囲炉裏と英語
少年は私をざっと見てから、おもむろに振り上げていた腕を降ろしてくれた。
だから、私もランプを盾にするのをやめた。
「―――君、ここの人?」
私の声を聞いて、少しだけ驚いた顔をした少年は「ああ」とやけに大人びた返事をした。
それから、寝室から移動してくるように私に言って、台所の隣のダイニングらしい部屋へと案内してくれた。
人が住めるほどには掃除されたそこには、なんと囲炉裏が切ってある。
「ここなら夜盗も狼も気付かない」
少年はここで生活をしているらしい。
手際よく囲炉裏に火を入れて、サリーを不思議そうに見たあと、少年は口を開いた。
「ここには一人で来たのか?」
「商隊に近くまで送ってきてもらったの」
そう答えると、少年はやはり大人のような顔で目を細めた。細い体には薄汚れたシャツとズボンで、短い赤毛は汚れて乱れているが、少し釣り目の碧眼は理知的な光を湛えている。
「こんな村に、何をしにきた」
「迷い人の村だって聞いたから。私も迷い人だし」
不機嫌そうだった少年の顔が驚きに変わる。
「―――まさか、japaneseなのか」
西国の間から出てきたのは、やけにネイティブな英語だ。
「……君は、英語圏の人?」
「エイゴ?」
「えと、アーユースピーク、イングリッシュ?」
少年は私の片言英語に首をひねった。
英検四級じゃ会話にならないことがよく分かった。
でも、言いたいことは分かってくれたらしい。
「Yes. I come from United Kingdom」
ユナイテッドキングダム?
国の名前のはずだけど、何処のことだっけ。
「……そうか。japaneseだったな」
何だか馬鹿にされた気もする。でも子供相手にふてくされるわけにもいかず、私は頷いた。
「そう。日本人だよ。えっと、じゃあ君は家族で迷い人になったんだ?」
「いや」
同じ迷い人同士なのに西国語の方がスムーズに話せるって妙な気分だ。
「ええ? 一人でここに? 誰か保護者は居たの?」
「―――君は、いつこちらへ落されたんだ?」
「半年ぐらい前」
「俺は、十五年前にこちらに落とされた」
え。
だって、少年、あなた、十歳ぐらいにしか見えませんよ。
「俺は今年で二十五だ」
迷い人ってホント見た目で分かんない。
しかも年上って。
「君は十三歳ぐらいか?」
お前もか。少年。
二十四だと自己紹介したらやっぱり目を丸くされた。アンタの方が若造りだって気付いてる?
ひとしきり文句を言ってから、改めて質問した。
「他の迷い人は、どうしたの?」
「捕まったさ。全員な」
見た目少年の彼は、薪を囲炉裏に放り込んだ。
「俺は見た目がこんなだから、殺されるかもしれないからと他の住民に匿われて、一人残された。―――君こそ、迷い人のくせにどうして一人でフラフラしてるんだ?」
東国から旅をしてきたと話すと、彼は妙な顔で眉をしかめた。
「東国は西国より迷い人への差別は少ないと聞いたぞ。どうして、こんな国に来たんだ」
「……迷い人が、差別されてるなんて知らなかったんだよ」
まさか奴隷にされているなど、誰が考えるものか。
呟いた私に、彼は大きく溜息をついた。
彼には、ラーゴスタでアグリたちがされていたような首の焼き印はなかった。
尋ねたら、村で奴隷を見分ける必要がないから、だそうだ。街に買われた奴隷や街で暮らす奴隷だけが焼き印を入れられるらしい。
「迷い人はな、珍しいんだ」
囲炉裏の静かな炎を見ながら、彼は大人の口調で語り出した。
迷い人というのは、国の中で一年に十人程度が発見されるという。七十六ある領地の中から十人だから、多いのか少ないのか微妙だけど、それでも珍しいことには変わりない。
それが、どうして兵隊に駆り出されるほどになるかというと、
「この国では、迷い人の子孫もその身分とされる。だから、その血が途切れない限り、親戚中がその扱いだ。それに、迷い人は一つの村や街に隔離されるのが普通だ。人が何人も集まって、子孫が増えないわけもないからな。それがここ百年の間に繰り返されて、今回のような戦争に駆り出されるようなことになった」
純粋な迷い人に出会うというのは、この世界の中では砂漠で砂金を探しだすようなもので、滅多にないことらしい。
迷い人は年を取らないが不死ではないので、子孫が残されていても本人は居ない場合がほとんどだ。
ということは、アグリとこの少年に会ったのはホントに異常な偶然だ。
事実、この二十五歳の若造り少年は、十五年間で私が初めてらしい。
「この迷い人の村でも、迷い人は俺一人だったからな」
先祖がえりで時折、迷い人と同じくあまり見た目が年を取らない人間も居るので、彼はさして気味悪がられることなく村に受け入れられたらしい。そもそも子供なので保護者も必要だった。
だが、十五年育ててくれた養父母は、
「連れていかれたよ。今更、迷い人の人権を返すなんて話、子供だって信じなかったがな」
そりゃそうだ。
徴兵される側が強制する奴の言うことを信じるなんて、潜脳でもしないかぎり無い。
彼はまた溜息をついて、囲炉裏に小枝を放り込む。
「東国との戦争は終わったのか?」
「―――さぁ」
終わっていてほしいが、私なんかの願いが届くのだろうか。
きっと私よりも切実に願った彼の願いは届かなかったのに。
私はマントの端を握った。
きっと、俊藍が何とかしているはずだ。
西国だって、今は伯爵がいる。
「終わっていればいいのにな」
少年は、ただそれだけをぽつりと言った。
子供特有の、淋しいだの、悲しいだのという感情がまるで見えない顔で、彼は囲炉裏の火を見つめている。
村の人が早く帰ってくればいいのにと思う。
早くかつての村にあっただろう、平穏な暮らしになればいい。
けれど、当の住民であるはずの少年は、私よりも静かに黙っている。
たとえ村の人たちが戻ってきたとしてももう、以前のような村には戻れないことを知っているのだ。
「―――ねぇ、私と一緒にいかない?」
口をついて出た提案が、何だかとても良く見えて、私は続けた。
「私と一緒に北国に行こうよ」
「……もしかして、東国から、北国に向かっていたのか」
彼は囲炉裏の炎から視線を上げて、呆れたように私を見た。
「そう。行ってみようと思って。私がお世話になった人が、北国なら元の世界に戻れる方法があるかもしれないっていうから」
「何?」
今度こそ、少年は目を見開いた。
「元の世界に帰れる?」
頷いた私を信じられない様な目で見ている。
「私、今はこのサリーと旅してるんだけど、一緒に来てくれるなら心強いから」
きっと、彼がたった一人でこの村に居ても、誰も帰ってこない気がした。
この誰も居ない村で、帰らない人を待つ。
それが彼のよすがだとしても、一人で待つことは無理だと思う。
ただでさえ、迷い人はたった一人で、この世界に居るというのに。
少年は、迷うように、でも縋るように私を見た。
「私は、ヨウコ。あなたは?」
戸惑うような目が私を捉えて、揺れた。
「―――ステファン」
翌日、私はステファンとサリーと一緒に、村を旅立った。
 




