人魚姫に歌とマカロンを
一華:海が見える隠れ家的カフェで経理と配膳を担当。毎夜、岩場で海を見たり、歌を歌ったりするのが最近の楽しみ。
店長:一華が店員として働いているカフェの店長、調理を担当。経理が苦手で困っているところを、休職中の一華に手伝って貰いそのまま雇った。今まで一人で切り盛りしていたので、一華がいてくれてとても助かっている。
しゃべらない常連さん:金髪、紺青の目をしているしゃべらない女性。無言だが感情表現は豊か。いつも16時頃に来て、紅茶とスイーツを頼み、本を読んで帰る。
岩場で一緒に歌ってくれる人:一華が岩場でオリジナル曲を歌うときだけ、一緒に歌っている。姿を見たことない。
※冒頭部分の文章は『人魚の姫 ハンス・クリスチャン・アンデルセン 矢崎源九郎訳』
底本 アンデルセン童話集Ⅰ
出典:新潮文庫、新潮社(1967年12月10日発行) 青空文庫(https://www.aozora.gr.jp)より引用させていただきました。
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海のおきへ、遠く遠く出ていきますと、水の色は、いちばん美しいヤグルマソウの花びらのようにまっさおになり、きれいにすきとおったガラスのように、すみきっています。
[中略]
お姫さまは、なかばかすんできた目を開いて、もう一度王子を見つめました。と、船から身をおどらせて、海の中へ飛びこみました。自分のからだがとけて、あわになっていくのがわかりました。
人魚のお姫さまは、すきとおった両腕を、神さまのお日さまのほうへ高くさしのべました。そのとき、生れてはじめて、涙が頬をつたわるのをおぼえました。
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久々に人魚姫の原文を読んでみた。大学の時に、発表の練習のテーマとして読んで以来だ。再度読んでみたが、やはりなかなかに過激だ。しかし、少し救いもあったと思う。
小さい頃に読んだ絵本では、王子とは結婚できずに泡になって消えてしまったとういうところで終わっていた。原文もそこまでは同じだが、その後は風の精霊になって漂い、徳を積めばいずれ転成できるという少し希望がある終わり方だった。
人魚姫が何故声を失い、激痛が走る足を手に入れてまで王子に執着したのかはわたしには理解できなかった。そこまでする価値がその男にあったのか、姉たちの思いは届かなかったのか。
生まれてはじめての涙が、後悔からくるものだとしたら哀しいと思った。
ボーンボーン
貸家に備え付けられていた古時計が、夜の9時を告げる。
「そろそろ行くか」
海辺の岩場に行こう。
こちらに来てから夜に岩場に行って、歌を歌うのが日課になった。最初は岩場で海を眺めるだけだったが、誰もいないからと歌を歌ってみたら存外気持ちよかったからだ。
ギターは趣味で弾いていたが、なかなか上達しなかったので早々にやめてしまった。
歌うだけなら自分の喉があれば事足りるので、飲み物だけ持って岩場へ向かう。
岩場の地平線が見える場所、そこがわたしの定位置だ。
徒歩数分でつくそこは、ちょっとした崖のようになっている。崖といってもサスペンスドラマのラストシーンのような高さはない。高低差はせいぜい建物の2階までくらいだ。
その下は空洞になっていて海水が流れ込んでいる。小さい洞窟のようで、少しワクワクする空間になっている。まあ昼間はいいけど、夜は月明かりがないと真っ暗になるので行きはしないが。
「あーあー」
今日は何を歌おうか。
いつも気分で歌う曲を決めている。流行の曲だったり、懐メロ、洋楽など何でもありだ。スマホでインストを流し、歌う態勢に入る。
~♪
「ふう」
何曲歌っただろう。水筒の水を飲みつつ、時計を見ると10時前。40~50分くらいは歌っていたらしい。
あと1曲歌ったら帰ろう。
『ただ海を漂っていたかった
そんな僕を 世間は許してくれない
歩く足はあるけど 前に進めない
それならいっそ足なんてなければいいのに
声は出せるけど 何度叫んでも届かない
何のための声なんだ?
最後は泡になって 空気に溶けるならそれもそれでいいのかな
馬鹿みたい 馬鹿みたい
そんな勇気もないくせに
逃げることは悪いこと?
立ち向かうことはいいこと?
そんなの誰が決めた?
