ランチと結婚
ギルドを出るまで連れてきてくれたお姉さんと一緒に胡散臭い男に見送られて、建物を出たところで私はぼそぼそとした声に呼びとめられた。
「参りましょう」
晴れた空が恐ろしく似合わないティエンポスおじさんが、ギルドの建物の影から私を手招きしている。
ここに来ることは言っていなかったはずなんだけど。
「昼ご飯がまだなんですけど」
「主がランチをご一緒したいと仰せでした」
勘弁してよ。
どこの世界に初対面から実験とはいえ、魔術で焼き殺してくれようとした人間とご飯食べたい人がいる。
私はあーだこーだと理屈をつけて、ティエンポスおじさんを丸めこみ、近くで見つけたファーストフードみたいな屋台でハンバーガーに良く似た軽食を手早く食べた。オープンカフェみたいに椅子が並べてあって、私と同じように食べてる人は結構いた。
おじさんは無表情に不満そうだったけど、この軽食は美味しかったよ。でも今まで西国語で話しかけられてたから、店のおばさんに「ブエノスディアス」って声を掛けられて初めてここが北国だってことを実感しました。
ティエンポスおじさんに注文してもらって、なんとか「グラシアス(ありがとう)」だけ話した。どうして挨拶だけ出来るかっていうと、あの御屋敷で騎士たちに習ってたお勉強の名残だ。耳を澄ましていると、周りの人も北国の言葉ばかりで、あのホテルがやっぱり特殊なんだってことが分かった。
お腹を適当に満たしたところで、私はおじさんに連れていかれることになった。
大通りをそれて小道に入ってくねくねと行くと、いつのまにか小さなトンネルの入口で、おじさんは昨日のようにどこから取り出したのかわからないランプに明かりを入れて、私を暗闇に誘った。
そうして辿りついたのは、昨日とは違う部屋だった。
広い部屋に広いテーブルがドンと置かれて、どういうわけか窓の外から光が入ってきている明るいダイニングだ。でもその窓の外に風景があるわけじゃなくて、ただ人工的な光が部屋に差し込んでいるだけのようだった。
「ええ~? もうお昼ご飯食べちゃったのぉ?」
広いテーブルの窓際に腰かけていた妖艶なお兄さんはそう声を上げた。
本日は昨日の白いゴスロリとはうって変わって、明るい紫のドレスだ。装飾は少ないものの首元を白いレースの襟で彩った形で、ご自慢の白い髪はどこぞの家庭教師よろしく奇麗に結いあげられている。
「せっかく一緒に食べようと思ったのに」
並べられていた料理はパスタとサラダとパンのランチセットだった。上品に皿の上で巻かれたパスタがお兄さんの頭にちょっと似ていて奇麗だ。緑の豆をあしらわれたパスタはさぞ美味しいだろうが食べる気がしなくて、私はお兄さんから離れた料理の並べられていない席についた。
私の様子を見ながら、パンをつまんでいたお兄さんは苦笑したようだった。
「またいきなり魔術なんか仕掛けないわよ」
そうにこやかに言うので信用はならない。あの時だって始終笑顔だったのだ。
「ミカエリに会ったんでしょう?」
目を瞬かせた私が面白いのか、くすくすとアルティお兄さんは笑う。
「ラーゴスタからいきなり帰ってくるんだもの。おかしいと思ったのよ」
「……ミカエリ・ジョーンズさんとお知り合いなんですか?」
訝る私に「ええ」とこともなげに肯いて、お兄さんはパスタをフォークに巻きつける。
「古い知り合いよ。誰の言うことも全然聞かないから、面倒な男だわ」
アルティお兄さんはそう言ってパスタを頬張ると、不作法に赤い舌で唇を舐めた。
「あの男が何者か、あなたは知ってるの?」
ミカエリ・ジョーンズについて私が知っていることと言えば、やたら胡散臭いことと、
「ラーゴスタの支部長さんですね」
「そうね。でもそれが全部じゃないわ。あの男の本当の肩書はね、ギルドマイスターといって、ギルドの最高責任者よ」
あれが、最高責任者?
