第6話:略奪の序曲
氷の薔薇が咲き誇る美しい庭園の静寂は、地響きのような軍靴の音によって破られた。
城の正門に現れたのは、黄金の鎧に身を包んだ第一王子・エドワード。その後ろには、数百の精鋭騎士団が控えている。かつて私をゴミのように捨てた男が、今度は「聖女」を迎えに来たと、歪んだ笑みを浮かべていた。
「アルベルト公爵! 貴公に預けていたエルゼを返してもらおう。彼女には伝説の『浄化の力』があることが判明した。王国の宝を、化け物の巣窟に置いておくわけにはいかないからな」
エドワードの声が魔法で増幅され、城中に響き渡る。
私の隣で、アルベルトの身体からパキパキと不穏な凍結音が鳴った。彼の周囲の空気が、一瞬で絶対零度へと叩き落とされる。
「……誰を、連れ戻すと?」
アルベルトが一歩前に出た。その瞳は冷酷な捕食者のそれであり、隠しきれない殺気が吹雪となって渦巻く。
「落ち着け、公爵。交渉に来たのだ」
エドワードは懐から、禍々しく光る紫色の小瓶を取り出した。
「それは『原初の雫』。いかなる呪いも解くとされる伝説の霊薬だ。エルゼをこちらに渡せば、それを貴公に与えよう。化け物の姿から解放され、再び人間として太陽の下を歩きたくはないか?」
アルベルトの動きが、ぴたりと止まった。
彼の視線が、その小瓶に注がれる。
(……呪いが、解ける……?)
私の胸が、嫌な予感で締め付けられた。
アルベルトは、誰よりも自分の異形を呪っていた。人間に戻れるのなら、彼は――。
「アルベルト……様……?」
私が震える声で彼の名を呼ぶと、アルベルトはゆっくりとこちらを振り向いた。その顔は、無表情で、何を考えているのか読み取れない。
「エルゼ。……お前は、どうしたい?」
「え……?」
「私のような怪物と、この凍てつく監獄で一生を過ごすか。それとも、王子と共に華やかな王都へ戻り、聖女として崇められる道を選ぶか」
彼の声は、ひどく静かだった。けれど、その指先がわずかに震えているのを、私は見逃さなかった。彼は怖がっているのだ。私が自分を捨てることを。
私は迷わず、彼の大きな手を両手で包み込んだ。
「……私の居場所は、ここです。王都に聖女はいません。ここにいるのは、アルベルト、あなたの愛に溶かされた、ただの女です」
私の言葉を聞いた瞬間、アルベルトの瞳に、絶望を塗りつぶすような狂おしいほどの情熱が宿った。
「……聞いたか、エドワード。彼女は私のものだ。たとえ神が許しても、私がお前を許さない」
アルベルトはエドワードに向けて片手をかざした。
「その汚らわしい薬ごと、塵になれ」
「なっ……貴様、正気か! 全軍、突撃せよ! 化け物を討ち取り、聖女を奪還しろ!」
エドワードの号令と共に、騎士たちが一斉に抜剣する。
だが、アルベルトは冷笑した。
「エルゼ、目を閉じていろ。……少し、血の匂いが混ざる」
彼は私の腰を引き寄せ、守るように抱き寄せると、空いた手で虚空を掴んだ。
次の瞬間、城門の前に巨大な氷の壁がそびえ立ち、騎士たちの炎の魔法をものともせずに粉砕した。
戦いの火蓋は切って落とされた。
それは、愛する女を独占するためなら、国すら敵に回す「氷の王」の宣戦布告だった。