逃げなきゃ 前に進めないんだ
足が前にでないんだ
声が枯れるまで 叫ぶことなんてできないよ
まだ泡になんてなりたくない
でも まだ溺れてる
ねえ 僕はいつになったら 皆みたいに泳げますか?』
インストなしの自分の声だけの歌。
わたしが作った曲なんだから、インストなんてあるわけない。一時期衝動的に歌詞を書いて、それになんとなくメロディーをつけただけ。意外と気に入っていて、毎回最後に歌っている。
最近気づいたが、この曲を歌っていると海の方からもう一人分の歌声が聞こえてくる。最初は波の音か自分の声が反響しているだけだと思っていたが、日に日に歌声が大きくなって、今では一緒に歌っている感じになっている。
ちと恥ずかしいが、悪い気はしないし相手も楽しんでいるならまあいいか。それにその歌声に、毎日ちょっとだけ期待している自分がいる。
「帰るか」
誰にいうでもなくつぶやき、立ち上がるとパシャンっと水音が聞こえた。波が岩に当たった音だろうと、特に気にせず帰路についた。
~翌朝~
「おはようございます」
「おはよー。今日もよろしくね」
「はい」
わたしが今働いているのは、海が見える隠れ家的カフェだ。
緩く朝の挨拶をしたのが、ここの店長だ。今の貸家もここの店長から、無料で借りている。家賃を払うと言ったのだが、元々持て余していたからタダでいいと言う言葉に甘えさせてもらっている。
わたしが休職中にたまたま見つけたカフェで、雰囲気が気に入り週4くらいで通っていた。すっかり常連となった頃に、経理で店長が悩んでいたので手伝ったらそのまま働くことになった。次の就職先も決まっていなかったので、二つ返事で引き受けた。
カランカラン
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
「おはよう、今日も良い朝だね」
「おはようございます、お天気もいいですしねー」
「ご注文はいつものですか?」
「お願いするよ」
「少々お待ちください」
今日初めてのお客さんは、常連の佐々木さん。初老のダンディーなおじさまだ。いつも開店と同時くらいに来て、コーヒーとトーストを頼み、読書をしてお昼前に帰る。
前はお昼に来ていたのだが、口コミで昼の人が増えてきたので朝一に来るようになったそうだ。そこまでしなくてもと店長が言うと、ここの雰囲気が好きだから早起きをしてでも来たいのだと笑っていたのが印象的だった。
「ありがとうございました」
「此方こそありがとう、また来るよ」
「はい、お待ちしております」
そろそろお昼だ。12時以降からだんだんと人が増えてくる。
ここには老若男女色んな人が来る。このカフェは特にSNSをやっているわけではないが、今は自分たちがやらなくてもお客さんが発信するのでその効果で少しずつお客さんが増えた。バズりはしないけど、知る人ぞ知るという感じだ。
最も店員が店長とわたししかいないので、バズりはしないでほしいと思っている。そのことを店長さんにぽろっと言ってしまったことがあったが、自分も今の隠れ家的でゆっくりできる方がいいと言っていた。ここは日常に疲れた人がゆったりできる場所でありたいとも、これは常日頃店長が言っていることだ。
「「ありがとうございました」」
お昼の最後のお客さんが帰った。時刻は2時頃、これから1時間のお昼休憩だ。
店のプレートをCLOSEにして、一息つく。3時に開けるが、午後はほとんど人が来ない。それこそ仕事帰りにちょっと寄れるような場所ではないので、当然と言えば当然だ。その時間で経理の仕事ができるので、此方としてはありがたい。
カランカラン
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
「・・・・・・」
カタカタと計算をしていると、最近よく来るお客さんが入ってきた。その人は会釈はするが、注文の時も指さしで一言もしゃべらない。外見は長い金髪、深い青い目をしてるので海外の方だと思う。
時刻は4時頃、大体この時間だ。何をしているかなどは何も知らない。そもそも詮索は無用だ。
わたしがここに来る前からちょくちょく来ていたらしいが、最近は大体毎日来てくれている。
「ご注文は?」
「…………」
「紅茶とマーメイドプリンですね。少々お待ちください」
メニューを指さし、わたしの顔を見てうなずく。無口だが感情表現は豊かだ。今だって、ちょっと嬉しそうにしている。
待っている間も待ちきれないという感じで、そわそわして時折此方をチラチラと見ている。それが可愛くて少し笑ってしまった。
「一華ちゃん、これお願いね」
「はーい」
わたしが立ち上がると、さっきまでソワソワとしていたのにスッと背筋を伸ばし前を見た。その変わりようが面白く、思わず店長と顔を見合わせて小さく笑ってしまった。
