絶叫系とテノール
草と荒地に囲まれた石の門は大きかった。
そこがただの関所だと知ったのは、暇そうに詰所に居た群青色の制服のおじさんが教えてくれたからだ。
「アンタたち、迷い人かい」
端っことはいえ北国なのに、おじさんは西国の言葉で話してくれた。
西国の人なのかと問うと、
「通じる言葉で話した方がいいだろう」
そう言って、おじさんは黒電話みたいな受話器を取り出して、どこかに電話をかけた。
電話、だよね? どうみたって一昔前の電話。
ステファンと私はあまりにも見憶えのあるその様子を見ながら、おじさんが電話を終えるのを待った。
「アンタたち、名前は?」
おじさんは電話の途中で話し口を軽く抑えて訊ねてくるので、名前を答えると、
「日本人とBritishか。珍しい組み合わせだな」
驚いたことに、流暢な日本語と英語交じりに西国を操った。
どうやら北では組み合わせは珍しくとも、私たちは珍しいわけではないらしい。
電話を終えたおじさんは、
「中に入ったら案内人が居るから、そいつに従うといい」
ゴゴ、と見上げても端のなかなか見えない関所の扉が、人の通れるほど開いてその暗い内をのぞかせる。
「幸運を」
おじさんの声を最後に、ステファンとサリーと私は北国へ辿りついた。
「ようこそ、いらっしゃいました。ヨウコさま。ステファンさま」
中で待っていたのは、ミニスカのお姉さんでした。
会社の受付嬢よろしく、暗闇の中にぼんやり浮かんだ光の中で、私たちを西国語でにっこり迎えてくれ、
「わたくしが北国へご案内させていただきます。モニカと申します」
営業スマイルのまま、モニカお姉さんは私とステファンを光の中、よく見たら複雑な紋様が描かれいるへと招いてまたにっこり。
「手続きなどのお話はまた後日に伺いにまいりますので、本日はこちらで用意した宿屋でお休みください」
彼女が丁寧に説明をし終えてから、紋様が一際輝く。
が。
「―――消えた?」
光は何も起こさずに立ち消えた。ついでに広いのか狭いのかわからない部屋は暗闇に包まれる。隣のサリーがいささか緊張した様子で震えたけれど、
「少々お待ち下さい」
お姉さんの声と一緒に、再び床がぼんやりと光に浮かんだ。
彼女は細い指をひと振りしてふんわりと光の球を作ったかと思ったら、それをどこかに飛ばす。そして、すぐに帰ってきた球を掌で受け取ってから、私たちに向きなおった。
「―――ステファンさま。わたくしと共にいらっしゃってくださいませ」
自分だけモニカさんに呼ばれ、ステファンは困惑を隠せないで私を見上げた。
私に訊かれてもわかんないよ。
さっきは一緒に連れていこうとしてたしね。
「ヨウコさまは、しばらくこちらでお待ち下さいませ。案内の者が参ります」
モニカさんは丁寧だけど、ゆっくりと有無を言わせない口調で言って、ステファンを自分の元へと招いた。
「ヨウコ」
「大丈夫。―――モニカさん」
私は、不安そうなステファンをモニカさんの前へ押し出しながら、彼女を見つめた。
「あとで、ステファンに会えますか?」
「はい。必ず」
モニカさんも私をまっすぐ見つめて言った。そこに営業スマイルはない。
うん。大丈夫だ。
「じゃあ、ステファン。あとでね」
私はサリーの手綱もステファンに預けた。
「必ず、会おう」
モニカさんに言われて、私が床の光る紋様から足を退けると、彼らは魔法のように―――たぶん魔術とかいうやつ―――消えた。
私はすっかり暗闇に残されて、時間の感覚もないからぼんやりと待っていると、薄闇の奥からぼんやりとした光が現れた。
それはランプの明かりらしく、暗闇の中にぼうと浮かびあがって、やがて私の目の前までやってきた。
「―――ヨウコさまですね」
やってきたのは、背の丸まったおじさんだった。執事のお仕着せみたいなスーツを着ているけれど、禿げた頭に丸く潰れた顔、まゆげもないのでちょっとしたホラー映画の世界の住人だ。
「御迎えに上がりました。お疲れでしょうが、我が主に会っていただきます」
おじさんはぼそぼそと低い声で彼もまた西国語で言い、ランプを掲げて踵を返す。
ついてこい、ということらしい。
どのみちこんな暗い部屋に取り残されるわけにもいかないので、私はおじさんについていくことにした。
ランプとおじさんを追いかけていくと、この部屋がとんでもなく広いことがわかった。
回廊みたいに幾つも柱が立ち並んでいて、おじさんと私の足音がどこまでも響く。
「あの」
普段のように声を出したら、私の声は反響してぶわんと辺りに広がった。
「何でしょう」
おじさんは振り向きも、迷惑そうな顔もしないで先を進む。
私は自分の声がうるさくて耳を塞いでしまうのに。
「私は、どこへ連れていかれるんですか?」
いくらホラーなおじさんだからといって、これからホラー展開は御免こうむりたい。
こんなおじさんについていくしかない私の展開がサスペンスだとしてもだ。
「我が主の元へお連れいたします」
「えっと、主さんって…?」
「お連れするようにとだけ聞いておりますので」
それきり会話の糸口をぶったぎられてしまったので、私は黙っておじさんについていくことになった。
