アンテナとシーツ
自分が不運体質だってことは自覚してたつもりだ。身を持って。
でも、こんなに流されやすい性格だったっけ。
「緊張しないでいいですよ。個人的な謁見ですから」
謁見は一般庶民の個人的じゃねぇよお坊ちゃん。
隣でのたまう南の国の王子様。彼はただいま礼装で、普段の袷よりももっと上等な裾の長い着物を重ねて腰の下で帯を結んだ伝統衣装だ。長い垂れのついた冠でまとめたプラチナブロンドと、若々しい褐色の肌がよりよく映えるように計算されてるとしか考えられない暗めの色のそれは、彼のきらきらを三割増にしていた。
その眩しいきらきらの隣に居る私もなぜか飾りつけられている。白と淡い水色の袷と腰巻着物を着せられて、短い髪はどういう技術か小さなおだんごにしたてあげられて清楚で可憐なかんざしをつけられた。腕にはふんわりしたひれをひきずって、私はどこぞのお姫様かという扱いだ。……やっぱり白い何かに祟られているらしい。どこでご供養すればよろしいでしょうか。
そんな私たちの前にあるのはこれまた非常識なほどどでかい門のような扉で、目の覚めるような朱色だ。鋲が打ちこんである扉の前に、私はなぜか立たされている。
そして、
「第二王子、クルピエ・マティン・グレイプルニス様!」
扉の脇に居た冠かぶったごつい兄ちゃん達が、クルピエの名前を宣言すると、ごごんと低い音を立てて扉が開いた。両脇を見回したら兄ちゃんたちはぴくりとも動いていない。自動らしい。
でも感心してる間もなく、クルピエに手を取られて赤絨毯ひかれた石畳の巨大な部屋に放り込まれる羽目となった。
「よく来たな」
戸惑う私を無視して高らかに宣言したのは、二段ぐらいは高い場所にある玉座に腰かけた、迫力美人でした。重そうな冠をつけているものの艶やかな黒髪をまっすぐに垂らし、私と似ているけれど肩とボリュームのある胸を惜しげもなくさらした姿はまさに女王さまだ。垂れているけれど切れ長の瞳の脇には泣きぼくろ。妖艶の一言に尽きる。
そんな大美女に向かって、クルピエは挨拶もそこそこに呆れた顔をする。
「母上」
は、ははうえ!
思わずクルピエと二段上に居る美女を不躾に身比べた。……ああ、うん。なんか似てるわ。でもこんな大きなお子さんいるようには見えないです。
そんな私を横目で見ながら、クルピエは続ける。
「私はすでに王家の人間ではありません。いつまでグレイプルニス姓を呼ばせるおつもりですか」
いつもニコニコしているクルピエ青年とは思えないちょっとふてくされた顔だ。珍しい。
でも、美女は少し肩を竦めただけだった。
「どのような身分に落ちようと、お前はわらわの息子で南国の王子じゃ」
気にするでない、と威厳たっぷりに言い放って、今度はその魅惑の視線が私に向けられる。こ、こころの準備が。
「そちの話には聞いておる。わらわは、南国王、サンフルール・マティン・グレイプルニスじゃ」
暗に自己紹介を求められているようなので、私も日本式ではあるが一礼して返すことにした。
「ヨウコ・キミジマです。迷い人です」
私の迷い人というくだりに、なんだかサンフルール女王様が少しだけ片眉を上げた気がした。
「北国から落とされてきたそうだな。難儀したのう」
「えっと……まぁ…」
会社の面接ならまっさきに落とされそうな答えで私は目を逸らしてしまう。言っていいのか。なんか北国で一番偉そうな変態ドエスに魔術で転送されましたとか。
「我が南国では、迷い人は珍しいゆえ誰でも歓迎しておってな。他の国では知らぬが我が国では国賓じゃ。そなたもゆるりとするがよい」
大輪の薔薇みたいな笑顔で言われた。顔紅いよね。私、今ぜったい顔紅いよ!