「お待たせしました」
「………」
「ごゆっくりどうぞ」
目の前に紅茶とプリンを置くと、わたしに会釈をしてから目の前のプリンに釘付けになっていた。早く食べたいという感情が伝わってきたので、早々に立ち去る。
因みにマーメイドプリンとは、プリンの上にのせたクリームに色とりどりの星形のフルーツをちりばめて、真珠に見立てたアザランを振りかけ、王林を魚の尻尾のように切って盛り付けたものだ。
店長に新メニューを頼まれたときに作ったが、お客さんからのウケはあまり良くなかった。でも頑張って作ったものだからと、店長がメニューに残してくれた。たまにこうして頼んでくれる人がいるから、結果的には良かったと思う。
ノーパソの前に戻り経理の続きをする。
私のカタカタというキーボードの音と、店長が食器を洗うカチャカチャという音、よくあるアコギアレンジのBGMの音。今聞こえるのはこの3つだけ。昼間とはうって変わってとても静かだ。
「お疲れ~」
「お疲れ様です。お皿洗い、任せてしまってすみません。」
「いいのよ~。私経理はからっきしだから、やって貰ってとっても助かってるの。はい、コーヒー。少し休んだら?」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
ぐーっと背伸びをすると、パキッと肩がなった。時計を見ると5時を過ぎていた。
ふとあのお客さんが気になり、そちらに視線を向けると本を読んでいた。後ろ姿なのに妙に気品を感じた。
「……あの子、綺麗よね」
「ふえ!?あ、ああ、そうですね」
「ふふっ一華ちゃん、ずっとあの子のこと見てたでしょ?」
「あ、えっと……?」
ヤバイ、無意識だった。そんなに見ていただろうか。
慌てて視線を逸らす。でも嫌な思いをさせていたらと思い、ちらっと見ると彼女は変わらず本を読んでいた。
良かった、気づかれてない。
「て、店長~」
「きゃーゴメンゴメン。あ、あの子帰るみたいよ」
「も~、行ってきます」
彼女が此方を見て、スッと手を上げていた。これが彼女のお会計の合図だ。
「1000円になります」
「………」
「ありがとうございました」
お会計を済ませ、最後に目を合わせ会釈をして帰って行く。
接客時はお客さんに目を合わせて行えと言われるが、友達にすらなかなかできない私には無理な話だ。
ただ彼女とはなぜか目を合わせることができた。夜の海のような青さで、吸い込まれそうになるからだろうか。
「さて、じゃあお店閉めちゃおうか」
「あ、はい」
お店の看板をしまい、プレートをCLOSEにする。
お金の計算をして金庫にしまい、テーブルを拭いたり、フロアの掃除をする。店長は調理場の片付けをしている。
「後は一人で大丈夫だから、今日はもうあがっちゃっていいわよ」
「はーい。お疲れ様でした」
「お疲れ、また明日ね~」
「はい、また明日」
今日も疲れたな~。
夕ご飯を食べたら、岩場に行こう。
さあ、今日は何を歌おうか。
「ふー」
今日も歌ったな~。
さて、最後の曲いきますか。
今日も一緒に歌ってくれるかな?
すぅと大きく息を吸い、最後の曲を歌う。
~♪
『ねえ 僕はいつになったら 皆みたいに泳げますか?』
歌っていて驚いた。
今日はもう一つの歌声がハモってきた。しかも、とても心地よく邪魔にならない程度に。いつもより楽しく歌えた、まあ決して楽しい歌詞ではないけれど。
いつもならすぐ帰るが、今日はその歌声の主がとても気になった。
「ねえ、いつも歌ってくれてる人」
「―ッ!」
息を呑む音が聞こえたが、返事はなかった。
まあ端から返事がもらえるとは思っていなかったので、気にせず声をかける。
「今日はハモってくれたね。すっごく楽しく歌えたよ」
「………」
「ありがとね。また一緒に歌ってくれるかな?」
「………」
返答はなし、か。
少し寂しいが仕方ない。
「いきなり話しかけてごめん。でも、また一緒に歌ってくれると嬉しいな」
「…………」
「じゃあ、また明日」
「…………あの」
私が立ち上がろうとしたときに、小さな声が聞こえた。
耳を澄ませていないと、波の音に消されそうなくらい小さな声。
「どうしたの?」
「私も貴方と歌うの楽しい。貴方の歌声が好き」
「それは嬉しいね」
綺麗なソプラノの声、とても心地いい。
はじめて歌声以外の声を聞いた。
「貴方がいつも最後に歌う曲は、聴いたことがない」
「だろうね。わたしが作った曲だし、伴奏もなにもないよ」
「貴方が歌う曲で一番好き。だから覚えて、一緒に歌いたかった」
「嬉しいこと言ってくれるね」
あんな衝動的に作った曲だが、好きだと言ってもらえるのは素直に嬉しい。
「ねえ、また一緒に歌ってもいい?」
