薬と枕
「……うえぇえ気持ち悪い」
目覚めるたびにこんなセリフって乙女としてどうなのよ。二十代はまだ乙女なのよ。
起き上がったベッドの上でうなだれた。
あ、昨日眠ったベッドだ。このベッド。だったら元居た部屋か。
支えがなくてまだぐらぐらする体をどうしようかと思っていると、すっと背中に枕が立てかけられた。
ふと目をやると、栗毛の巻き毛が複雑な顔で私を見ている。メイドのクリスさんだ。
「ありがとう」
そう言うと今度は怒ったような顔で何も言わずに部屋を出て行ってしまった。
なんだなんだ? どいつもこいつも責められた顔して。
君たちの思い通りに感謝したり怒り出したりしてやんないよ。
「水ぐらい置いてってよねー…」
まだ体がだるいし、頭が働かない。ふかふかの枕に背中を預けて目を閉じた。
何飲まされたんだろ。
……そう、きっと、あのお茶に何か入っていたんだ。
ウィリアムさんがお茶に口をつけなかったのだってわざとだ。
彼らは、私を試していた。
部屋は何らかの方法で監視されてて、日記をつけてたからウィリアムさんが確認しにきたんだな。
こんなことされ続けてたらいつか死ぬわ。その前に精神が持たない。
大きく溜息をつくと、目の前に気配がして億劫だけど確認に目を開いたら、社長が水の入ったコップをこちらに差し出していた。
飲めって?
相変わらず横暴ですね。
無言で受け取ったら、何やらバツの悪そうな顔だった。全く、めんどくさい人たちばっかりだ。
「私、何飲んだんですか?」
問うと、社長は険しい顔で私を見た。すぐには答えが帰ってきそうもないな。
こっちは体調悪いんだからとっとと済ませてよねぇ。
「私の持ち物から、何かわかりましたか?」
この気分の悪さからして、何か別に変な薬とか飲まされてそうだな…。
もしかして、何もお茶に入ってなかったら、と思ったんだけど。
運悪いのは異世界に来ても健在で何よりですよ。
食べ物にトラウマついたらどうしてくれる。
「……君が、二十四歳で、君島葉子という女性で、俺と同じく日本からここへ飛ばされてきたということがわかった」
要は嘘ついてないことが分かったんですね。良かった良かった。
大事な宰相閣下ですもんねー。
「それで、私どうなりますか?」
胃の中がすっからかんだ。吐いたらしい。水が美味しいわ。
昼間来ていたワンピースでなく、淡い水色のネグリジェみたいなワンピース着せられているしね。あのワンピース可愛かったんだけどなぁ。
「……君はどうしたい?」
昨日と同じような黒の詰襟姿の社長は、すっかりこの世界の住人だ。だけど私は異世界人のまま。
「あなたの側には居たくありません。命がいくつあっても足りやしない」
少しこちらから目を逸らしていた社長は、おもむろ私を見つめる。美形だけどそわそわしないわー。
私と同じ色の瞳と髪の色をしているけれど、社長と私は全く違う。
こればっかりは仕方のないことだ。
「……君は、変わっているな」
そりゃ、社長の周りにはいないタイプでしょうね。こんな不幸女。幸運の女神さまに愛された人ばっかりが社長の周りに侍れるのでしょうから。
「社長とお知り合いになれて、天にも昇る気持ちですよ。ですが死にたくありませんので」
「……そのよく回る皮肉な口さえなければな…」
その苦々しい声に驚いて私は思わず社長を見上げた。
可愛がってやるってこと? 冗談じゃない。
「皮肉な口さえなければ何だと言うんですか?」
「…………言いたくない」
社長はあからさまにこちらから視線を逸らせてしまった。親に問い詰められた中学生か。
そういやこの人いくつなんだろ。
「そういえば社長っておいくつなんですか?」
「二十八だが」
「ああ、やっぱり」
三十路はいってないような感じしてたのよね。
「やっぱり?」
「三十歳には届いていないようにお見受けしましたので」
なんかね。社長の貫録あっても年齢の貫録ないというかね。
「ウィリアムに本当の年齢を教えたそうだな」
喋ったな。あの百戦錬磨め。
「何か問題がありましたか?」
貞操の危機だったんだよ。少女にいけるクチだと思わなくて。
「―――いや」
その間が気になるわ。
「一度は十七歳だと答えたら、とても嬉しそうな顔をされたので」
そう言ったら、今度は社長が顔をしかめた。だからなんでよ。
でもいちいちかまってたら夜が明けるわ。
「二十四歳から働く場所はあるんですか? この世界の事情にはまだまだ疎いので、そのあたりのことを社長にはまだ助けていただきたいんですけれど」
「働く気、なのか?」
社長は意外そうな顔だ。
当たり前でしょうが。いい大人がぶらぶらしててどうする。
「それなら、この城で仕事を用意できるが…」
「いやです。死にたくありません」
「……君を確実に守れるだろう?」
なんだろ。この人自虐趣味のある人なのか?
