第2章 離れの窓から降りてきた女
翌週のティータイム。
いつもの離れの窓は今日は空っぽだった。
「……あれ?」
私は首を傾げて紅茶を啜る。
今日は王子も少し遅れている。珍しい。
すると、庭園の小道を歩いてくる人影がいた。
黒髪をゆるく編み上げた、30代半ばくらいの女性。
ドレスは質素だけど上質で、歩き方が妙に堂々としている。
子どもを二人連れていない。今日は一人。
……来た。
私は内心で小さくガッツポーズをした。
彼女――セリーナ・ローレンティアは、私の正面の席に当然のように座った。
「エレノア・クロフォード嬢。お久しぶり」
「お久しぶりです、セリーナ様」
私はにこやかに頭を下げた。
転生前のオタク人生で鍛えられた「嫌味を笑顔で返す技術」が、ここで生きる。
「今日はレオニス様がお見えにならないそうなので、私が代わりに」
「そうですか。わざわざお越しいただいて恐縮です」
「……あなた、随分と落ち着いているのね」
セリーナは目を細めた。
美人だ。間違いなく美人。
でもその美しさが、今は怒りと焦りで少し歪んでいる。
「だって、私がここにいる限り、あなたは『正式な側室』にもなれないんですよね?
子どもが二人もいるのに、ずっと『愛人』扱い。
それは……辛くないですか?」
セリーナの指が、テーブルの上でピクリと震えた。
「あなたに言われたくないわ」
「ですよね。でも現実ですから」
私は紅茶をもう一口。
「王子は私との婚約を破棄したくないんですよ。
だって破棄したら、『これまでずっと婚約者を騙してました』って自分で認めることになる。
王太子派も、貴族院も、全部『レオニス殿下は誠実』ってストーリーで回ってるんですから。
それを自分で壊せないんです」
「……それがどうしたというの」
「だから私がここにいる限り、王子はあなたを正式に側室にできない。
まして正妃なんて、夢のまた夢」
セリーナの瞳が燃えるように光った。
「だったら、あなたが辞めればいいじゃない」
「それができないんですよ、私」
私は肩をすくめてみせた。
「だって私、元・30過ぎ独身オタクですから。
『婚約してる』って肩書きがあるだけで、人生がものすごく楽なんです。
親戚にも職場にも『王子と婚約中なんで』って言えば、それ以上何も聞かれない。
最高の無敵バリアですよ、これ」
「……ふざけないで」
「ふざけてません。本気です」
私は静かに続けた。
「だから、私からは絶対に婚約破棄しません。
王子が『もういい、破棄する』って言うか、
あなたが『もう耐えられない』って王子に泣きつくか、
どちらかが折れるまで、私はここにいます」
セリーナは立ち上がった。
椅子がガタンと音を立てる。
「あなたみたいな女が……!
レオニス様を縛ってるだけじゃない!
私たちの子どもたちの未来まで奪ってるのよ!」
「奪ってるのは王子ですよ」
私は静かに言い返した。
「子どもがいることを隠して、
私との婚約を盾にして、
何年も何年も『正妃はまだ決まらない』って言い続けてるのは、
誰でもない、王子殿下自身です」
セリーナの唇が震えた。
「……あなた、ほんとに冷たい女ね」
「冷たいっていうか、もう『熱くなる』機能が死んでるだけです。
転生してから6年、王子に振り回されて、
愛人様にも睨まれて、
それでも『婚約者』って肩書きだけは手放したくなくて。
……これが私の、精一杯の意地なんです」
セリーナはしばらく私を睨んでいた。
そして、ゆっくりと息を吐いて、背を向けた。
「覚えておきなさい、エレノア・クロフォード。
このままじゃ済まないわ」
「はい。楽しみにしてます」
彼女の背中が小道の向こうに消えるまで、私は紅茶を静かに飲み続けた。
……ふう。
やっぱり、来たね。
これでやっと、
本当の意味での三つ巴が始まった。
(王子がどう動くか。
セリーナがどう出るか。
そして私が、どれだけ粘れるか)
私はカップの底に残った茶葉を見つめながら、小さく呟いた。
(元々実現しそうにない婚約話を長年継続させるなんて、女の人生をなんだと思ってるのかしら。他人の時間を勝手に奪うというなら、そのまま返してあげましょう)
前世のOLでは小姑みたいなキャラの先輩社員が、ネチネチと毎日のいびりをしてきていた。
まあその鬱憤は推し課金で発散してたわけだけれど、長い時間の嫌がらせには慣れているわ。