確かに抜け目のない男だとは思うけど、胡散臭い。
そう思ったのが顔に出ていたらしい。お兄さんは笑った。
「この北国に王はいないわ。十二人のマイスターという代表者を中心に、円卓という議会で政治も経済も動かしているのよ」
東とも西とも違う政治形態を持っているのか。
その中の一人があんな胡散臭い男だなんて。大丈夫かこの国。
でも、確か、
「北国って、他の国とほとんど交流がないんですよね」
「そうね。でも、この北国という国の性質上、仕方がないことなの」
フォークでサラダの野菜を突いて、アルティお兄さんは男らしい大きな口で葉っぱを口に入れた。
「この北国はね、迷い人が作った国だから」
もぐもぐと口にサラダを含みながら言われ、私は不思議と納得した。
迷い人、と呼ばれる私と同じ世界出身の人たちが作ったのなら、色々なことに説明がつくからだ。
銀行みたいなギルドも、おさいふ木札も。
「―――どうして西国の人たちを助けてくれなかったんですか?」
助けられたはずだ。
ギルドに匿うとか、西国に警告するとか。
少なくとも百年前は、そうしても良かったはずだ。
「西国ていうのは、世界的に見ても迷い人がよく落ちる場所でね。四国の中で一番多いの。この北国でも一年に一人か二人、南国でも三年に一人、東国に至っては百年に一人落ちてくるぐらいだっていうのに、西国では一年に十人から落ちてくる。だから迷い人に対する意識もだいぶ違うわ。あの国は厳しい土地柄だから、迷い人まで面倒見るっていうのは難しいわね」
アルティお兄さんは一息に喋ってから、傍らの水の入ったグラスをあおって目を細める。
「迷い人が、どうしてこの世界に来るか考えたことある?」
私は質問の意図が分からず口を閉じた。
お兄さんはそんな私に話を続ける。
「この世界は向こうの世界と一緒の世界なの。どういうことかっていうと、あちらの世界とこちらの世界、双子みたいに隣合わせで並んでるって言えば分かるかしら?」
並行する世界、ということだろうか。
「二つの世界は普段交流なんか無いわ。当然よね。次元が異なるんですもの。でも、何かのきっかけで人や物が落ちてくることがある」
お兄さんは皿に残ったパスタをひと掬いで食べ上げて、フォークをくるりと回す。
「原因は雷なり次元の穴なり人為的な魔術であって、落ちてくるものは何でも。人だろうが飛行機だろうが、爆弾だろうがね」
顔が強張った。
そうだ、人が落ちるなら他の物もしかりだ。
「どうも砂時計みたいに、こちらからあちらに物が落ちることはなくて、あちらからこちらに落ちることがほとんどみたいね。勝手に戻る方法はないけど、落ちる方法は色々あるわ。事故に遭うとか、自殺とか、妙な場所を踏んでしまうとか」
だからね、とお兄さんはフォークを置いた。
「北国にこちらの世界に来た迷い人を保護する義務はあっても、この世界の人間とどういう関係になるかまでは面倒見切れないのよ」
それって、
「こちらに落ちた人間のことは、基本的にどうでもいいってことですか?」
「そうは言わないわ。でも迷い人の第二世代、第三世代、それ以降になってくるともうこちらの世界の人間と区別なんかつかないから、法律でも作らない限り、北国が他国の法律にまで口出しすることはできないわ」
「でも、世界の大則っていうものを作ったのは、北国なんですよね?」
いつか誰かが言ったように、まるで、永遠に戦争をさせるような歪んだ世界の法律だ。
「そうね」
私の顔が歪んでいることに気付いていないのか、彼は微笑みをたたえたままだった。
「あれは、この世界の人口をうまくコントロールするために作ったゲームのルールだから」
ゲーム。なんだそれは。
意味がわからない。
ドレスを着たわけのわからない男はくすくすと笑った。
「人がどうして生まれてくるんだと思う? 人の身でそれが分かるとも思えないけれど、世界にとってかけがえのないものには違いないわ。増えすぎてもいけない。減りすぎてもいけない。そういうバランスをとる生き物なのよ」
だから、増えすぎてはいけない。
何を言っているのかわからない。
でも、私の目の前に座っている男が、唐突に自分とは違う生き物に見えた。
話をしているというのに、言葉が通じないというのか。
「人間が魔術を手に入れてから、ありとあらゆるものが変わったわ。生活しかり、戦争しかり。でも人の本質は変わらない。それを制限する法律が必要だった。それが大則。これがなければ、この世界はとっくの昔に滅んでいたでしょうね」
何が面白いのか、ゆったりとテーブルに肘をついて男は笑う。
「西国から来たのなら、あそこの砂漠を見たかしら? あれは大昔に人が作った慣れ果てよ」
あの広大な砂漠が。
人の作ったもの?