「何か足りぬことがあればそこの愚息に何でも申しつけるがよい。こと、もう一人の我が子もそなたに会いたがっておってな。あとで会うてやってくれ」
そんな感じで女王さまに、お城の滞在をあっさりと許されてしまいました。
それからというもの、
「ヨウコお姉さま。異界の話をお聞かせ下さいな」
母親譲りの妖艶さを兼ね備えたクルピエの妹だというポリテイクがお茶の時間に私に与えられた部屋にやってくるようになった。
南国の民族衣装の着物に身を包み、長い黒髪を上品に結いあげた姿は可憐の一言に尽きる。十六歳だというには少し幼い仕草も彼女がどことなく醸し出す艶にしどけなく見える。そういやクルピエ青年、君は幾つだ。
ポリテイク嬢のお話によると、ここ南国では迷い人は異界から来た客人という慣習があって、元々西国と違って落ちてくる人数も少ないからか、迷い人を国賓待遇で歓待するのだという。異世界の知識を運んでくる人材は老いも若きも貴重だという認識らしい。だからか、南国の人々はほとんどの人が何か国か語を話せるようになるのが普通で、このポリテイク嬢にしても、覚えたばかりだというけど流暢な西国語で私と会話を楽しんでいる。
あれだ。鎖国してるけど国全体が出島みたいな日本というか。
どれにせよ、彼らの知識欲はかなり高くて、私の派遣社員生活の一端を洗いざらい話してしまった。俊藍にも話したことないのに。
「そのように過酷な環境に耐えてこられたからこそ、このようにヨウコお姉さまは人格者であられるのですね」
いえ。ただ、その就職活動という戦に負けた敗残兵が最後の生き残りを賭けていたというか。まぁ、話せば話すほどぎりぎりの生活だったんだと実感して落ち込んだ。
けっして美しい王女さまに感心されるような生活じゃないです。うん。
あの頃は、こんな奇麗な着物きて、王子様に拾ってもらって、女王様と酒盛りして(女王様は大変な酒豪だった)王女さまと午後のお茶してるなんて想像もつかなかった。
つい何日か前、変態魔術師と対面してたことも想像なんかつきませんでしたが。
だから、大変親切な人たちが多い南国王のだだっ広い城内で、まことしやかに噂が流れてるなんて思いもしませんよ。
この世界は驚きの連続だ。
「―――あの、なんか、私と君が結婚するとかいう噂になってるみたいなんですが」
仕事が忙しいとかで一緒にお城に来たはずのクルピエ青年と謁見からようやく会えたのは、何だかよくわからない噂が充満してアンテナの低い私にまで届くようになってからだった。私のお世話をしてくれてる侍女さんから聞いたのだ。ご婚約はいつでしょうね、と。
こんな夜中に自分の部屋に尋ねてきた非常識な女にも、クルピエ青年はにこやかに執務机の側にある応接セットの席を勧めてくれた。
机の上の束は冗談でなく山と積まれていて、今の今まで仕事中だったらしい。すんません。
「いいえ。ちょうど休憩しようと思っていたところですから」
そう言ってお茶まで入れてくれようとする。さすがにそれはやると押しのけて、私が茶器を並べると、向いに座ったクルピエ青年は穏やかに微笑んで受け取ってくれた。
「……クルピエって幾つだっけ?」
正真正銘の王子様にこの口のきき方ってアウトだと思うけど、もう直せないからそのままだ。当の青年も気にした様子はない。
「十八です」
「若っ!」
てっきり二十歳は超えてると思ってたよ。この落ち着きっぷり。
驚く私に苦笑して、クルピエ青年はお茶に口をつける。
「ヨウコさんに本当の年より上だと思われていたなら、嬉しいですよ」
「どうして?」
尋ねる私に青年は意味心微笑む。
「あなたと釣り合うことができる」
け、
「―――アンタがそういう態度だから、みんな誤解するのよ。こんなおばさん嫁にしようなんて」
警察に捕まる。私が!
