第2話:凍てつく指先、灯る体温
氷晶城の夜は長い。窓の外では猛吹雪が唸り声を上げ、石造りの壁を容赦なく叩いている。
アルベルト公爵――「氷の怪物」と呼ばれた彼は、寝室の大きな天蓋付きベッドの傍らで、椅子に深く腰掛けていた。
その肌の一部は、今もなお硬く冷たい氷の鱗に覆われている。
彼は、戸口に立つ私を、氷晶のような鋭い瞳で見据えた。
「……まだ、いたのか。毒を盛られるか、凍え死ぬのを待っているのかと思ったが」
彼の声は低く、どこか自嘲気味だ。
私は手にした銀のトレイをサイドテーブルに置いた。そこには、湯気を立てる温かなスープと、焼き立てのパンがある。
「毒など盛りません。それに、このお城は案外暖かいですよ。毛布もたっぷり用意していただきましたから」
嘘だ。執事が用意してくれた部屋は、王都の離宮よりもずっと寒かった。けれど、実家の冷遇に比べれば、物理的な寒さなど大した問題ではない。
私はスプーンを取り、スープを掬って彼の口元へ運ぼうとした。
「なっ……何をしている!」
「お食事です。公爵様、今日はお疲れでしょう?」
「貴様、正気か? 私の呪いに触れれば、並の人間なら指先から凍りつき、心臓まで氷に変わるのだぞ」
彼は忌々しげに、自らの「怪物」の腕を隠すようにマントを翻した。
けれど、私は一歩も引かない。
「私には魔力がありません。魔力がないということは、あなたの『魔力的な呪い』に干渉されないということでもあります。ほら、見てください」
私は大胆にも、彼の氷の鱗が浮き出た頬に、そっと掌を当てた。
ビリッとした静電気のような衝撃が走る。けれど、それは拒絶ではなく、彼が溜め込んできた「孤独」の痛みのようだった。
「……冷たいけれど、とても綺麗です。冬の夜の星空みたいで」
「綺麗だと……? 狂っている。誰もが私を見て悲鳴を上げ、逃げ出したというのに」
アルベルトの瞳が揺れた。
彼は私の手首を掴み、乱暴に引き剥がそうとした。だが、その力は驚くほど弱く、震えていた。
「エルゼ……。お前は、死ぬのが怖くないのか」
「捨てられることの方が、ずっと怖いです。だから、私をここに置いてください。あなたの傍で、その冷たさを少しでも分け合いたいのです」
私は彼の膝元に膝をつき、縋るように見上げた。
王都では、誰も私を必要としなかった。「無能」というレッテルが、私の存在価値を奪っていた。
けれど、今、目の前にいるこの「怪物」は、私の体温を必要としているように見えた。
アルベルトは沈黙した。
やがて、彼は観念したように溜息をつくと、私の差し出したスプーンから、ぎこちなくスープを口にした。
「……味がしない。この呪いを受けてから、すべての感覚が凍りついてしまった」
「それなら、味がするまで、毎日私が作り直します」
私は微笑んだ。
その時、彼の指先が、私の頬をかすめた。
触れた部分は刺すように冷たかったが、その奥にある「人の温もり」を、私は確かに感じた。
「……勝手にしろ。ただし、後悔しても遅いからな」
ぶっきらぼうな言葉。けれど、彼の周囲に渦巻いていた猛吹雪のような魔力が、ほんの少しだけ、穏やかになった気がした。
翌朝。
城の門を叩く、無遠慮な音が響いた。
王都から、エドワード王子の使いが「生贄の死亡確認」にやってきたのだ。
「公爵様、お客様のようです」
「……不愉快な奴らだ。エルゼ、下がっていろ」
アルベルトの瞳に、再び鋭い殺気が宿る。
けれど、私は彼の服の袖をぎゅっと掴んだ。
「いいえ。私に任せてください、アルベルト様。私はもう、あの人たちに怯えるだけの令嬢ではありませんから」
彼を守りたい。
生まれて初めて芽生えたその感情が、私の中に、見たこともない「光」を灯し始めていた。