「もちろん」
「その後、今日みたいにお話ししても?」
「いいよ」
その日から、名前も姿も知らない歌声の人と毎晩歌って、どうでもいい話をした。
たったそれだけのことだけど、今までのどんなことより楽しかった。
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「ウィーッス」
「ここがSNSでみたカフェってとこ?」
「そっスよ、先輩」
あ、嫌な客だ。店長も少し眉間にしわを寄せている。
ここの雰囲気に似つかわしくない派手な格好した男と、ちょっとチャラ目だけど今時な若者の二人組。お客さんがSNSにのせると知名度は上がる反面、たまにこういう変な輩が来る。
さっさと注文済ませて、お引き取り願おう。
「ご注文は?」
「んじゃ、店員さんのオススメで」
「紅茶とケーキのセットでよろしいですか?」
「それ、二つお願いするっス」
「少々お待ちください」
注文は難なくすんで良かった。
戻って店長に注文を伝えると、いつもより機敏に紅茶を入れたりしていた。本当にこういう人達嫌いなんだ。いや、わたしも苦手だけど。
「にしてもあんま人いねぇな。お前の評価、過剰なんじゃねぇの?」
「いやいや、隠れ家的な所ってこんなもんっスよ。前昼に来たときは、めっちゃ混んでたっスから」
後輩っぽい人は前も来ていたらしい。そういえば見たことがあるような………あ、若い男女2人ずつで来てたうちの1人だ。
前は来たときはチャラい感じしなかったから気がつかなかった。普段がそっちなのだとしたら、その先輩との付き合い方は考えた方がいいと思う。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
「………なーんか地味だな。映えも何もしねぇ」
「先輩、失礼っスよ!」
「ごゆっくり」
地味で悪うござんした。とっとと食って帰りやがれ。
内心中指立てつつ、お客さんから離れた。
「一華ちゃん、あとで塩まこ」
「お供します」
店長もご立腹のようだ。
「ありがとうございました」
「まずくはなかったけど、もう来ねぇな。やっぱり都会が一番っしょ」
「・・・先輩、先出ててください。自分が会計しておくんで」
「おう、悪いな」
最後まで失礼な奴だな。だから彼女にフラれんだよ。
さっき二人の会話で聞こえてきたが、最近あの先輩が彼女にフラれたと話していた。気分転換のためにと、後輩君が気を遣って連れてきたらしい。
「先輩が失礼しました」
「いえいえ」
「自分はここの雰囲気好きっス。ご迷惑じゃなければ、また来てもいいっスか?あ、今度は1人で」
「ええ、お待ちしております」
「ありがとうございます!」
後輩君は最後にもう1回謝り、店を出て行った。
しっかりした良い後輩君だ。
もう一度言おう、あの先輩とは縁を切った方がいい、おばちゃんからの忠告だ。
あの失礼な客以外、午後は誰も来ていない。
因みにあの後、塩はまいてません。勿体ないし、後輩君は普通だったし。ただあの先輩がいたところは、念入りにファブっときました。
時刻は4時過ぎ、そろそろ彼女が来る時間だがまだ来ていない。今日は来ないのだろうか?
暇なので水回りの掃除をしていたら、鍵がついたチェーンが手洗い場においてあった。午前中の時にはなかったので、十中八九あの客のものだろう。
「店長、さっきのお客さん鍵忘れてったみたいなんですけど、まだその辺にいますかね?」
「あの子達、ここまでは徒歩だったみたいだからまだいると思うわ。あ、スタンガン持ってく?」
「いや、忘れ物届けに行くだけなので……」
「遠慮しないで、念のため持っていきなさい?」
「……わかりました」
念のためです、使いはしないと思う。
外に出て、舗装されている道を小走りで降りていく。
家の鍵にしろ、車の鍵にしろないと困るだろう。まだその辺にいるといいんだが。
「なあ~、いいじゃん。オレと遊ぼうぜ~」
「先輩、やめましょうよ。今日は帰りましょう」
「うっせぇな!帰りたいならお前だけで帰れよ!」
いたよ。
さっきのチャラい男がうちの常連の彼女に絡んでいた。何してんだ、あの野郎。
後輩君はなんとか止めようとしているが、あんまり強く言えないのだろう、あまり意味をなしていない。
店長、スタンガン案件かもしれないです。
「お客様、お忘れ物ですよ」
「あ、さっきの店員さん」
「あれ?オレの車の鍵!センキュー!あ、君も一緒に遊ばない?」
「いえ、まだ勤務中ですので……彼女、痛がってるんで離してあげたらどうですか?」
「あ?あ~、こうしてないとこの子逃げんだもん。オレと遊んだ方が絶対楽しいのに」
いや、嫌だから逃げてるんだろ。
彼女にフラれたのって、こういう女癖の悪さとか強引さとかが原因じゃないの?