失言だとしても容赦なんかしてやらない。
「自分を殺しかけた人に守っていただく趣味はありません」
大きな声ではないが、はっきりと言ってやった。
案の定、社長は傷ついた顔をした。だからなんだって言うんだ。はっきりしない人だな。
自分は私が信じられないから、ありとあらゆる手段で調べたんだろうに。
それこそ、私を傷つけてまで。
嫌われない方がおかしいと思わないのか?
「私に、何を、飲ませたんですか?」
今度こそ、言い逃れはしないと思ったのだろうか。
社長は重い口を開いた。
「―――睡眠薬と、自白剤、だ」
飲み合わせの悪そうな薬ですね。
下手したら死にそうだ。
「……ウィリアムは反対したが、クリスティーナとハイラントは君を取り調べるべきだと強弁した」
クリスさんと、あの白い鉄仮面のことかな? ウィリアムさんは、まぁ、あの人フェミニストっぽいから。
でも、
「最終的には、あなたが許可を出したから、今ここにあなたが立っているんですよね?」
決断は社長だ。
「他人の意見に迎合するなとは言いませんが、決断には責任を持ってください」
ほんとに大丈夫か。こんな人、宰相にして。
「……本当に君は変わった女性だな」
あんたに苦笑してほしいわけじゃないよ社長。反省しろ反省。
「私は、この先あなたが何しようと興味もないし、邪魔するつもりもないだけですよ」
ただ、あんたに宰相任せたこの国の人たちが不憫なだけで。
まぁ、私が考えてるよりずっと上手くやるんだろう。何せ社長だから。
それに、
「私は、あなたを信じています」
まっすぐに自分と同じ黒瞳を見つめる。社長は切れ長の瞳を少し見開いた。
「私は、あなたが私を傷つけないことをこれからも信じていますし、あなたが私に嘘をつかないことを信じています」
クリスも、ウィリアムも、この人を守ろうとしているのだ。
私に社長を守る気はまったくないが、悪い人ではないと思っている。
「―――俺が、君を信じていないとしても?」
「信じることと、信じられることはまったく別のことです」
運が悪い私のことだ。万全ということがないので、信じる以外にあまり出来る事がない。
社長は少し溜息をついた。
「……長生きできないタイプだな。君は」
そうかもしれない。
「まず自分が信じていないと、生きていけないんですよ」
私が少し笑うと、社長は目を細めた。
「―――最初に言ったとおり、君を悪いようにはしない。それだけは信じてくれ」
「殺されないうちに、身の振り方を考えておきます」
「その皮肉も慣れてくるといっそ心地いいよ」
ゆっくり休めと言って、社長は私の頭を撫でて部屋を出て行ってしまった。
しまった。社長ってエムの人だったのか。