お茶とティーカップ
備え付けのテーブルでぐだぐだと日記をつけていてふと思い出した。
昨日の不届きで親切な黒マントは、社長たちがやって来たから逃げたのではないのだろうか。
確かにあの黒マントはかよわい乙女を問答無用に放り出すような薄情者だと思うのだが、それでも直前まではここがパンゲアという大陸で東国の皇都の近くで、あの青い花が此岸花だということを教えてくれ、私が迷い人だということを教えてくれたのだ。しかも、ありがた迷惑だったが、近くの町まで連れていってくれようともしていた。
それなのに社長たちの気配を感じたと思ったら(私にはわからなかったが)態度を急に変えて逃げたのだ。
何者なんだ。あの黒マント。
スパイなのか? 実際私にはスパイ容疑かかってるみたいだけど。
あーあーそういうことか! 黒マントのせいでスパイか私!
ちくしょう、あの黒マント!
……まぁ、スパイなんかじゃないし、出来ないし、今まで会った異世界人の中で黒マントはクリスさんの次に親切だった。クリスさんは命令されて、だけどさー。よくしてくれてると思うの。可愛いし。
日記をもうちょっと書こうかなぁとペンを握ったら、ノックが鳴って
「ヨーコさま。第一騎士団、ウィリアムさまがお見えです。よろしいでしょうか?」
ウィリアム…? 誰だそれ。
「昨夜はご挨拶もせず失礼いたしました。私は第一騎士団所属近衛分隊、宰相付き護衛官を務めております。ウィリアム・フミヅキ・バークランドと申します」
宰相付き。ということは、あの歩くフェロモンか白い鉄仮面だろうか?
「えっと、白い方の人ですか? 黒い方の人ですか?」
我ながらこの尋ね方はアホだと思うけどさ! 仕方ないじゃない!
やっぱりアホだと思われたらしく、ドアの外で小さく噴き出す声が聞こえた。聞こえてますよー。知ってるんだろうけど。
「昨夜、セージ閣下と共にこちらにお邪魔した、黒い方です」
おお、大人。フェロモンの方か。
でも何の用だろう。
クリスさんがこちらにお伺いしてるってことは別に悪い用でもないようだけど。
すっぴんでワンピース着てるだけだけどまぁいいか。
「どうぞ」
声をかけると、お茶のご用意セットを積んだワゴンを押したクリスさんと一緒に、昨夜の歩くフェロモンが優雅に現われた。
色の形容はあんまり間違っていないんだよ? 濃い藍色の髪だし、ごついわけじゃないけど体格いいし、全身真っ黒の詰襟だしね。ひきしまったお腰に佩いたいぶし銀の剣がよく映える。それにしても背高いよねぇ。
私が見上げると、歩くフェロモン、もといウィリアムさんの方はテーブルの上の私の日記に視線を滑らせていた。
「日記、ですか?」
おおっと、こちらの世界って漢字はあるんだった。
「記録をつけておこうかと思って」
といいつつ、手帳を閉じる。何にも悪いことなんて書いてないけど、日記読まれるっていい気分しないじゃない?
ウィリアムさんは少し考えるような顔をしたが、すぐに笑顔で隠された。やるな。
「そうでしたか。……座っても?」
はいはいどうぞどうぞ。どうぞと手を差し出すと、ウィリアムさんはやっぱり優雅にそれほど上等ではない椅子に腰掛ける。その間にもこちらに微笑むことを忘れずに。あの社長と違って女性の扱い心得てるな。
「本来ならば、淑女には親愛と礼儀として手の甲に一度ご挨拶申し上げなければならないのですが」
なんだその映画の世界。やめてー。
一瞬で青ざめた私の顔色を汲み取ったのか、ウィリアムさんは苦笑した。
「セージ閣下から、同じような習慣はあるが、生粋のニホンジンであろう貴方にそういう免疫はないだろうからとうかがっております」
そうかそうか! あの社長、外人顔だと思ったら、キスハグ大好き文化の落とし子でもあったか!
お察しのとおり、わたくしめはそんな文化持ち合わせておりませんとも!
