第1話:氷の王宮への「生贄」
王都にあるきらびやかな夜会の会場。その中心で、私の人生はあっけなく崩壊した。
「エルゼ・フォン・クロイツァー! 貴様との婚約を破棄し、ここにいるミレーヌ嬢との婚約を正式に発表する!」
第一王子のエドワードが、私の妹であるミレーヌの腰を抱き寄せ、高らかに宣言する。
周囲からは、憐れみと嘲笑の入り混じった視線が突き刺さる。理由は明白だ。私、エルゼには、この国の貴族なら誰もが持つ「魔力石」を輝かせる力が微塵もなかったから。
「……承知いたしました、殿下」
私は静かに頭を下げた。反論しても無駄なことはわかっている。
けれど、王子の追撃はそれで終わりではなかった。
「ただの追放では生ぬるい。貴様には『北の最果て』へ行ってもらう。氷の城に引きこもる“化け物公爵”の、死に損ないの世継ぎの世話役としてな」
会場がざわつく。
北の最果て。そこは一年中雪に閉ざされ、魔力に侵された「氷の呪い」が蔓延る地。そしてそこに住む公爵、アルベルト・ノースフェリスは、かつて戦争で呪いを受け、人の姿を失った「凍てつく獣」と恐れられている男だ。
行けば二度と生きては戻れない。それは事実上の死刑宣告だった。
一週間後。
私は、ガタガタと揺れる粗末な馬車の中にいた。窓の外は、王都の緑が嘘のような、見渡す限りの銀世界だ。
(……ここで死ぬのかしら。それとも、化け物に喰われるのかしら)
不思議と恐怖はなかった。実家では「無能」と罵られ、食事さえまともに与えられなかった日々。それに比べれば、冷たい雪の中の方がまだ、自由な気がした。
やがて、吹雪の向こうに黒い影が見えた。
天を突くような鋭い塔、冷気で結晶化した壁。それが、アルベルト公爵の住まう「氷晶城」だった。
重い鉄の門が開く。出迎えたのは、血の気の失せた顔をした老執事一人だけだった。
「……あなたが、王都から送られてきた『生贄』ですか」
「エルゼ・フォン・クロイツァーと申します。今日からこちらでお世話になります」
私が淡々と挨拶すると、老執事は意外そうな顔をしたが、すぐに悲しげな目を向けた。
「公爵様は、最上階の奥の間にいらっしゃいます。……決して、その素顔を見ようとはしないでください。お命を大事にされるのであれば」
案内された廊下は、一歩進むごとに気温が下がる。
突き当たりの大きな扉の前まで来ると、執事はそれ以上近づこうとしなかった。
「ここから先は、あなた一人で」
私は深呼吸をし、凍りついたドアノブに手をかけた。
冷たさが肌を刺すが、構わずに扉を押し開ける。
部屋の中は、闇に包まれていた。
ただ、部屋の奥にある巨大な椅子の影に、うごめく「何か」がいた。
「……消えろ。死にたく……なければ……」
低く、地を這うような声。
同時に、肌が切れるような鋭い冷気が部屋中に吹き荒れた。普通の人間なら、この圧迫感だけで気を失うだろう。
だが、私は一歩、また一歩と闇の中へ足を進めた。
「公爵様。ご挨拶に伺いました。エルゼと申します」
「聞こえなかったのか。私は、呪われた化け物だぞ……!」
闇の中から、青白く光る「獣の目」が私を睨みつけた。
鋭い爪を持った大きな手が、私の喉元に伸びる。
しかし、私は逃げなかった。それどころか、その冷え切った大きな手に、自らの両手をそっと重ねた。
「冷たい……。ずっと、お一人で耐えていらしたのですね」
「……っ!?」
獣の動きが止まる。
私の手には魔力がない。だから、彼の放つ「呪いの冷気」を中和することはできない。けれど、体温を伝えることだけはできた。
「私は無能だと捨てられた身です。行く場所もありません。ですから、あなたが私を喰らいたいとおっしゃるまで、ここに置かせてください」
私が微笑むと、闇の中から一筋の光が差し込んだ。
月明かりに照らされたのは、異形の角が生え、肌の一部が氷の鱗に覆われた男の姿。
恐ろしいはずのその姿は、私には、あまりにも孤独で、脆い、壊れかけの氷細工のように見えた。
「狂っているのか……。私に触れて、無事でいられるはずが……」
「平気です。私、寒さには慣れていますから」
男――アルベルト公爵は、信じられないものを見るかのように私を見つめ、やがて力なくその腕を降ろした。
これが、凍てつく地で始まる、呪われた公爵と無能令嬢の、ひどく不器用で情熱的な恋の始まりだった。