「え~、どうせあんま客来てないんだろ?だったら、サボってオレと遊ぼうよ」
「…………だから、彼女にフラれたんだろ(ボソッ)」
「あ゛ぁッ!!!?」
「え?」
「あ…………」
しまった!あんまりしつこいから思っていたことを言ってしまった!
あ、あ~プルプルしてるよ。
てか彼女の腕、いい加減離せよ。痛がってんだろ。
「んっだとこの野郎!」
「先輩ッ!」
あの野郎はキレたのか、殴りかかってきた。
キレると手が出るのか、もう全てがフラれた原因だろクソ野郎。
スタンガンを使おうと思ったが、クソ野郎が彼女の腕をつかんだまま。このままだと彼女も感電してしまうかもしれない。
かくなる上は————————————
「ふん」
「がっ!~~ッ!!!」
「ヒェッ」
「おっと」
金的をかましてやった。おーおー悶絶しておるわ。
クソ野郎の手が緩み、彼女が手を振りほどいてこちらに飛び込んできたので受け止める。掴まれていた腕をみると、かなり強い力で握られていたのか赤くなっていた。何してくれてやがんだ、このクソ野郎。
再度クソ野郎を見ると、まだ股間を押さえてうずくまっていた。ざまあみろ。
このままクソ野郎を放置すると通行の邪魔なので、後輩君に声をかけようとそちらを見ると、股間を押さえて青い顔をしていた。玉ヒュンってやつかい?
「えっと、後輩君?」
「はっはい!」
「この人、通行の邪魔だから連れてってくれない?」
「……あ~そッスね。本当にご迷惑をおかけしました。そこの子も申し訳なかったっス」
「…………」
後輩君から謝罪されて、彼女はフルフルと首を振り大丈夫だと目で訴えた。
後輩君にもそれが伝わったのかはわからないが、再度土下座でもするような勢いで頭を下げ、先輩を背負い帰っていった。
さて、クソ野郎は帰ったがこれからどうしようか。このまま彼女をカフェに案内するわけにも行かないし、かといって家に送り届けようにも場所を知らない。
とりあえず、彼女の意見を聞こう。
「えっと、このまま家に帰れる?」
「………」
「カフェにいく?」
「………」
何も反応がない。そういえば、後輩君に謝罪された後はずっとうつむいたままだ。どうしたもんかな?
「………怖かった……」
「……え?」
今にも消えそうな震えた、小さな声。
それはここ最近、毎晩聞いていた声に似ていた。
すると、急に彼女の足が光り出した。
キラキラと眩しくて目を開けていられなかった。思わず目をつむり、光が収まった頃に目を開けると、彼女の足は人間の足ではなくなっていた。
下半身は魚の鱗に、立派なひれ、なのに上半身はさっきの彼女のまま。
「にん、ぎょ……!?」
「……ぁ……あぁ………!」
「え、え?」
わたしが人魚と呟くと、両手でバッと顔を覆って泣き始めてしまった。
えっと、えっと、どうしよう!?と、とりあえず魚の部分隠した方がいいのか!?
自分の上着を彼女の腰に巻いて、前部分は店のエプロンを巻いてと。よし、これで大分隠れた。
だけどここは道のど真ん中。人通りがほとんどないとはいえ、誰かに見られては大変だ。かといってカフェにいくわけにもいかない。ここから一番近いのは………自分家か。
「えっと、とりあえずここから離れよう。わたしの家が一番近いからそこいくね」
「………………グスッ」
コクンと彼女が頷いてくれたので、とりあえずわたしの家に行くことにした。
「立て、ないよね。ちょっと失礼しますよっと」
「わっ」
その足じゃ歩けないと思ったので、彼女を横抱きにして小走りでその場を離れた。
驚かせてしまったけど、緊急時なので我慢してください。と思っていたら、彼女がわたしの首に手を回して自ら落ちないようにしてくれたので、さらに足を速めた。
ちょっとだけ照れたのは内緒だ。
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「これで大丈夫?」
「……はい」
家に着き、魚の部分が乾燥しないよう浴槽に水をため、そこに彼女を降ろす。まだ鼻がグスグスしているが、少し落ち着いたようだ。
その後、店長に状況を説明するため連絡を入れた。やっぱりスタンガン持ってって良かったでしょう?って。使わなかったことと、金的をかました話をするとグッジョブと言っていた。それと今日はもうそのままあがっていいとも言われたので、そっちはとりあえずよかった。
問題はこっちだ。何から話せばいいのやら。
「うーん………」
「…………ごめんなさい」
「え、何が?」
「今までずっと騙してて」
人魚だと隠していたことか?