馬鹿な。
でも、目の前の男の言葉が嘘か本当か分からない。
「迷い人が年をとらないことは知ってる? 要はこちらの世界の住人じゃないからなんだけど、迷い人はこの世界に在るだけで法則を歪めていくものだから、本当は世界にはいらないものなのよ。それでも迷い人はこちらにやってくる」
私はそれが知りたいだけなのよ。
呟きと共に目が合って、初めてこの男の目が紅いことに気がついた。
血のように赤い瞳が私を呑みこむように見つめている。
「―――あなたは」
自分の口から出ている言葉は、日本語なのか西国語なのか区別がつかなかった。
それでも、自分の声がひどく枯れていることは分かった。
「世界の歪みを正したいんですか? それとも」
さらに歪めたいのか。
世界の歪みとやらが何なのかは分からない。
でも、これだけは分かった。
「今日は付き合ってくれてありがとう。また会いましょ」
目の前で微笑む女装男が、とんでもなく得体のしれないということだ。
それからどうやってホテルまで帰ったのかは覚えていない。
ただ、エントランスで長い時間待っていたらしいステファンに思い切り怒られたから、思っていたよりも遅くなったらしい。
バイキングの時間ももう終わっていた。
「どこに行っていたんだ」
ステファンが不機嫌に言うので、私は街を一人で回っていたと嘘をついた。
女装男と会っていたと教えるのは何となくためらわれたからだ。
ステファンは長く溜息をついたあと、しょうがないなぁというように笑う。
「晩御飯はどうするんだ?」
「外に食べに行って来るよ」
「酒を飲むんじゃないだろうな?」
鋭い。
一緒に行くというステファンを適当にごまかして、私はホテルを出た。良い子は早く寝てねって言ったら本気で怒鳴られたけど。
でもステファンには悪いけど、今日はちょっと飲みたい気分だ。
私は明かりの灯る街へと繰り出した。
街灯の中に浮かび上がる石造りの街は何処か懐かしいもののやっぱり外国で、木造の建物が多かった東国が無性に懐かしくなった。
まだ木の建物の方が愛着があるようだ。
私は小道の奥にあった静かなバールみたいな酒場に入って注文をしようとしたけど、
「ケ ペディール?」
カウンターでグラス磨いてた店員のお兄さんにそう訊ねられてあっと思った。
そういや、北国の言葉喋れないんだった。
どうしようか。
冷や汗をかきながらメニューを探すけどメニューないし!
周りはみんな外国人だ。いっそ西国語で話してみるか。
「なんだ、坊主。酒が飲みたいのか?」
日本語!
