お土産と盾
私は、それから幾つかの街を通って、幸いにして順調に旅程を消化していった。
酒場でおじさんたちと飲んだくれて二日酔いになったり、有名だという虫料理に気を失いそうになったり、商隊に潜り込ませてもらって給仕のアルバイトしてお駄賃もらったりして、原稿の締め切りに追われた。
その間、誰にも私が女だとはバレなかった。
なぜだ。
原稿用紙は何処の世界も一緒なのか、四百字詰めの正方形が並んだやつで、万年筆で書くもんだから文字を間違えると間抜けな原稿になる。それに西国の分からない単語とかあって、私は学者まがいの商人に頼み込んで、西国の辞書を手に入れた。
西国語を東国語に訳す珍しい辞書なので、日本人の私としては漢字混じりの訳が非常にありがたい。
時々用法の違う言葉(手招きが追い払う仕草とか)があったりするから、それは別の手帳に書き留める。
あと、街の観光もしないといけない。
酒場で飲んだくれるのは遊びじゃないんだよ!
四百字の紙が十枚って、結構な量なんだよ。最初の頃はホントに埋まらなくて、ほとんど徹夜で書いてギルドの受付に持っていっていた。
受付の愛想のいいお姉さんは原稿と引き換えに旅の資金を渡してくれるだけなんだけど、その原稿どうするのか聞いてみたら、北国の本部に送って推敲してるんだそうで。
……それって、苦労して書いた原稿がほとんど採用されないこともあるってことだよね?
それでも十枚きっかり埋めないといけないから、私は街で宿をとったらすぐに観光に行くことにしている。
近頃では、手帳の数が増えてしまったので分厚い手帳に変えたら重くて仕方ない。
その手帳も、すでに半分以上が埋まった。
街の名所や有名な食べ物は同じ西国の荒野だというのに色々だ。
それは廃墟のお化け屋敷だったり、変わった形の実がなる珍しい木だったり、どうみたって青汁にしか見えないコーヒー味の飲み物だったり。
酒場で情報を聞きまわっていたら、たまにその場で飲み友達になったおじさんやおばさんが教えてくれることもある。
その一つに、迷い人の村の話が出てきた。
「前は、珍しい織物を作ってた村だったんだが、ほら、この前の戦争で皆駆り出されちまってな。今じゃ誰も住んでないらしい」
酔っ払いのおじさんから、迷い人を差別するような言葉は出て来なかった。
「俺たち商人は、迷い人だろうが誰だろうがお客さん相手に商売するもんだ。良い品物作ってくれるのも、それを買ってくれるのも、お前さんみたいなお坊ちゃんだろうが、迷い人だろうが関係ないんだよ」
最後まで私を坊ちゃんと陽気に呼んだおじさんは発泡酒片手に豪快に笑う。
私の黒髪が珍しいことに気がついた商人たちも、私が本を書くために旅をしていると言うと、そちらの方を珍しがって、本が出たら卸してやると酒を飲みながら言ってくれた。
「その村、ここから遠いんですか?」
私は、その迷い人の村に行ってみることにした。
岩と枯れ木ばかりの荒野は、意外と埃臭いだけで砂漠ほど熱くない。代わりに大トカゲや狼も住んでるから、商人のおじさんたちは砂漠よりも荒野が危ないと口を酸っぱくした。たまに傭兵崩れの夜盗も出るから、商隊は護衛雇って荒野を行き来する。
私は途中まで商隊に混ぜてもらって、村の近くで別れると、地図にあるけれど今は無い村を目指すことにした。
この村は北国へ向かう途中にある。
でもそちらへ向けて行く商隊は一つもなかった。
これだけ交易の盛んな土地柄だというのに北国へ行ったことのある人はまばらだ。しかも、西国の新しいお触れで北国の国交を完全に断ったらしく、自由な商人も役人の目を盗んでいこうという人は少ないらしい。
私は地図を見ながら、首から下げた笛を吹いた。
すると、ドッっという重い足音が近づいてくる。
「おかえり。サリー」
茶褐色の騎竜がやってきて、私に鼻の頭をこすりつけてきた。
西国では珍しい騎竜を扱う商人が居て、北国への足にと買ったのだ。
ゲルプという種類で、気性は荒いが馴れると従順で長い旅に重宝する、らしい。
