ジュースとトラック
あっぶねぇ。
もうちょっとで淫行で捕まるところだった。
当事者同士はどうあれ世間様は許しちゃくれない。
どういう理由があろうと未成年はだめだぜったい!
嵐の夜の記憶が途切れた私が目覚めたのは、朝日の射しこむ時間だった。
恐る恐る体を起こしてみると、胸元がはだけていただけで他はまったく昨夜のままだった。妙な違和感もない。
けしからん行動に出たクルピエ青年は、どういうわけだかベッドとは反対側のチェストの前の床で座り込んで眠り込んでいた。
起こしてやる気にもならなかったので、ぼんやりと性根も行動もまだ若い男を見ながら、私はこの南国を出ることを決めた。
何のためだか知らないが、何日もこの国にとどめられていたのだ。
意図的に。
ああもあからさまに歓迎されたりすれば私だって気付く。
というか、安穏を甘受するには私はこの世界に長く居過ぎた。
ああ、ほんとに私の人生どこに向かうんだろ。
仕方がないので部屋に転がっているクルピエを叩き起こして、私は今日ここを出ると宣言してやった。
「それほど、私の花嫁は嫌ですか」
胸倉つかんでゆさぶってやったのに、微笑みを絶やさないとは大物になるよキミ。
それから、荷物をもろもろ返してもらった。
この王城に来るまではクルピエのお城に二日三日滞在してたんだけど、荷物らしい荷物はほとんどものの三十分で届けられた。
何でも、転送装置なるものがあるらしいのだが、今や懐かしいチャリムを渡されながら、私は詳しく理解はできなかった。まぁ、便利なものって認識があればいいや。
サリーも無事に返してくれた。
ここの人たちは車で移動するから動物の乗り物が珍しかったらしく、どこでもサリーは大変に可愛がられたようだった。
背中の剛毛も今やなんだかふさふさになるほどに毛づやが良くなっている。美人になったんじゃないか。東国行ったらモテるぞサリー。
「―――行ってしまわれるのですか」
朝ご飯もそこそこに準備を整えた私は、私が東国へ旅立つと聞いて慌ててやってきたポリテイクに付きまとわれていた。
今は一緒に御昼ご飯。お惣菜中心の食卓で、小皿に盛りつけられたおかずの脇にいるご飯の位置にはなんと麺がいる。南国の主食はこの麺なんだそうで、いろんな味と色があって面白い。
私は醤油にゴマ混ぜてかけるのがマイブーム。冷やし中華思い出すなぁ。
「ごめんね。あんまりゆっくりもしてられなくて」
正直言って、ここにあんまり長居すると、クルピエ青年の冗談が本当になりそうだからだ。嘘から出たまことって笑えない。
「私、もともと北国から旅してて、その途中でクルピエに助けてもらっただけだから」
衣食住を惜しげもなく提供してくれたのだ。その部分は充分に感謝している。
ポリテイク嬢はまだ不満そうに、冷たいジュースの入ったグラスを指で撫でていた。
「東国についたら手紙書くね」
あ、この国って手紙届くのかな。
そう聞いたら、今日初めてポリテイクは笑ってくれた。
「楽しみにしています」
美少女と文通が出来るなんて。東国に行く楽しみが出来た。
お昼ご飯のあとに謁見した女王さまに辞去の挨拶をしたら、華やかに笑ってくれて承諾してくれた。
「またいつでも来るがよい。酒の相手をしておくれ」
喜んで!
