8話
武具店「ヴァレリウス商会」を出た後、レイナは一言も発さなかった。
リオンが彼女の神速の剣技【雷光】を、一度見ただけで完全に模倣した。その事実が、Aランク冒険者である彼女の冷静さを、根底から揺さぶっていた。
彼女の横顔には、興奮、困惑、そして得体の知れないものへの、かすかな畏怖が入り混じった複雑な表情が浮かんでいる。
沈黙のまま、二人が辿り着いたのは、街の外れにある訓練場だった。
「……リオン」
静寂を破ったレイナの声は、どこか硬質的な響きを帯びていた。
「単刀直入に聞く。あんた、一体何者だ? あの剣技……ただの天才なんて言葉で説明できるものじゃない」
レイナの鋼色の瞳が、リオンの全てを見透かそうとするかのように、鋭く突き刺さる。
嘘はつけない。そして、この女は信頼できるかもしれない。リオンは、彼女との間に芽生え始めた奇妙な信頼関係と、利害の一致を信じることにした。
「俺には、見たものを自分のスキルとして取り込む力がある」
彼は「アップデート」という言葉こそ伏せたが、能力の核心部分は偽りなく伝えた。
常識外れの告白に、レイナは一瞬絶句する。だが、すぐにその唇に獰猛な笑みを浮かべた。
「……面白い。理屈はどうでもいい。お前が使えるなら、それでいい」
彼女はリオンの目の前に立つと、高らかに宣言した。
「今日からお前を鍛える。私の復讐に使える『剣』に育ててやる。途中で死んだら、それまでの男だ」
◇
地獄、という言葉が生ぬるく感じるほどの訓練だった。
レイナの指導に、基礎練習などという概念は存在しない。初日から、手加減ありとはいえ、Aランク冒険者との実戦形式のスパーリングが始まったのだ。
「遅い!」
リオンは`身体強化 Lv.2`を最大まで発動し、`剣術 Lv.2`の技を繰り出すが、レイナの圧倒的な実力の前に、赤子のようにあしらわれ、何度も地面に叩きつけられる。
剣の速さ、踏み込みの鋭さ、一撃の重さ、その全てが、ザガンたちBランク冒険者とは比較にすらならない。
(これが……Aランクの実力。本物の、強さ……!)
しかし、リオンはただやられてはいなかった。レイナの剣を受けるたび、その神速の動きを見るたび、彼の脳内にはあのウィンドウが絶え間なく表示されていた。
『アップデートしますか? [Y/N]』
『アップデートしますか? [Y/N]』
リオンは苦痛に歪む口の端を吊り上げ、心の中で応え続ける。
(アップデートだ……! もっと、もっと強く……!)
訓練開始から数日後。もはや奇跡としか言いようのない変化が訪れた。
防戦一方だったリオンの剣が、明らかにレイナの動きに対応し始めたのだ。
『スキル:剣術 Lv.2 が Lv.3 にアップデートされました』
『スキル:身体強化 Lv.2 が Lv.3 にアップデートされました』
そして、決定的な瞬間が訪れる。
【雷光】
レイナが牽制で放った一閃に対し、リオンも全く同じ技で応じた。
【雷光】
二つの閃光が激突し、甲高い金属音を響かせて火花を散らす。自分の得意技が、ほぼ同じ威力で返ってきたことに、レイナは一瞬、本気で目を見開いた。
だが、彼女はリオンの一歩先を行っていた。
「――甘いな」
次の瞬間、レイナの雷光が、リオンの雷光を力で押し潰し、彼の体を容赦なく吹き飛ばした。
「ぐっ……!」
地面に叩きつけられ、呼吸すらままならないリオンに、レイナは静かに告げる。
「スキルだけじゃ、本物の強者にはなれない。経験、読み、駆け引き……お前に足りないものは、まだ山ほどある」
リオンは、全身の痛みの中で、初めて理解した。
アップデートという絶対的な力をもってしても、一朝一夕では決して越えられない、圧倒的な経験の壁の存在を。
◇
訓練が終わり、泥のように疲れて倒れ込むリオンに、レイナは無言で回復ポーションと、乱暴に包まれたサンドイッチを投げてよこした。
「食え。強くなるには、戦うだけじゃダメだ。食って、寝て、頭を休ませろ」
ぶっきらぼうな口調に隠された、彼女なりの不器用な優しさだった。
サンドイッチを頬張りながら、レイナはぽつりと語り始める。
「強さは剣の腕だけじゃない。相手の嘘を見抜く目、状況を読む頭、そして誰を信じ、誰を捨てるかの決断力だ。……私の仲間は、それが足りなくて死んだ」
