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とりかえっこ漫遊記  作者: ふとん
114/209

ある兄の決断(下)

 古い調度品の間からその呼びかけに応えたのは、赤銅色の髪の男だった。

 中肉中背の袷の上着に詰襟の服を合わせた東国の伝統的な格好の礼装で、襟足だけを三つ編みにした姿はいかにも平凡に見えた。珍しいことと言えば、東国ではあまり見かけないはずの眼鏡をかけていることと、その奥にある夕日を閉じ込めたような緋色の双眸だ。年格好はアウトロッソやヘイキリングよりも幾らか上ほどで、思っていたよりも年若い。

 ただ、その口元の笑みは上品だったが、酷薄だった。


「お前は、トーレアリングの当主としてよく東国に仕えてくれた。今回の停戦もお前の尽力あってこそだ。よくやってくれた」


 王の突然の呼び出しと、讃辞にも、ほとんど動揺など見せず、ラウヘルという男は深くこうべを垂れた。


「もったいなきお言葉でございます。このたびの停戦と国交は、陛下と西国王陛下によるご英断なくしてなしえなかったものと存じます」


 流暢な西国語だった。西国語と東国語はその成り立ちからして異なるため、幼いころから留学を繰り返していたヘイキリングであるから会話に不便のないほど話せるものだが、ラウヘルはそれとはまた異なる。外交によく慣れた者の話し方だ。


「―――ならば、何も言うまい」


 ヘイキリングの声がいっそう冷たく冴えた。


「お前を今回の戦争の特級戦犯として捕える」


 ゆっくりと、赤銅色の頭を持ち上げる。

 それとほとんど同時に、部屋に風が巻き起こった。


 瞬きの間に現われたのは五人の男女だ。

 揃いのコートに身を包み、手にした剣を各々取り囲んだ男に突き付けている。

 

 異常なこの光景に慣れたはずのアウトロッソでさえ息を呑んだというのに、剣先に囲まれた当の男はのんびりと自分の周囲を見回しただけだった。

 そうして、誰も口を開けない中で、ただ一人、面白がるように笑った。


「―――第七十七師団の方々ですね? お初にお目にかかります」


 暗い色のコートを着た男女はいずれも応えなかった。

 剣先を下げようともしない彼らは、一人で千人の働きをすると言われる幻の化け物集団だ。男一人を拘束するために、五人も現れただけでも驚嘆に値するというのに、ラウヘルは珍しいものを発見したように眺めただけだった。