私は思わず脱力して項垂れる。
「誤解?」
思っていたよりも、声が近い。
ふと熱を感じて顔を上げたのが良くなかった。
クルピエの褐色の顔がすぐ目の前だ。
彼は驚いた私にゆっくりと微笑むと、まるで舐めるような仕草で私の頬を撫でる。
「ヨウコさんも、誤解してくれたんですか?」
私の心を探るように、指が頬を彷徨う。
「……六歳も年上のおばさんをからかうんじゃない」
「ヨウコさんが二十四歳だなんて、誰も一目じゃわかりませんよ」
この世界の人間、全員整形してやりたい。
手初めは、目の前の何だか不埒な視線のクルピエだ。
何だか、手が、
「―――手、やめて」
見た目よりも長い指が、私の着物の襟のふちをなぞっている。
その仕草が不愉快で、私はクルピエを睨む。
すると、彼の方は嬉しそうに笑った。
「上目づかいに言われても、もっとって言われているようにしか見えないんですよ」
悲鳴を上げる暇もなかった。
あっという間に襟を割られて、谷間もない胸元が露わになる。
「意外と白いなぁ。ヨウコさん」
鎖骨から胸の間の骨を数えるように撫でられ、下着の上を指が這う。
ぞわりと鳥肌がたつ。
叫べ。私。
そう思うのに、声が出ない。
にこやかだったはずの青年が、あっけなく私の境界線を破ってきた。
その瞳が面白がるように細められて、私の喉は竦んでいる。
遊んでいるのだ。
そのことがどうしようもなく怖くなった。
「真っ赤になって、可愛い」
耳元でささやかれたかと思うと、私の体は人形みたいに動かなくて、見た目よりも力の強い腕に抱きあげられる。
嫌だ。
暴れたくとも暴れられない。
それがとてつもなく嫌だった。
軽くはない私の体が抱えられて向かったのは、執務室の隣の薄暗い部屋だった。
今日は満月なのか、青白く広いベッドを照らしている。
そろりと冷たいシーツの上に降ろされて、私は初めて声を上げた。
「嫌だ! 放して!」
そんな私の腕を狂暴な手が掴んだかと思うと、片手で頭の上に簡単に拘束してしまう。それで、私よりも大きな体にのしかかられていることに気がついた。
「―――ヨウコさん、私と結婚してください」
プラチナブロンドの髪が冠からゆるりと落ちて、私の顔に降りてくる。
「いや」
「どうしてですか?」
唇をかすめるように近付けられて、まるで火のように熱い吐息がかかった。
どうして? それは私の方が訊きたいことだ。
私みたいな、魅力のない女。どうして放っておいてくれないんだろう。
「私はあなたが好きですよ」
「嘘だ」
嘘だ。私はうまく働かない頭で繰り返す。
嘘だ。
「アンタは、私が好きなんかじゃない」
その瞳は、ほら。
泣きそうな私を面白がっている。
「こんなことするアンタなんか、私は大嫌い」
今度こそ、目の前の褐色の美しい顔が微笑む。
面白がるように。
「―――あなたは、本当に守られてここまで来てしまったんですね」
「……なに、を」
守るっていうんだ。
「男からあなたを。男の欲望っていうものから、とてもよく守られてきたんですね」
考えはしなかったんですか、と薄い唇が溜息のように言う。
「本当によくここまで五体満足で、体をなぶられもせずに来れたものだと言っているんですよ。その可能性を一つも考えなかったんですか?」
女一人で異世界に放り出されるってことは、そういう危険も過分にあったということだ。 今まさに、この状態。
でも、
「―――ガリガリで面白くもない女、誰が面白いと思うのよ!」
男だと思われていたし、そのようにも扱われていた。
実際には人間扱いだったかさえ怪しいのに。
「それは」
私の声を抑えつけるように、長い指がゆっくりと喉から鎖骨を伝う。
「あなたのこの体を知らないからでしょう」
低く笑った声と一緒に、襟が広く開かれる。
声にならなかった。
悲鳴にもならない。
キャミソールのような下着の肩ひもに指をひっかけられ、弄ぶようになぞられた。
本当に、私は何も知らなかったのかもしれない。
私が貞操を無為に奪われもしなかった幸運を。
掴まれている腕が痛い。
心臓が震えている。
今まで理不尽なことなんてたくさんあった。
人並み以上に経験してきたと思っていたけれど、それ以上の理不尽があるなんて。
この理不尽は、きっと男には分からない。
「ああああああああっ!」
動かない体も、恐れる心も。全部いらない。
怒りとも悲しみともつかない心に支配される。
裏切りも、甘い言葉も。
嫌いだ。
全部嫌い。
いつだって、私を見捨てていくのだから。