初めは乗せてくれなくて隣を歩くだけだったが、近頃は私を主人と認識してくれたらしく、旅の初めより重くなったスーツケースと一緒に私を乗せてくれる。
商隊に混じる時には、騎竜は珍しいので離れたところからついてきてもらう。
ひとしきり私に鼻面をこすりつけたあと、まるで早く乗れと言わんばかりに剛毛の背中を見せるので、主人というよりも彼女 (メスなので) にしてみれば、要領の悪い人間の面倒をみている感覚なのかもしれない。
私はサリーの背中にスーツケースを積みこんで、自分も鐙に足をかけた。
スーツケースには、最初の頃は着替えと薬草と原稿用紙ぐらいしか無かったけど、今では色んなものが入っている。それは気に行ったお土産のグラスだったり、伯爵にあげようと思った奇麗なモザイク造りの万年筆だったり、ガリアさんに飲んでほしいなと思ったお茶の葉だったり、カルチェに似合うなと思ったイヤリングだったり。
何だかあれもこれもお土産を買ううちに増えてしまったのだ。それにサリーの水と好物の干し草もサリーの脇に積んでいる。
サリーと地図を確認しながら村に辿りついたときには、すでに夕暮れが迫っている頃だった。
夕暮れに照らされたかつての村は静かだった。
慎ましやかな生活をしていたのだろう。
土を固めてつくったレンガの家の間には、辛うじて耕していたらしい畑があった。
家の中を覗くと、埃をかぶった織機があって周りに糸巻きが散乱している。
人のいた気配は確かにするもののサリーと幾ら村の中を歩いても、何も見つけることは出来なかった。
そうこうしているうちに日が落ちてしまったので、私はまだ形を保っている家を借りることにして、寝室だったらしい部屋を簡単に掃除してから残されていたランプに明かりを灯した。ベッドはもう使い物にならないが、その脇でならサリーと眠れる。家の間取りが広くて良かった。
油を足せば使えたランプがここにやはり人のいたことを教えてくれるけれど、すでに人の空気は見いだせない。
サリーに干し草をあげてから、保存食の固い干し肉をランプの火であぶって柔らかいパンに酢漬けの野菜を挟んで食べた。
今夜は酒は控えよう。
スーツケースの中の酒瓶を無視して、私は荷物を片付けた。
油も無尽蔵にあるわけじゃない。魔術の施された燃料石なら半永久で燃えるらしいが、旅の資金とお土産買うぐらいで精一杯の私じゃ到底買えないほど高い。
あの燃料石がお屋敷全部にあったんだから、今更ながら伯爵の財力を実感した。
庶民の虚しさを頭の隅に追いやって、ランプを消そうとしたら、
コトン。
物音が響いた。
サリーが眠りかけてた首を上げて、家の中を見回す。
どうやら外じゃなくて家の中の音らしい。
ネズミかな。
この世界の動物は騎竜みたいな見たことのないのも居るけど、元の世界とよく似てる。
ネズミならサリーが居れば近寄ってこないけど、狼ならとっとと逃げなくちゃならない。
狼にとってサリーは怖い動物だけど人の私はそうじゃないからね。
コトン。
野良犬は怖いけど、野良猫なら問題ない。
私はランプを手にとった。
確かめないことには眠れない。
何かあったときにはランプを投げつけてやる。
唯一の光源のランプを盾みたいに掲げて、私は音の方へと向かった。
ガタン!
私の居る寝室から居間に向かう廊下で大きな音が鳴った。
家の中に、居るのか。
幽霊、は何だか妙な気がする。だって村人はみんな連れていかれたって聞いたし。
いやホラーは駄目だ。
ああ、変なこと考えるから手から汗が出てきた。
私は震える足を引きずって、居間に向かってランプを掲げた。
すると、
ブン!
後ろから何かを振り上げるみたいな音がして、とっさに身を捻る。
悲鳴をこらえて、ランプで照らす。
何者だ!
「……人間?」
向こうもこちらに驚いたらしく、棒を振り上げたまま固まっている。
お互いランプを挟んで目を白黒させていた。
そこに居たのは、赤毛の少年だった。
誤字修正しました。ご指摘ありがとうございます。