しばらくついていくと、何やら非常階段みたいなランプが灯った、
「エレベーター?」
外国にあるような、格子扉の箱はエレベーターだった。
おじさんは私には答えず、上と矢印のついたボタンを押す。
そうして甲高い音と機械音と共にやってきた箱におじさんと乗り込んだ。
操作板の前にはおじさんが立って、私は箱の奥へと押しやられて、エレベーターは動きだす。
いったいどんな作りになっているのか。
エレベーターはまず上に向かったと思えば、今度は左に、そして次には斜めに動いた。
移動は滑らかでほどよいスピードだが、そのたびに私は「うわ」とか「おお」とか女らしくない声を上げるはめになった。
そんなびっくり箱エレベーターから降りた時には、私はぐったりとしていた。
絶叫系の乗り物はは大嫌いなんです。
「―――着きましたよ」
さすがにやや心配そうなおじさんが無表情に言うので、私は何とか歩き出す。
降りた先も、薄暗かった。
荷持のほとんどはサリーに預けていたので、私は相棒のマントと伯爵の万年筆と手帳がチャリムの上着に入っているだけだ。
なんとかふらつかずにおじさんに着いていくと、青白い光の漏れる部屋へと通された。
部屋は、細長かった。
青白い光が無数に飛び、光の先の天井は見えない。まるで筒のような部屋の壁はまっすぐ上に伸びて、どこに繋がっているのか分からないパイプや棚のような形をした四角の箱がバラバラと張り付いている。樹など一つもないのに、何故か森の中に居るような静かな気分になった。
「お連れしました」
ぼんやり部屋を見回す私を放って、おじさんは部屋の真ん中の革張りの椅子に丁寧に頭を下げた。
おじさんに答えるように、椅子がくるりと回って現れたのは、
「いらっしゃぁい」
真っ白な髪を奇麗にカールして、真っ白なフリルがふんだんについたワンピースを着た、
「待っていたわ。ヨウコ」
テノールの声のお兄さんでした。
青白い光の舞う幻想的な部屋の中、フリルの翻るワンピース姿の、ぱっちりとした目元が印象的な愛らしい人形のようなゴスロリがふんわりと椅子に腰かけている。
「どうしたの? 疲れた?」
白ゴスロリから出てくるのは間違いようもなく男の声ですが。
ハスキーボイスというわけでもなく、目を閉じて聞けば色気も漂うまごうことなきテノールのいい声です。
彼は白レースの手袋に包まれたほっそりとした手で、ここまで私を連れてきたおじさんに椅子を出すよう指図した。
「さぁ、どうぞ」
背の丸いおじさんが何所からか持ち出してきた椅子をごとごとと彼の正面に置いたので、にっこりとゴスロリお兄さんは私に勧めた。椅子はロココ調というのか、ごてごてしい飾りがついたいかにもな椅子だ。私は何となく動けずお兄さんと椅子を見比べてしまった。その様子が笑いを誘ったのか、ゴスロリお兄さんは細くて長い指を口元に上品にあてた。
「この椅子は嫌い? だったら私の膝の上でも良いのよ?」
そのままイタズラしちゃおうかしら。
ピンクローズの唇がゴスロリにあるまじきいかがわしい空気を吐きだした。
変態が居る。
ヘンタイが居ます。
おまわりさーん!
仕草は上品でも言ってることがあれですお兄さん!
私は何だかどっと疲れて、最初に勧められた椅子に浅く座った。
「あら、残念」とか冗談にも聞こえない声が聞こえたけど無視だ無視。
「さて、自己紹介がまだだったわね」
ふんわりワンピースのお兄さんを目の前にしても、一見しただけじゃお兄さんには見えない。むしろ私の方が男に見えるぐらいだろう。
「アルティフィシアル・サングレ。一応、魔術師やってるのよ」
「―――ヨウコ・キミジマです。一応、ライターやってます」
ギルドに原稿送ってるだけだけど、一応そういう職業だと言っておこう。
それぐらいの軽い気持ちだったけれど、舌かみそうな名前のお兄さんは目をちょっと丸くした。
「珍しいのね。今時、西国からやってきて仕事持ってるなんて」
そういえばそうなのかもしれない。
私はかいつまんでギルドと旅の資金の話をした。
「なるほどねぇ。だからアイツは急に帰ってきたのか」
ゴスロリお兄さんはそう呟いて、一人納得すると、
「確か、ラーゴスタとバクスランドの騒動がメフィステニス伯爵によって鎮圧されたわね。旅の日程から考えるとヨウコちゃんはその騒動が終わったあたりにこっちに出てきたの?」
やけに突っ込んだ質問をされたので、私はちょっと黙ってしまった。
どこまで話せばいいのだろうか。
それに、このゴスロリお兄さんが何者なのか、いまいち分からない。
だから、私は「そうです」とだけ頷いておいた。
その様子をお兄さんは観察するみたいに見ていたけど、何も言わなかった。
このお兄さん、見た目によらず油断ならない。
「旅は順調だったみたいね。追いはぎなんかに遭わなかった?」
「はい。行程の半分は騎竜できたので」
「そう。一緒に来たっていう男の子は最初から一緒だったの?」
「いえ。途中で一緒に行くことになって」
何だか質問攻めだ。
私がちょっと戸惑うと、お兄さんは「ごめんなさいね」とにっこり笑う。
「あなた、ちょっと面白い体質のようだから一人だけこっちに来てもらったの」
体質?