レイナの瞳が、リオンを通り越して、遠い過去の光景を映した。
(……あの時も、雨が降っていた)
一年前、Sランクを目指していた将来有望な四人組のパーティー。盾役のアラン。治癒士のリナ。斥候のカイト。そして、若き剣士だったリーダーのレイナ。
きっかけは、とある裕福な商人の失踪事件。
正義感の強かったレイナが、冒険者ギルドの依頼で調査に乗り出したのが全ての始まりだった。
調査の末、その商人が闇の取引に関わっており、古代遺跡の取引現場で確保する計画だった。
しかし今思えば、全てが仕組まれた罠だった。
遺跡の最深部に足を踏み入れた瞬間、闇の中から無数の毒矢が降り注いだ。
「リナを守れ!」
アランが大盾を構え、矢の雨を防ぐ。だが、その一瞬の隙を突いて、影の中から現れた黒装束の刃が、彼の鎧の隙間を的確に貫いた。
「アラン!?」
悲鳴を上げたリナに、暗殺者たちが殺到する。斥候のカイトは魔法の罠に捕らわれ、身動きが取れない。レイナが剣を抜き、仲間を助けようとしたその時――。
「――無駄だ」
一人の男が、まるで死神のように、音もなく彼女の前に現れた。その顔には、全てを嘲るかのような愉悦の笑みが浮かんでいた。
「ご苦労だったな、正義の味方さん。お前たちが追っていた商人は、我々のクライアントだ。これ以上邪魔されては目障りだ」
絶望が、レイナの思考を塗り潰す。自分の正義が、仲間を死地へと導いてしまった。
「そんな……」
「それが世の理だ、嬢ちゃん」
男の一閃が、レイナへと届く瞬間、罠を抜け出したカイトが前に出た。
「──うぐっ!」
「カイト!」
「私が治します!」
リナがすぐさま治療魔法を唱える。
しかし、男はすぐさまリナの元へと駆け出し、治癒魔法を唱えるリナの胸を貫いた。
致命傷を負ったアランが、最後の力を振り絞って叫ぶ。
「レイナ……逃げろッ!」
彼は血反吐を吐きながらも大盾で男に突進し、その足を僅かな時間、縫い止めた。
リナもまた、薄れゆく意識の中で最後の魔力を振り絞る。
「【フラッシュ】!」
目も眩む閃光が遺跡を白く染め上げ、暗殺者たちの視界を奪う。
「生きなさい、レイナ……!」
リナの最後の言葉を背に、レイナは血の涙を流しながら、ただ一人、闇の中を駆け抜けた。背後で、アランの絶命する声と、男の怒声が響いていた。
「追え! 殺せ! あの女を逃がすなッ!」
(……守れなかった。いや……見捨てて、逃げたんだ)
目の前のサンドイッチを持つ彼女の手が、微かに震えている。
それは、彼女の魂からの教えだった。リオンは、その言葉を静かに胸に刻む。
リオンの真剣な眼差しに、レイナは遠い目をした。
「奴らは『奈落の鱗』。金のためなら何でもするクズ共だ。……私の仲間は、奴らに殺された。特に、当時奴らを率いていたリーダー格の男……あいつは、桁違いのバケモノだった」
その声には、深い憎しみと、消せない悲しみ、そしてわずかな恐怖が滲んでいた。
彼女の復讐の理由を初めて知り、リオンはレイナという人間に触れた気がした。
◇
さらに数週間が過ぎた頃。リオンの実力がついたと判断したレイナは、ついに動くことを決意する。
「依頼を受けるぞ。Cランク『シャドウパンサーの討伐』だ」
「奈落の鱗」が自分たちを監視していることに気づいていた彼女は、あえて街から離れた森での依頼を選んだ。それは、敵を誘い出すための罠だった。
依頼の獲物であるシャドウパンサーをあっさりと片付けた後、レイナはリオンに告げる。
「雑魚掃除は終わりだ。本命がもうすぐ来る」
彼女の目的は、追手を返り討ちにすることだった。リオンは驚きもせず、静かに頷く。彼もまた、【気配察知スキル】によって、無数の視線に気づいていた。
すると、リオンの【気配察知】が最大級の警報を発する。
周囲の木々から、音もなく複数の黒装束の集団が姿を現し、二人を完全に包囲していた。
黒装束の一人が、自分たちの罠にかかったと信じ、嘲るような声で言う。
「見つけたぞ、"聖なる剣"殺し。そして"雷光"レイナ。我らが主はお怒りだ。お前たちの首を、奈落への手土産にしてやる」
彼らの胸には、「奈落の鱗」の紋章が不気味に刻まれていた。
しかし、絶望的な状況下で、レイナは不敵に笑う。
「待ちくたびれたぞ、亡霊ども」
レイナとリオンは、自然と背中合わせになる。