「閃撃の貴公子に、氷血の悪魔、鮮血の踊り子、魔神の影法師、そして、師団の長である黄金の魔女」


 ラウヘルは自分に剣を向ける一人一人の顔を眺めながら、その異名を楽しむように並べて目を細める。


「光栄ですよ。七十七師団の仕官クラスの方々など、生きているうちに会えるものではありませんからね」


「我が軍を気に入っていただけてこちらこそ光栄だ。トーレアリング宰相」


 決して和やかではない部屋に現われたのは、フロックコートに身を包んだ入れ墨の顔の男だ。

 その男を見とめて、ラウヘルは初めて少しだけ顔色を変えた。


「―――メフィステニス伯爵」


 そして、次に現われた男を皮肉げに笑う。


「裏切ったな。白い悪魔め」


 メフィステニスの後ろから現れたのは、まだ青年にも見える白髪の男だ。男もラウヘルを見つけて、楽しげに笑った。


「君に言われたくないよ。ラウヘル」


 悪魔と呼ばれた男はラウヘルに笑いかけて、次にアウトロッソとヘイキリングを見遣る。


「さて、どうする? 僕もこの男に付き合って今回の戦争に関わったけど。僕も戦犯として捕えるかい?」


「アルティフィシアル・サングレ卿。北国最初の魔術師にして長たるあなたの罪はいずれ問う。だが、今はこの者の捕縛に助力いただいたことを感謝する」


 アウトロッソがそう静かに言うと、アルティフィシアルはただ笑って肩を竦めた。

 この男の言がなければにわかには信じられなかっただろう。

 今回の東国と西国の戦争が、たった一人の男によって引き起こされたことなど。

 実際、アルティフィシアルの関わったことなど、ほんの一部に過ぎない。


「―――だってさ。潮時じゃない? ラウヘル」


 メフィステニスの隣で軽口を叩くアルティフィシアルを眺め、ラウヘルはふっと笑い、


「一服吸っても?」


 いつの間にか懐から取り出したパイプと刻み煙草の箱を持ちあげた。



「―――なぜ、とは問うまい。お前の成した結果はすでに純然な答えとなって出ているからな」


 刻み煙草をパイプの先に詰めて静かにマッチで火をつけたラウヘルを眺めながら、ヘイキリングは独り言のように呟いた。


「国交の全くなかった東国と西国の接点を作りたかったのだろう? それも強固な。そして北国、南国とそれぞれに交流のある両国を使って、四国をまとめようとした」


 東国の王の言葉に愕然となったのはアウトロッソの方だった。

 ヘイキリング王の言葉が本当であれば、とんでもない荒療治だ。

 いったい何人がその犠牲になったのか。

 思わず歯の奥を噛みしめる。

 だが、アウトロッソを横目に、ラウヘルはゆったりと紫煙をくゆらせただけだった。


「五年前に、そこのサングレ卿に私に呪いをかけさせたのは、私が居ては計画に支障が出るからか」


「―――御見事です。陛下」


 顔をしかめたヘイキリングに、ラウヘルは出来のいい生徒を褒めるような口調で笑う。


「ですが、私を捕えることはできませんよ。誰にも」


 パイプから漂う煙を己の首に狙いを定める剣に向かって吐くと、ラウヘルはヘイキリングとアウトロッソを眺めた。


「私が戦犯となる証拠はどこにもない。戦犯ならもう捕らえたはずでしょう。ハイラント中尉以下十一名を」


 その言葉にヘイキリングの泰然と凪いだ表情が一息に歪む。


「西国にしても、すでに関わった数十名の大臣と迷い人の女官長、そして主謀である殿下を捕えたはずですよ」


 何を言われているのかわからず、アウトロッソは一瞬言葉の意味をもう一度噛み砕いた。

 主謀である、殿下。


「貴様! イーエロをどうした!」


 イーエロは、弟は、


「生きていらっしゃいますよ」


 辺境で、目の前で煙草をくゆらせるこの男に殺されたはずだった。

 

 西国の辺境での調印式が、罠であることを告げてきたこの男がやってきたときには、すでに彼の正体をヘイキリング王から聞いていた。

 だから、すべてが罠であることを知りながら、そしてこちらが逆にこの罠を利用する形で偽の調印式に出向くことを決めたのだ。

 イーエロの罪は許されない。

 王族として、人として、穏やかな最期など望めない。

 だがせめて、弟と話をしたくて辺境に赴いた。

 イーエロの罪は重いが、フィオレが没した地でなら、あのお節介な彼女がイーエロの魂を救ってくれるような気がした。彼女ならば、きっとイーエロを恨みはしなかっただろうから。