別に人に言いたくないことは誰にだってある。それに誰かが傷つくような嘘を、彼女がついていたわけではない。
「別に騙そうとして秘密にしてたわけじゃないでしょ?」
「でも……私は………」
ぎゅっと手を握り、絞り出したような声で続きを話す。
「岩場で、貴方と毎晩歌を歌って、話をしていた。人魚ということを隠して」
「………あぁ」
やっぱりそうだった。はじめて声を聞いたときから薄々気がついていた。
心地いいソプラノ、こんな綺麗な声聞き違えるはずがない。
「ごめんなさい」
「別に人魚だと知ってても、わたしは毎日あの岩場で貴方と歌っていたと思う。貴方と歌ってるとき、話しているときが何より楽しいと思った。人魚だろうと何だろうと、それは変わらないよ。貴方はどうだったか分からないけど………」
「わた、しも、楽しかった!」
はじめて聞いた彼女の大声は、涙混じりだったけどうれしさが滲んでいた。
「だからもう謝るのはなし」
「うん」
その後は、毎日岩場でしていたようなどうでもいい話をした。今日何をしていたとか、カフェでこういうことがあったとかそういう話だ。
いつもの空気に戻ったので、ふと疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「そういえば、なんであの時魚の足に戻っちゃったの?」
「私の魔法は声を出すと解けちゃう。だから、カフェでは一言もしゃべれなかった」
「へえ~」
「そんな魔法にしたのは、声を出すと貴方にバレちゃうと思ったから」
「ん?」
「変身魔法の解除方法は自分で決められる」
「んん?」
待って待って、ファンタジー過ぎてついていけない。いや、目の前に人魚がいる状況がまずファンタジーなんだけど、それ以上のことぶっこまないで?
「えっと、まず自分で変身できるの?」
「うん」
「じゃあ、変身後に声をだしても大丈夫なようにもできるの?」
「できる。今やる?」
「いや、いいです」
じゃあ彼女は自分で変身できるけど、わざわざ解除方法を声を出すことにしたと。いやなんで?
わたしにバレないようにって言ってたけど、人間のままだったら別にバレてもよくない?
「別にカフェにいるときは人間だったんだから、わたしにバレてもよかったんじゃない?」
「え、いや、だって………」
ん?急にもじもじし出した。頬もさっきよりちょっと赤い気がする。
「……まだ、顔を見て話せる勇気がなかったから………」
なんだこの可愛い生き物。
「でもさ、さっきまで普通にわたしの顔見て話せてたよ?」
「えっ!ほ、ほんとう?」
「うん」
ボーンボーンボーン
「ふえっ!何の音!?」
「ああ、時計の音だよ。もう9時なんだね」
「あ、もうそんな時間」
ぐう~
「クスッ遅いけど何か食べようか?」
「は、はい………」
どうやらかなり話し込んでしまったらしい。
彼女はカフェに来ても毎回甘いものを頼んでいたので、パンケーキを焼いてあげた。この時間にパンケーキとは罪深いなと思ったが、今日くらいいいだろう。
浴室にテーブルと椅子を持ってきて、目の前にパンケーキと紅茶と置く。彼女はいつもの待ってましたという顔で食べ始めた。わたしも席につき食べ始めたが、いつもよりおいしく感じたのは気のせいだろうか。
「「ごちそうさまでした」」
「おいしかった?」
「とっても!」
「あははっよかったよ」
食べ終わりふと時計を見ると10時前。
今日は岩場まで行って歌うべきか否か。
「………あの」
「ん?」
「今日は、歌わないの?」
「……歌いに行こうか」
岩場まではさっきと同じようにお姫様抱っこで連れて行こうとすると、自分で歩くと魔法でヒレを人間の足に変身させ先に行ってしまった。
道分かるかな?