「北城社長……北城宰相にはよくしていただいております」
とりあえず心の叫びは封印しておく。大人だし。
「北城、はここでは複数おります。どうぞセージ閣下とお呼びください」
……えーめんどくさいなー…。
それにウィリアムさんの笑顔が限りなく胡散臭い。
「わかりました、善処します」
「はい。是非」
気が向いたら宰相閣下とお呼びします。名前は呼ばない。
ウィリアムさん、漢字わかるけど日本人をよくおわかりでない。善処はすべて否です。
「ところで、セージ閣下にご面会をご希望ということでしたが」
おお、クリスさん、ちゃんと伝えてくれたのね。
そう思ったところへ、ふんわりと花のいい香りがするティーカップが目の前に差し出された。
お茶なんだろうけど、よくみると淡い黄金色だよ。
ウィリアムさんの方にも出されてるけど、さっき言ってた二日酔いによく効くってお茶かな。
ありがとうってお礼言うと、クリスさんはふんわりと笑ってくれた。
でも、私はすぐには口をつけなかった。
必要なことをちゃんと話してからだ。
「宰相閣下は私の身元を保証してくださるとおっしゃっていました。そのことについて少しお話をしたかったのです」
「よくわからない世界に飛ばされて、ご不安でしょう。ヨーコさまはおいくつなのですか?」
ウィリアムさんは始終笑顔だが、この人ほんとに侮れない。
気遣うふりをして巧みに年齢を聞き出そうとするし。
しかも、憶測交えてないからちゃんと数応えないといけないし。
社長から聞いてるかもしれないけど、ここはひとつ。
「十七歳です」
七歳ほどサバを読んでみました。
本家の女子高生のみなさまゴメンナサイ。
でもねーなんかねーウィリアムさん異常な笑顔だよこれ。
「お若くして大変なことに巻き込まれましたね。私でよければ何でもおっしゃってください。必ずお力になりますよ」
ウィリアムさん、非常に笑顔なんですけれどね。
なんか、怖い。
ほら、あの背中が寒いっていうの? あれですよ。
「でも、あなたにはご不幸でしたが、愛らしいあなたのような方に出会えて、私は幸運ですよ。この僥倖を恵んでくださった神に感謝したいほどです」
ウィリアムさんのゆっくりと微笑む姿は艶やかそのもの。たちのぼる男の色気? ていうのが部屋全体を覆うようだ。その矛先はすべて私に向けられていて……
…………………………………………。
……え?
ちょ、私、女子高生って言ったよね?
じゅうななさいデースって言ったよね?
それに外人から見たら日本人って若く見えるっていうけど十七歳ってきついよね? 自分で言ったけど自分がいたたまれないよ!
それにウィリアムさん、あなた、フェロモン駄々漏れの大人だよね? 少なくとも三十路だよね?
まさか、あの、少女にいっちゃうクチですか…!
「―――……ごめんなさい。二十四歳です!」
思わず本当の年齢白状してしまいました。私の意気地無し。
案の定ウィリアムさんは驚いた顔をした。すっぴんですけどそこまで驚く?
……そしてなんで次に極上の笑顔なんですか。あなた。
「そうですか。二十四、でしたか」
ウィリアムさんの甘い声が更に深味のある声色になった。
えええええええ? 少女大好き主義なんじゃないの?
「申し訳ありませんでした。ただでさえ不安なあなたの警戒心を煽らせてしまって……。ですが、あなたの力になりたいというのは本当なのですよ。そして出来ればあなたのその神秘的な黒い瞳に私を閉じ込めてほしいと願っている憐れな男の一人です」
今後、ウィリアムさんの戯言には耳を貸さないことにします。
小心者と罵らないように。
そんなこと言う子はあのぎらぎら笑顔に睨まれた蛙状態になればいいんだ!
映画かマンガでしかお目にかかれないような二次元美形から舞台役者顔負けのセリフがするする出てくるなんて誰が予想できようか。
私も負けじと笑顔を張り付けることにした。
私は女優…!
「それで、宰相閣下にはお会いできるんですか?」
声がなんだか強張ってたけど上出来だよ自分!
ウィリアムさんは少し心外そうな顔をしたけれど、大人だから微笑んで応えてくれた。
「ええ。本日の夕食の後にでも時間を設けるそうです。その折の飲酒はほどほどにと」
ええええええお酒飲んじゃだめって? 昨日は飲みすぎただけだってばー。
「昨夜は失礼いたしました」
「いいえ。もう少しお若いと思っていたので、あれほど強い酒をたしなまれるとは驚いていたのです」
と、笑顔のウィリアムさん。
いったい幾つと思われていたんだ私…。未成年だと思ってたんなら、未成年の飲酒見過ごすんじゃない。だめ! 絶対!
「お酒がお好きなんですね」
「ええまぁ…」
女でお酒大好きとかなんか偏見持たれそうだからやめてよ。好きだけどさ!
「またの機会にご一緒させてください」
この人の笑顔ってなんでこんなに眩しいかな。
返事は適当に笑ってごまかしておいた。
「皆さんには、良くしていただいて本当に感謝しております」
改めて藍色の瞳を見据えて言うと、柔らかく見つめられた。やめてー。
「あなたは、私の国の事情に巻き込まれただけの、いわば被害者です。あなたへの責任は、宰相始め我々一同が負うところと認識しております」
静かな声が告げる謝罪は、きっと国を代表してのではなく、この人の謝罪だろう。ウィリアムさんはわかっているのだ。
責任はあっても、保護義務はない。
国の方針は、きっと、社長と同じだ。
「私は」
こんな性格だから、私は上手く媚びることができない。女失格ですね。
「親切にしてくださったあなたとクリスさんを信じています。もちろん私を助けてくださった宰相閣下も」
信頼と親愛は別物だ。
けれど、私にとって今できることは目の前にある人を信じることだけなのだ。
私が相手を信じることと、相手が私を信じることは全くの別のことなのだから。
私は目の前のティーカップに手をかけた。
ウィリアムさんは口をつけていない。
私は、黄金色のお茶を口に含む。
ああ、やっぱりついてないな私。
―――ふわりとした花の匂いと一緒に、私の意識は途絶えた。