 ラウヘルがイーエロと共にあの城へ向かったことは伯爵の手の者から知っていた。

 だから、伯爵の部下を一人借りて、弟と最後の会話をかわしたのだ。

 戦の終わった今、イーエロはあの男にとっては必要のない駒だ。

 いずれ殺されることは分かっていた。

 だが、


「生きているだと……?」


 低く呻いたアウトロッソに向かって、ラウヘルは不遜に笑った。


「ひどい兄上殿ですね。弟君は常にあなたのことを案じておられたというのに」


「貴様…!」


 アウトロッソは自分の視界が赤く彩られるのを見た。

 今はない剣の存在を思い出して空を掴み、おもむろに腰をあげたところで、


「お待ちなさい、伯爵」


 ラウヘルが突きつけられた一人の女の剣先にパイプの灰を落とした。

 コンという甲高い音に、他の者の剣が彼を貫こうとしたが、伯爵が目を細めて制止をかける。


「私を殺せば、旅に出たあなたの大事な娘が一生戻らないことになりますよ」


 ラウヘルの言葉に、真っ先に反応したのは伯爵ではなく彼に剣を突き付けていた黄金の魔女だった。

 瞬きの間にラウヘルの目の上に剣先を突き付ける。


「―――貴様、ヨウコさまに何をした」


 ヨウコ。

 聞き覚えのあるはずだ。彼女は、ひと月もの間共に過ごした。

 アウトロッソは目を見開いたが、隣で響いた音に驚いた。



「葉子だと…?」



 思わず、といった風に立ち上がったヘイキリングが半ば茫然と呟いたかと思えば、わななく唇で叫ぶ。


「それは、葉子・君島のことか!」


 今や彼は王ではなかった。

 ただ、一人の男として叫んでいた。

 まるで、探していた恋人の名を聞いたような。


「生きて…っ」


 感情の昂ぶりに掠れた声は続かない。

 そんな彼に、ラウヘルは横目を向けて笑う。


「ええ。生きていらっしゃいますよ。ヨウコ・キミジマ様は」


 自分の目を貫こうとしている剣先さえ興味を惹かないものなのか、ラウヘルはすいと視線をそらせると、子供に宝物の場所を示すような口調でパイプに再び刻み煙草を詰める。


「あの戦場で、アウトロッソ陛下に助けられ、そこのメフィステニス伯爵の養子になったのですよ。―――ああ、まだ予定でしたか」


 言葉を向けられ、無表情だった伯爵の眉がわずかに歪んだ。


「そしてラーゴスタを経て、北国までいらっしゃっていたのですよ」


「―――もうここにはいないけどね」


 そう続けたのはアルティフィシアルだ。


「ラウヘルが来る前にと思って、安全な場所に飛ばしちゃった」


 うっすら笑うアルティフィシアルに、ラウヘルはパイプに火を入れてのんびりと煙を吐く。


「ええ。知っていますよ」


 そう言ってまたパイプをくわえたラウヘルを、今度はアルティフィシアルが睨んだ。


「せっかく東国に帰ってくる気になっていた彼女を、南国に飛ばしましたね? あなた」


「―――なぜ」


「バルガー殿の術式をいたずらに邪魔したりするからですよ。せっかく着地座標で待っていたのに、あなたが無理矢理介入したりするから。おかげで逆算してあなたが彼女を飛ばした場所を割り出せましたけどね」


 何の気なく答えたラウヘルをアルティフィシアルは呆れた顔で見た。


「……まったく君はやることが無茶苦茶なんだよ。僕とバルガーの術式を逆算するなんて、ちょっとした魔術師にしかできないことだよ」


 バルガーは十二人の元老に名を連ねるマイスターの一人だ。エスパシオ機関という魔術師の専門機関において最高責任者でもある。さらにアルティフィシアルはバルガーの師である。彼らの術式をかすめ取るように転移魔術とはいえ術式を読みとるなど、ちょっとした、では済まない技術が必要だ。