あ、戻ってきた。ちょっと顔赤い。
「案内してください」
「はいはい」
やっぱり分からなかったか。
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いつもの岩場についた。
今日は岩場の上ではなく、その下の空洞に腰を下ろした。今日は月が出ているので、いつもより明るい。
彼女は海から上半身を出し、肘をわたしの近くの岩場につけてこちらを見る。
「今日はここなの?」
「うん、ダメだった?」
「ううん。嬉しい」
それから数曲歌った。いつも通り彼女はそれを静かに聞いている。
そういえば、ずっと彼女と言っていたけどお互い名前を知らないことに気づいた。
「ねえ、名前なんて言うの?わたしは一華」
「モネ。そういえば名前、ずっと知らなかった」
「モネ、ね。こんなに何回も話してるのにね」
名前も知らない、姿も知らない人と毎晩歌って、話をしていた。まるでネット上での話みたいだ。
いつものようにインストを流し、それに合わせて歌う。モネは静かに、時折曲に合わせて揺れながらわたしの歌を聴いている。
「モネ、最後の曲歌うよ」
「一華、一緒に歌っても?」
「もちろん、お姫様」
舞踏会でダンスに誘うかのように手を出すと、モネはクスッと笑いながらその手を取ってくれた。
すぅっと同時に大きく息を吸う。
空洞の中に二人分の歌声が響く。
この世界に二人だけしか居ないような気がした。
いつものように歌い終わり、ゆっくりと息を吐く。
「この歌の子は、泳げるようになるの?」
「………さぁ、どうだろうね」
この歌の子は、わたしだ。
正確には過去のわたし。いや、今もか。
わたしはまだもがいている。泳ぎ方はまだ分からない。
「そっか………ねえ、この歌に続きはあるの?」
「え……?」
この歌の続き?
「……考えたことなかった」
「じゃあ、一緒に考えない?」
モネと一緒に?
「いいね」
「えへへ…………」
チャプッ
モネが海から上がって、私の隣に腰掛けた。魚の足は海に浸かったままだ。
「どうしたの?」
「なんか、近くに行きたくなった」
「何それ」
クスッと笑うと、モネも一緒に笑った。
そのまま無言で海を眺めた。沈黙も嫌じゃない。
聞こえる音は波の音、二人の息づかいだけ。
ふと隣を見ると、モネが此方を見ていた。
「どうした?」
「………一華」
モネの手がわたしの頬に触れる。ゆっくりとモネの顔が近づいてくる。そして互いの息がかかるくらいの近さで止まる。
その間もモネは目を合わせたまま、そらせてくれない。
「モ、モネ?どうし、んっ……!?」
「ん……」
「あ、まっん……っ……」
わたしが混乱していると、モネに唇を奪われた。
一度唇が離れ、待ったをかけようとしたらその言葉ごと再度奪われた。
一度目は軽く、二度目は深く。
「……っはぁ……」
「……っ……なん、で?」
「歌の子と、一華が泳げるようになるおまじない」
モネが頬をほんのりと赤らめたまま、ふわりと笑う。
その顔はちょうど月明かりに照らされ、幻想的に見えた。
わたしの顔も真っ赤なのだろう。
鼓動が早い。まるで全速力で泳いだときのよう。
「なんで、わたし、も?」
「一華、苦しそうだったから。歌の子みたいに」
ああ、分かっちゃったんだ。意外と鋭いな。
「だから、最初は歌の子に。最後は一華に」
「………理由になってない………」
そう、おまじないと言ったがキスをする必要はないはずだ。
それにその、ディープな方をする必要も。
「………半分本当、半分嘘」
「………?」
「半分は泳げるように、元気になるようにおまじない。もう半分は———————」
真っ直ぐに紺青の、深い海の色の目がわたしを見つめる。
「一華、貴方が好き。大好き。歌声だけじゃなく、貴方のすべてが」
真っ直ぐな告白。
ドクドクと早い心臓の音が聞こえる。それが本当に自分から聞こえているのかわからないくらい、混乱している。この鼓動が何からくるものなのかわからない。
「顔真っ赤」
「え、あの……その……!」
「答えは今じゃなくてもいいよ。でも—————————」
———————その様子だと、期待しちゃうよ?