咄嗟に振り返ると、丈夫そうな上着とズボンに頑丈そうなブーツの、マント羽織ったひげ面のむさいおじさんが私を見下ろしていた。背が高くて筋肉質で浅黒くていかにもなおじさんだけど、黒髪に焦げ茶色の目。顔形はこちらの世界に居る彫りの深い顔立ちだが、この世界ではあまり見ない色だ。
「坊主が来るような時間じゃねぇぞ」
驚いている私を不思議そうに見て、
「俺の言葉通じてるか?」
「つ、通じてます!」
思わず日本語で応えたら、おじさんは「あれ」と言って私を覗き込む。
「坊主じゃなくてお嬢ちゃんか」
「……お嬢さんっていう年でもないです」
よく考えてみたらこの世界に来て半年以上経つんだからもうそろそろ二十五歳だ。
むさいおじさんは「そうかそうか」と軽く笑って私の頭を大きな手でがしがしと撫でた。
「え、ちょ!」
「東国の言葉は懐かしいから付き合え」
豪快に私の頭を撫でながら、おじさんは店員さんに酒を注文してくれた。
そういえばそうか。東国の言葉も日本語と同じだったっけ。
もうだいぶ前の話みたいだ。
大きなジョッキに注がれた酒を渡してくれて、おじさんは「遠慮すんな」と勧めた。
「お前さん、東国から来たんだろ。珍しいな」
「―――どうしてそう思ったんですか?」
「そのマント」
カウンターの椅子に腰掛けながら、おじさんはすっかり私の相棒となったマントの端を指した。
「その刺繍は東国のものだ。魔除けや雨避けの呪いになってる」
「へぇ」
おじさんにつられて私もマントの端を見る。複雑な紋様はほつれることもなく今も奇麗に縁を飾っている。
「知らなかったのか?」
「知り合いにもらったので……」
「良い物もらったな。そりゃあ職人が作った最高級のものだ」
まぁ、王様が持ってたものだしなぁ。
おじさんは私の物珍しげな様子を見ながら酒を飲んで「ははは」と笑う。
「どこの誰にもらったか知らないが、お前さん、相当なお嬢様なんだな」
「いえ。私を拾ってくれた人がくれたものなので」
「そうか」
軽く頷くだけで深くは問わず、おじさんはまた酒を飲んだ。もうジョッキの半分はない。ピッチ早いなー。
「東国から来たんなら、今はいい時期だったろう」
今更、西国の辺境から来ましたとも言えず、おじさんを見返すと、おじさんは勝手に話してくれた。
「東国と西国が停戦協定結んで、東国の帰還した王が結婚したって、ちょっとした祭りみたいになってるって聞いたぞ」
そうか、あっちはお祭りなのか。
ん?
「おじさん、今なんて…」
「東国は今、国中で祭りみたいに」
「その前」
「東国の王が結婚したって話か?」
結婚した。
俊藍が。
「長いこと政治から離れてたから、一時はどうなるかと思ってたけどな。やっと落ち着いてきたんでいいとこの嫁さんもらって、身を固めたってさ」
そうか。
やっぱりな。
何だか妙に納得して、私は色んなものがストンと落ちたような気分になった。
俊藍の幸せを一番に願ったのは、誰が何と言おうと私だ。
あの淋しがり屋の王様がお嫁さんもらったなんて。
恋じゃないと思った。
それが今、実感できる。
「どうした。嬉しそうな顔で」
おじさんが不思議そうな顔で次の酒を注文していた。
「お祝いしましょう!」
私はおじさんにせがんで二杯目の酒を注文してもらって、高らかにジョッキを掲げた。
「東国の前途と未来を祝して!」
「同じ意味だぞ、それ」
はははと笑うおじさんは何も聞かずに私に付き合ってくれた。
私も大いに笑って、酒を飲んだ。
おめでとう。
きっと幸せになるよ。
俊藍なら、頑張った分だけ幸せになる。
よし。
会いに行こう。
私を拾ってくれた、あの最初の国の人たちに。