やかな日中の高原だというのに、サリーの様子はまるで野生動物満載の危険な森にでも入ってしまったような様子だ。
怯えとも苛立ちともとれるサリーの様子に、私もざっと辺りを見回した。
静かだ。
でも風もない草群が異様だということにようやく気がついた。
誰もいない静けさというよりも、何かが息を潜めているような不自然な静寂。
私は手綱をしっかりと握って、鐙がブーツにかかっているか確かめた。
荷持は仕方ない。トランクはお気に入りだったけれど、伯爵にもらった万年筆も愛用の手帳もチャリムの腰紐にくくりつけてある。咄嗟に取り出せるようにしていたのが、功を奏したらしい。お金も腕輪もお財布木札も身につけてある。お土産送ってて良かった。
私はすっかり扱いになれたサリーの荷物紐を解いて、トランクをどさりと地面に落とす。
「サリー!」
私の声に反応して、彼女は「くええええ!」とひと鳴きすると、高原の道を脱兎の如く駆けだした。
速い速い速い!
まるで競輪選手になったみたいに、私はサリーの首に抱きつかんばかりに手綱と一緒にしがみつく。
でも、私の耳にどどっという別の騎竜の音が聞こえてきた。
草を切るようなスピードの中、私が何とか首をひねると、少なくとも五騎の騎竜がこちらも凄まじい速度で肉薄している。
乗り手はいつか見たような、黒装束だ。
嫌な記憶が蘇る。
サリーは大事な相棒だ。
死なせたくない。
私には魔法は効かないらしいから、もしも何かを撃ってきても私には当たらないかもしれない。でもサリーは違う。
サリーを宥めて逃がそうか。
私はサリーの首を撫でようとした。
その時。
ひゅん!
私の顔の横を何かが通り過ぎた。
ますます嫌な予感がしてもう一度後ろを振り返る。
すると、
「うわぁ!」
わっと黒装束達がざわめいたかと思うと、速度を落とした騎竜から一人、また一人と地面に叩きつけられている。
その黒装束と暴れる騎竜の間を縫うように瞬いたのは、青白い光の球だった。
それはふわりとパニック寸前の中を動き回り、あっという間に五騎いた騎竜をすぐには動けないほど驚かせると、すいと私の方にやってくる。
まだ走っているサリーと並んで、飛んできたかと思うと、そのまま先へ進めというようにサリーの前にふわふわと、実際には猛スピードのまま先導するように進み出た。
しばらく走ってサリーが疲れたので道の真ん中で立ち止まると、すでに何かが追ってくる気配もない。
青い光はふいに私の顔を確認するようにやってくるので、改めて私もそれを見て思い出した。
あれだ。変態魔術師が飼ってた青い光の球だ。
こいつ、ストーカーでもやってたのか。
私の疑惑を横目に、その球は私の顔をまじまじ確認しているようだったので、私は胡乱な顔になってしまったが、助かったには違いない。
たぶん、こいつを操っている変態魔術師がこちらの様子を見ているのだろう。
「―――ありがとうございました」
これで貸し借り無しだ。というより私はアイツを殴りたいのだが、礼は言っておくに限る。すると、青白い光はなぜか満足したのか青空にすうと飛んで消えた。
ストーカーは止めたのか。
止めてくれたなら結構なことだ。
私はサリーから降りて、あとの行程を進むことにした。
鞍にはサリーの餌と水だけはあったので、彼女を休ませながら高原を抜けて、私たちは石造りの塀と独特の屋根を備えた関所に辿りついた。
東国だ。