耳元でモネが囁いた。
さらに顔に熱が集まる。恥ずかしいのに、その顔を跳ね除けようとは思わなかった。
「ふふっまた明日」
「あ、うん。また明日」
呆けたまま別れの挨拶をする。
パシャンと水の音がして、我に返る。もうモネの姿は見えなかった。
なんだか今まで夢を見ていたみたいだ。しかし、スマホの再生履歴と体の熱、そしてあの唇の感触が今日の出来事を夢じゃなかったと思わせる。
「ていうかあの子、うちの常連なんだよね…………」
平常心でいられる気がしない。絶対店長になんかあったってバレる。
はぁ、明日からどういう顔して接客すればいいんだろう。
おまけ
「いらっしゃいませ、あ」
「いらっしゃいませ~」
モネがいつもと同じように小さく会釈してから席に着く。
「いつもの子だね~って、一華ちゃん顔赤いよ?大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
本当は全然大丈夫ではない。
昨日の事を思い出して顔が熱くなる。
「風邪、ではないよね?」
「体調は大丈夫です」
「ふ~ん?……………ねえ、あの子となんかあった?」
「ッあ、だ、何もないです!」
なんで分かる!?いや、こんなに動揺してたらさすがに分かるか。
昨日一緒にモネといたのわたししかいないからね。
「あらあら~。あ、ほら注文決まったみたいよ」
「本当に何もないですから!行ってきます」
店長にニヤニヤされながら注文を取りに行く。
大丈夫、いつも通り、平常心平常心。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「…………」
「紅茶とカップケーキセットですね。ではお好みのカップケーキをあちらのショーケースからお選びください」
うちはお持ち帰り用のカップケーキもあるが、店内で食べることもできる。ショーケースの中から3種類選んで紅茶と頂く、なかなかの人気メニューだ。
モネが一つ一つ指をさして注文をする。その仕草に少しだけドキドキしたのは隠せているだろうか。
「バニラとミントチョコとシトラスブルーですね。少々お待ちください」
「…………」
軽くお辞儀をして顔を上げると、モネと目が合いふわりと微笑まれる。
途端に、ぼっと顔から火が出たんじゃないかってくらい熱くなる。
「し、失礼いたしまう」
真っ赤な顔を見られたくなくて、そそくさと戻る。
動揺しすぎて噛んでしまった。いきなりあの笑顔は心臓に悪い。
「店長、カップケーキセット一つ、紅茶です」
「は~い。あら、さっきより顔赤いわよ~?」
「だ、大丈夫です」
真っ赤な顔を見られたくなくて、腕で口元を隠したけど店長はさらにニヤニヤするだけで逆効果だった。さっさと紅茶淹れてきてくださいといって急かしたけど、ずっと店長はニヤニヤしたままだった。
「はい、紅茶とカップケーキ。そういえば一華ちゃん、お菓子言葉って知ってる?」
「え、バレンタインにあげるチョコとかキャンディーとかの意味ですか?」
「そうそう。それでね、カップケーキは”あなたは特別な存在”って意味なの」
「とッ………!」
「ふふふ、今日の一華ちゃんおもしろ~い」
この店長は!わたしで遊ばないでほしい!
「店長、さすがに怒りますよ?」
「うふふ~、ごめんごめん。こんな初々しい一華ちゃん見たの初めてだったから、ちょっと揶揄いたくなっちゃった。お詫びとしてうちの新商品のマカロンつけてあげる」
「いや、わたしにはないんですか?」
「じゃあいいこと教えてあげる。マカロンのお菓子言葉はね——————————」
「お待たせいたしました」
「………?」
モネがカップケーキと紅茶しか頼んでないよ?という顔で、お皿に乗っているマカロンを指さしてマカロンとわたしを交互に見てくる。
「このマカロンはうちの新商品なんです。いつも来てくださっているので、ちょっとしたサービスです」
「…………!」
そう伝えると、モネがキラキラした目で此方を見てくる。
ああ、いつものスイーツが大好きなモネだ。このカップケーキもおいしいからという理由で選んでいるんだろう、深い意味はないはずだ。
そう思っているとモネの顔がさっきより赤くなっていることに気づいた。
モネはおもむろにテーブルにささっていた紙ナプキンとペンを手に取ると、文字を書き始めた。
”あなたはとくべつなひと”
ぼっと今日一顔が熱くなる。モネ、知ってたんだ。
まだこれが恋かはわからないし、モネと同じ気持ちかもわからない。
でも、貴方はわたしにとって特別な人。
「今日も歌、聞きに来る?」
「…ッ……!」
赤い顔のまま何度もコクコクと頷く。
その様子に思わずクスリと笑ってしまった。
「お待ちしております」
「……!」
モネはもう一度大きく頷くと、カップケーキに集中し始めた。
「さあ、最後の曲だよ。ご一緒にいかがですか?」
「ええ、喜んで」
まだわたしはうまく泳げないけど、いつか君と一緒に泳げたらいいな。
実はこのお話自体、去年の秋ごろに大体は書いていたんですが、ラストがなかなか思いつかなくてずっと放置してました。それで最近pixivの鱗をテーマにという企画で、こればっちり合うじゃん!と思って今回最後まで書き上げました。本当はこれと対になるような話もあるんですが、それは全然話が書けなくて今も放置中です。こっちが夜ならそっちはお昼がメインの話なんですが、書きたいシーンはあってもどうつなげればいいか分からず仕舞いって感じです。残念ながらそのまま放置する可能性が高いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。