 アウトロッソは、ますます目の前のラウヘルという男が得体知れなく見えた。


「でもありがたいですよ。アルティ。あなたが、彼女に監視用の鬼火をつけてくださったので、私も彼女の居場所を逐一知ることが出来る」


 ふわりと紫煙が舞う。

 それに誰も言葉を続けることができなかった。


「魔術というものは便利ですね。少し術式に手を加えるだけで簡単に守ることも攻撃することもできる」


 声高でもない、静かな声だというのに悪魔の声はよく誰の耳にも届いた。


 この男は悪魔だ。

 そうでなければ、闇の中から生まれ出た人の形をした何か。


 穏やかな言葉の中の何一つ脅迫めいた言葉はないというのに、真綿で首を絞めるようにラウヘルの言葉は聞く者の不安を煽る。


 こんな男が東国に居たとは。

 この男の最大の武器は、人心の掌握でも天才的な魔術でもない。この甘言ともいえる毒のような言葉だ。

 言葉一つで国や人を動かしてしまうこの男は、神にもなれば悪魔にもなる。



「―――何が、望みだ」



 重い、鉛よりも重い沈黙の後、辛うじて口を開いたのは、ヘイキリングだった。

 腕が震えている。

 礼装のそで口から見える握り締めたこぶしから、赤いものが滴り落ちている。

 彼の声が身を裂くような葛藤の末に絞り出したのだと知れた。


 それを見てとったのか、ラウヘルはようやくパイプを口から放した。

 そして次にこの悪魔が言った言葉にこの場に居た誰もが唖然とした。



「彼女を、ヨウコ・キミジマを私の妻にいただきたい」



 アウトロッソでさえ、二の句が継げず、口を呆けた顔で開けた。

 今まで散々殺そうとした相手を、今度は妻に。


「―――いったい、何を考えている」


 そうラウヘルを初めて表情らしい表情を浮かべて睨んだのはメフィステニスだ。

 そんな彼にラウヘルは目を細めただけだった。


「そういえば、この世界ではあなたが親代わりでしたね」


「……ここから生きて出られると思うな」


 地を這うような低い声でメフィステニスは呻いたが、ラウヘルは片眉を上げただけだ。


「悪い条件ではないはずですよ。あなた方がただ頷いてくださったら、彼女の身の安全は私が保証しましょう」


 そう宣言して、次にアウトロッソと緋色の目が合った。


「イーエロ殿下もあなたの元へお返ししますよ」


 思わず眉根を寄せたアウトロッソを笑い、今度は唖然とするヘイキリング王に視線を合わせた。


「あなたの大事な方の無事も安全も、すべて私が保証します」


 大事な方。

 その言葉に、ヘイキリングの体がわずかに震える。


「彼女を何物からも守り、大切にすると誓いましょう」


 禁断の契約を持ちかける悪魔の言葉に、ヘイキリングは歯をぎりと鳴らした。


「私の条件を飲んで下されば、私は今まで以上にあなたの元で働きましょう。―――ヘイキリング陛下」


 陛下と呼ばれ、ヘイキリングの瞳に抗いがたい威圧が立ち戻る。

 そう。

 このラウヘルという男を簡単に殺すわけにはいかない。

 彼は、表向きにはこの戦の停戦を成した功労者の一人だ。

 無為に汚名を着せて殺せば、内外の臣下に不信感を抱かせるだけで混乱は増すばかりだ。

 だから、この関係者以外には知らせずにラウヘルを大病と偽って幽閉する計画だった。


 この場で、誰ひとりとしてラウヘルに否と言えるものはいない。


 ヘイキリングは応えの代わりに低く呻いた。 


「―――そこまで譲歩して、手に入れたいと思ったのは何故だ」


 ラウヘルはヨウコを知らない。

 まだ見ぬ女に対して、ラウヘルが支払ったのは彼にしては非常に分かり易く破格の譲歩だ。


「それは、彼女に最初に教えてさしあげますよ」


 まるでそれがマナーだと言わんばかりに、悪魔は笑ってパイプを吸う。


「お会いできるのが楽しみです」


 ヘイキリングが放っている、それだけで相手の命を奪うような殺気を酒の肴にするような気安さで、東国の悪魔はゆったりと紫煙をくゆらせた。 


 


 アウトロッソが愛したネロはもういない。

 居るのは同じ顔をした、不幸な女だ。

 それでも、アウトロッソは遠い地でこの喜劇のような出来事を知らない彼女を思って、同情した。

 

 いったいあの女は神にどんな恨みを買ったのだろうかと。




誤字を報告していただき修正いたしました。

ありがとうございました。

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