王都の関所まではクルピエがついてきた。いいって言うのに半ば強引にサリーと一緒にバスみたいな車に乗せてくれて、歩いたら半日はかかる道のりがものの二時間で着いてしまった。関所への手続きもしてくれて、何だかキャッシュカードみたいなものを渡された。
「何これ?」
「ヨウコさんの口座を作っておいたので、これで銀行でお金を引き出せます」
「いらない」
手渡してきた手にそのままカードを乗せてやる。
「でも」
「クルピエ」
名前を口にしたら、なぜか青年は押し黙ってしまった。
「―――昨日のことを悪いと思っているなら、ぜんぜん私は許していないから」
微笑みもない褐色の奇麗な顔は真摯な視線を私に落としてくる。
「アンタにはとってもお世話になったけど、もうこれ以上は何ももらわないし、お世話になった恩も返す気はないよ。悔やむならせいぜい悔やんで悩んで」
私は真摯な目を見返す。
じっくり見て気付いたけど、クルピエも黒い瞳だった。
黒真珠みたいな目には、汚れた格好の女しか映っていない。
それに何だか安心した。
やっぱり私には奇麗な格好は似合わない。
「……本当にお人好しですね。ヨウコさんは」
そう笑って、クルピエは今度は小さな腕輪を取り出した。
「これは受け取ってください。あなたの身分証明になるものです」
「身分?」
「はい。南国では迷い人にはこの証明書が発行されて、仕事の斡旋や一定の給付金も出るようになっているのです。―――嫌でしょうが、手続きはこちらでさせてもらいました」
半透明な丸い腕輪には時々電気みたいなものが通っていて、クルピエの手に乗ったまま指でつついてみたけど、熱くはなかった。時々きらっと光る火花がちょっと奇麗だ。
「ありがとう」
受け取って腕にはめると、クルピエが少し目を丸くしていた。
なんだよ。素直にお礼言っちゃダメなのか。
私だって、恩知らずな自分勝手だってことは分かってるんだよ。
でも、一度出来た大きなわだかまりってなかなか取り除けるものじゃない。
「元気でね。クルピエ」
手を振った私の手をクルピエはまた掴んだ。
昨日の今日だから、びくりと震えるのは条件反射というやつだ。
思わず顔をしかめた私をすまなそうに見てから、クルピエは口を開いた。
「くれぐれも気をつけて。ヨウコさん。あなたは、あなたが思っている以上に、大変なことに巻き込まれているんですよ」
何それ。
言い返そうとしたけれど、クルピエの目があまりにも真剣だったから、黙って頷いた。
大変なこと。
それは、いったいどんなことなんだろう。
それって、異世界にいきなり落とされて殺されかけたり死にかけたり魔術がきかなくてすんなり元の世界に帰れない私が置かれたこの状況よりも大変なことなんでしょうか。
とっても心配そうなクルピエに見送られて、半信半疑のまま見えない不安を抱えて私はサリーとぽくぽくと次の街を目指した。
この南国ってところの人たちは魔術を使わない代わりにみんな車で移動だ。車といっても空飛ぶ車だから、街と街の合間にある整備された街道には人も車も少ない。
そんな人たちの物珍しげな視線を集めて次の街に辿りつき、銀行が分からなくて困っていたら、私は一人のおじさんに拾われることになった。
「ヨウコ! それが終わったらお前も飯を食え!」
筋骨隆々、豪放磊落なんていう四文字熟語がよく似合う無精ひげのおじさんが、酒がなみなみと注がれた大きな杯を片手に笑う。
原色の派手な着物の片袖を脱いで惜しげもなく丸太みたいな腕を晒した褐色肌のこのおじさんは、ヴィアンドといって、街で色々な人に声をかけられて困っていた私を連れ出してくれた人だ。
この南国の人たちは大変に世話好きらしく、私が銀行らしいもの(リシュと呼ばれている金融機関)を口ぐちに教えてくれたものの、結局土地勘のない私には難しい道筋で、サリーを連れて大注目を浴びながら困っていたら、ヴィアンドおじさんがのっそりと現れて連れて行ってくれたのだ。銀行のお姉さんに身分証の使い方を教えてもらえとアドバイスまでくれ(専用の機械に腕輪をかざすだけで色んな手続きができるすぐれものだった)、お礼を言って別れようと思ったら「どこへ行くんだ」と尋ねられた。
それで東国まで行くと素直に言うと、おじさんは隊商組んで他の街を観光しながら東国まで行くから一緒に連れて行ってやると半ば強引に隊商に加えられることとなった。
そうして今は、
「こっちにも酒くれヨウコ!」
「こっちもだ! 駄賃弾むぞ」
「はいはい」
