プロポーズと手紙
ステファンに起こされたのは、翌日の昼過ぎだった。
深夜にへべれけになってホテルに帰ってそのまま寝てしまったらしい。
ちょっといいかと部屋に入ってきたステファンはむせかえる酒の匂いに顔を思いきりしかめた。
「また、飲んだのか」
「……すみません」
あのあと、おじさんが「今日は奢ってやる」と豪快な宣言をしてくれたので、二人で店閉まいまで飲んでいた。ふらふらになって帰るなんて何年ぶりか。
今日は案の定、二日酔いです。
「で、どうしたの」
ベッドの脇のテーブルに二人してついて、ステファンが持ってきてくれた水を私は飲む。
「うん……」
そう頷いて、ステファンは自分用に持ってきたらしいコーヒーを飲んだ。
その香りってやっぱコーヒーだよねって聞いたら、ステファンはおざなりに頷いた。
この北国は向こうの世界に合わせて作られているんだな。
でも、この国を作った人たちって、どうしてこの国を作ろうって思ったんだろう。
元の世界に帰れるみたいなのに。
「あのな」
ステファンが意を決したみたいに顔を上げたので、私もぐだぐだとした思考を止めて、彼に視線をとどめた。
「俺は、元の世界に帰ろうと思う」
「……そっか」
何となく、そんな気もしていた。
ステファンが向こうの世界を懐かしく思っていたのはわかっていたから。
「一緒に帰らないか。ヨウコ」
一瞬、何を言われたのか分からなくて、私はステファンをまじまじと見てしまった。
それが居心地悪いのか、ステファンは困ったように身動ぎして、
「―――俺と一緒に帰るのは、嫌か?」
恥じらう少年とか必死な顔って可愛いな、とかそういうお馬鹿なことじゃなくて、なんだなんだ、この、こっちまでこっぱずかしくなるような、
「ぷ、プロポーズ?」
口が滑って言ってしまうと、ステファンの真剣な目とかち合った。
「そうとってもらってもいい」
え。ちょっと、少年。見た目の年の差とか、あれとかそれとか。
「元の世界に帰るときには、こちらの世界に落ちた時間に戻されるんだそうだ」
だから、とステファンは大人びた顔で少しだけ笑う。
「今度会うときは、俺は二十五歳だ」
な、
「なんで……」
うまく言葉がまとまらない私に、ステファンは落ち着いた声で続ける。
「村には手紙を置いてきた。西国と東国との停戦協定が成立した今なら、きっと誰かが読んでくれると思う」
「……知ってたんだ。停戦協定の話」
「昨日聞いた」
ステファンは、大きな溜息をついた。
「これから、迷い人の環境も良くなると思う。でも、俺の体はこのままだし、誰かに守ってもらうまま年を取っていくことには、もうそろそろ我慢できない」
「ステファン……」
ステファンは、私と違って子供のままだ。その成長できない苦しさは、私では想像もできないだろう。
「お前のお陰だ。ヨウコ」
まっすぐな瞳が私を映した。
「お前が俺を連れだしてくれなかったら、きっとあのままだっただろう」
彼は少しだけ俯いて、苦い笑みを浮かべる。
「十五年もの間、面倒を見てくれたあの人たちに何の恩返しも出来なかったけれど、俺はやっぱり元の世界に帰りたい」
「うん。よく分かるよ」
私たちみたいな迷い人は、やっぱりこの世界では異質だ。
それに、常に思うのだ。
帰りたい。
どれだけ良いことが無くても、悪いことばかりが待っているとしても、やっぱり元の世界が自分の住む世界だと思う。
「あのね」
だから、私はステファンに自分に魔術が効かないことを話した。
魔術によって、元の世界に帰るとしたら、私は、
「そんな……」
「大丈夫だって。きっと方法は見つかるから」
「じゃぁ、元の世界に帰るのか?」
「いつかね。帰れると思う」
ステファンは困惑していた顔を少しだけ緩めた。
「正式に結婚を申込みに行ってやる」
十五年なんて時間、あっという間だけど意外と長いんだよ。坊ちゃん。
不敵にステファンが笑うものだから、私は何も言わずに笑ってやった。
「また会おう。ステファン」
次の日、ステファンは元の世界に帰ることになった。
私が側にいたら魔法陣がうまく動かないかもしれないから、お見送りはできなかったけれど、ホテルの一角に作られたその部屋に入ったステファンが、いつまで経っても出てこない。だから、きっと無事に帰ったんだと思う。
ステファンには、手紙を預かってもらった。
私の家族に宛てた手紙だ。十五年後、もしもステファンが覚えていたら、きっと私の家族に届けられるだろう。
これで、私の無事は伝えられると思う。
ホテルの迷い人も顔見知りがどんどん減ってきていて、滞在期間は決められていないものの、だいたいが三日か四日で今後のことを決めてしまうようだ。
私はステファンに嘘をついた。
私が無事に元の世界に戻っても、彼にはきっと会えない。