疑問符が浮かんだと同時に、目の前によく分からない紋様が光の軌跡となって描かれていた。ぼうと浮かんだその先に、お兄さんが椅子に腰かけたまま笑っている。
「そのままじっとしていてね」
その途端、カッと目の前がひどく眩しくなって、私は思わず腕で顔をかばって目を閉じた。
その耳を通り過ぎるのは、
ドドドドドド!
爆音だ。
それなのに、私は腕にも熱さを感じない。
やがて爆音が消えたので、顔を上げて唖然とする。
不思議な森のようだった部屋が丸焦げになっていた。
ロココ調の椅子も炭になってもう座れない。
私を連れてきたおじさんも遠くの壁の脇に逃げて、なんだかシェルターみたいなものを被っていた。
私の後ろは、穴は開いていないもののまるで防火タイルを高温で焼いたみたいになっている。
それなのに、私は髪どころかマントの先すらも焦げていない。
恐らく、さっきの爆音は目の前の椅子のお兄さんが作りだしたはずなのに、人が焦げてなくなるような凶行のあとに微笑み一つ浮かべただけだった。
「これではっきりしたわね。あなた、魔術が効かないのよ」
はい?
「……どういうことですか。アルティフィシ…えーと」
「アルティでいいわ。敬称はつけないでちょうだい」
いまいち事態を呑みこめない私に、お兄さんは子供に教えるような口調で笑う。
「言葉通りよ。あなたには魔術が効かない。今まで魔術に触れる機会があまり無かったようだから、知られなかったのね」
つまりね、と彼は前置きして続けた。
「本来なら誰でも持っているはずの魔力がなくて、ついでに魔術という人工的な現象の方程式を無かったことにしてしまうようね」
意味がわかりません先生。
首を傾げた私に、アルティ先生はもっと分かりやすく説明を加えてくれた。
「つまり、この、魔術大国である北国で一般的に使われている転送魔術から転移魔術、その他諸々のありとあらゆる魔術があなたには効かないし、使えないってこと」
「……魔術の才能が根本的なところから抜け落ちているということでしょうか」
良いのか悪いのかわからない。
そんな私に、アルティ先生は朗らかに微笑んだ。
「不思議よねぇ。迷い人っていうのは、他の世界のことわりを持ちこむからこの世界ではありえないぐらいの魔力を持っているか、そうでなくても魔術が使えない人間なんかいないのよねぇ」
ありえない人間という評価は生まれて初めてだ。喜ぶべきなんだろうか。
「どうして私に魔術が効かないって分かったんですか?」
唐突で非常に危険極まりないが、さっきのはアルティ先生の実験だ。
先生は「ああ」と頷く。
「あなた、関所で魔法陣に乗せられなかった? あれはお客様を北国の中の宿泊施設に連れてく転送魔術なんだけど、それがまったく機能しなくなったから」
なるほど。あのモニカお姉さんがこの危ない先生にお知らせしたのか。心臓に悪いことを。
「……それじゃあ、私、北国で暮らせないってことですか?」
魔術が一般的な北国では、私に長期滞在は無理だ。
「さっきエレベーターに乗ったでしょう? あれ、動力源は魔術の術式なのよ。どうやら、物に作用している魔術まで消してしまうという効果はないようね。普通に泊まるぐらいなら問題ないんじゃないかしら?」
ギルドの手続きは出来ていたんでしょう、と尋ねられたので頷く。
「あれも魔術の応用だから、あれが問題なく動いたのなら、しばらく泊まるぐらいは問題ないわ。宿へはティエンポスに案内させるから。今日のところはゆっくりしなさいな」
始終笑顔で、アルティ先生は私を部屋から追い出した。
確かにこれ以上講義を受けたところで、私の頭がついていけるとも思えない。
私はここへ連れてきてくれたおじさんと一緒に暗い廊下に追い出されたので、隣でランプに火をつけているおじさんに質問した。
「ティエンポス、さん?」
「シィ」
ティエンポスおじさんは西国語で「はい」と応えてくれた。
それで、私は今まであのアルティ先生が、いつの間にか日本語で話していたことに気がついた。
「……アルティさんって、何者なんですか?」
私の前に立って歩き出したおじさんは、ちらりと私を振り返ってぼそぼそと応える。
「ご本人におたずねください」
私はまた、妙な人たちに出会ってしまったようだ。