おじさんと同じような筋骨隆々なおっさん達に囲まれて、貸し切った宿屋で給仕をしている。南国の着物は、東国のチャリムとよく似たものなので、私はそんなに目立たないけど、普段は男に見える私もいかにも男臭い人たちと並べば、華奢な女の子に見えてしまうらしく、なにくれと家事などと任されることになってしまったのだ。
なんと言っても男ばかりの大所帯。宿に泊まっても宿屋の人たちはてんてこ舞いだ。あれこれお願いするだけでも大変なのだ。
「おおい、ヨウコ!」
すでに出来上がっている酔っ払いに呼ばれたかと思うと、カルチェなんかが聞いたら赤面しそうなセクハラまがいの言葉や下ネタを言われるのは日常茶飯事。
おじさん達は頑丈そうなので、遠慮なく金属のお盆ではたかせてもらっている。それでも可愛がってくれているのだから、この隊商の人たちは大らかな人たちだ。
「ヨウコ。もう適当にして飯食っていいぞ」
にかっと笑って声をかけてきたいかにも陽気な青年は、アルブルといってヴィアンドの息子だ。よく似ている。着物の袖をめくりあげてさらした腕には硬い筋肉がついていて、子供ぐらいなら楽にぶら下がれそうだ。
「うん。奥で食べてくる」
「ここで食べないのか!?」
「ここだと絡まれるから」
そう言うと、アルブルは困ったように笑う。犬だ。ここにワンコがいる。
ヴィアンドの隊商は、この空飛ぶ車時代に珍しく、車輪のついた大型トラックで移動している。十台ものトラックを率いて南国の街道を渡って各地の品物を仕入れながら東国へ向かうという。東国ではトラックは逆に珍しいので、今度は騎竜に乗り換えて国境を渡るらしい。だから、サリーの飼い葉もすぐに用意してくれて、私はトラックに乗ってのんびりと旅をすることになった。
サリーは定期的に走らなければならないので、休憩時間にだだっ広い場所を見つけては自由に走らせている。
おじさん達はトラックの点検や次の目的地の検討なんかを話し合っているので(酒盛りで下ネタ吐くおじさんが真面目に仕事している姿は感動もの)基本的には私は暇だ。
時々、暇になったおじさんやアルブルがサリーを見事に操って見せてくれるけれど、私はほとんど野っぱらに寝転がってサリーがちょうちょを追いかけているのを眺めている。
南国の風土は豊かだ。
ほとんどが森と畑に囲まれていて、海も近いから時折海も見える。山から落ちてくる水も豊富で、森といえば全部が原生林みたいだった東国とも明るくて迷路みたいな森が多い西国とも違う。杉みたいな背の高い木は少なくて、ほとんどが落葉樹だ。だから、どこへ行っても、どこか日本の田舎みたいな風景が広がっている。
そんな中を牛車によく似た空飛ぶ車が飛んでいくのだから、面白いもんだ。農作業はほとんどロボット。隣に人が居るけど作業らしい作業は機械任せだ。
立ち並んでる家も古民家みたいなのが多いけど、ふとその脇にあるのがどうやって使うんだか一目じゃわからないスペースファンタジーじみた機械なんだからうらしま太郎なんだか不思議の国のアリスなんだかに迷い込んだみたいな心地になる。
「どうだ。面白いか?」
ぬっと私のそばに陰が出来たかと思ったら、珍しくヴィアンドが私のそばに遊びに来ていた。どうしたんだろうと見上げたら、巨体はそのまま私の隣にどすんと腰かける。
「―――この辺りは一見奇麗に見えるが、もともとエトロワに荒れ果てた土地でな。人の手で数百年かかって今のように作り上げたんだ」
ヴィアンドおじさんの言葉に、私は寝転がっていた体を起こしてサリーが走りまわっている野原を見渡した。何の変哲もない野原だ。小川が流れて遠くには畑が見える。
「空は赤く染まり、大地は腐り、水は淀んだ臭気を放って、人の住む地ではないと言われた。それを我々の祖先がラルジュ・ラバジュした。その時に、我が国は魔術をすべて放棄した」
時々南国語が加わる東国語は少しわかりづらかったが、おじさんの説明は充分だった。
「ヨウコ、南国は美しいか?」
空は青く、大地には緑が侍り、水は甘くておいしい。過酷だった環境を再び取り戻した人たちだから、こんなにも優しいのだろうか。
「奇麗ですね。とても」
ヴィアンドおじさんはとても満足そうに笑ってくれた。
おじさんは豪快な見た目に関わらず、とても知識が広くて、時々こういう話をしてくれる。
こんなおじさんに出会えるなら、私の運勢も捨てたもんじゃないって思えるよ。
南国の幾つかの街を経て、王城を出てわずか五日。国境の街に辿りつくと、そこでおじさん達と別れることにした。
ご指摘いただきました。
SFを言い表すなら、スペースファンタジーではなくサイエンス・フィクションが正しいです。葉子さんは間違えて覚えています。