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冥婚の少年  作者:
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二章 スターマイン(2)

「はーい、皆さん。常野晴くんを連れて来ましたよー」


 勢いよく扉が開け放たれると、思ったよりも広い畳敷きの部屋が続き、スーツ姿の男たちが座っていた。全国の守役を束ねる神御寮は、御寮官八名による合議制を取っていると聞く。最奥に座った四十がらみの男に一瞥をやって、晴は頬を歪めた。別の若い男が声をかける。


「おかえりなさい、蛇ノ井さん。その子は?」

「新米常野守の晴くんですよ。今日はご挨拶と例の件でこちらに」

「へえ? あなたが贔屓にしてるわりには、ふつうの子だなあ。っと、失礼」

「まあ、お座りなさい。ああ、みどりちゃんお茶を。晴くんがおまんじゅう持ってきてくれたんですよう」


 甘味に目がない蛇ノ井が顔を綻ばせる。飾り棚に置かれた瑠離紺の香炉から、澄んだ蓮の香りがしている。中央には御寮官の八席と脇息。促されて、晴は座布団に腰を下ろした。


 御寮官は年齢も性別もまちまちのようだ。独特の鋭さを持つ八対の目に見つめられると、制服姿の自分がひどく浮いて見えて、晴は身をすくめた。


「ほら、君から皆さんにご挨拶を」


 蛇ノ井に促され、「あ、」とひととき口ごもったあと、背を正す。


「常野守の常野晴です。春に先代から鏡を継承しました」

「雲外鏡は今日は持ってきたかい?」


 言われてシャツの下に入れていた古鏡をたぐり寄せる。裏に精緻な桜の細工がほどこされた鏡は、子どものこぶしほどの大きさで、普段は縮緬でつくったカバーをつけてある。鏡を検分した御寮官のひとりが、ほう、と呟いた。


「常野女神のゆるしは得られたようだな」

「女神は晴くんが大好きですからねえ。稀なる縁を結んでしまうくらい」

「神の恩寵など。ひとの身には毒もおなじだ」


 息をつく男の声で、その場になんともいえない沈黙が落ちる。


「まあまあ、そう仰らずに。磐さん。――ちょうどお茶とお菓子も来ましたしね」


 お盆を持って現れたみどりちゃんに目配せを送り、蛇ノ井が苦笑した。それから、「鳥居とりいくん」とその場ではいちばん若そうな青年を呼ぶ。


「神御寮の概要をかるーく新米くんに説明しておあげ」

「かしこまりました」


 顎を引き、青年が前に膝を進める。


「神御寮というのははるか昔、〈まろうど〉とひとが交わりながら生きていた時代からある、対〈まろうど〉専門機関です。ちなみにいちおう国営でして……、何故か文部省の出先機関のひとつで予算をもらっているので、興味があるなら調べてみてください。さておき」


 澱みなく説明をして、鳥居が微笑む。


「〈まろうど〉たちの名簿の作成と保管。『こちら』に住まう人と、『あちら』に棲まうまろうどの双方を守ること、これが僕らの活動の本旨です」

「それって」

「守役の役割と似ているでしょう? 全国に点在する守役は、会社にたとえるなら、僕ら本社に対して、支社のようなもの。すべてが機能することで、この小さなやおろずの国を守っている。ひとつの綻びは、全体の崩壊に通じる。だから、蛇ノ井さんみたいなサポーターがいて、守役の補佐をしているんですよ」


 鳥居が説明する間も、磐はじっと値踏みするような視線を晴に向けている。唇を噛んで、睥睨し返す。「そこで君の話だけど」と突然鳥居に話を振られて、晴は居住まいを正した。


「君が春におじいさまから常野守を継いだ旨は聞きました。継承は神の意志によるもの。通常は我々も書類のみの査定で終わらせることが多いんですけど、君の場合は少々難があってね」


「〈まろうど〉が見えない守役など、前代未聞だ」


 ぴしゃりと言った磐に、来た来た、といった風に蛇ノ井は首をすくめた。


「見えないものにどうやって名を問う。いかにして声を聞くというんだ」

「だから、もとから怖い顔をしかめないでくださいってば、磐さん」


 まんじゅうを一個二個と高杯から取りながら、蛇ノ井は骸骨じみた指を立てた。


「晴くんには幸い、翅ちゃんがいる。皆さんもご存知のとおり、彼女は非常に稀有な目と耳を持っている。守役ですら見落とすまろうどたちの痕跡を拾い、声を聞くことができる」


「だからといって、常野守をこいつがやる理由にはならない」

「では、ほかの守役をあてがうと? ありえないですよ、磐さん。恋する女の子の気持ちがぜんぜんわかってない。翅ちゃんは晴くんにしか力を貸したりしませんよ。ひとが大嫌いだからね」


 冷笑した蛇ノ井に、磐が顔をしかめた。


「あなたがそうだから、こいつがつけあがる。他人の力に頼るだけの者が守役をするべきではない。まして彼女は――」

「おまえこそ、知ったふうな口を利くな」


 平静を装うと思っていたのに、思わず反論が口をついてしまい、晴は歯噛みする。


「自分は逃げたくせに。じいちゃんがどんな思いでこの五年……」


 そこまで吐き出してしまってから、磐のほかの御寮官の存在に気付いて、晴は俯いた。頬が上気してくる。ああ俺、今日はちゃんと「常野守」としてこの場に立つって決めていたのに。


 けほん、と蛇ノ井がわざとらしく空咳をした。


「磐さんの言い分はわかりますよ。確かに今の常野守の能力には不安がある。そういう意見はほかの御寮官からも出ていました。ただ一方で、常野女神が継承をみとめたことも尊重したい。後追いですが、査定を実施しましょう」


 サングラス越しに眸を眇めて、蛇ノ井が口端を上げる。


「晴くんの人物評価については、もうデータが揃ってる。問題は実戦。実際に守役として動かしてみて、我々の意にかなうか、試してみようじゃありませんか」

「どのように?」

「鳥居くん」


 高杯に詰まれた饅頭へまた手を伸ばして、蛇ノ井は言った。


「先日、文部省から調査の依頼が入った案件があったね」

「あっ、ええ、アレですか」


 渋面を作った鳥居を蛇ノ井が促す。脇に置いたファイルを開いた鳥居が数枚のプリントを蛇ノ井に渡した。神社や子どもの写真が数枚クリップ止めされている。


「ひと月前から京都を騒がせている、通称『神隠し事件』。警察も動いているようですが、今のところ手がかりはつかめず。念のため、あやかしの介入がないか、調べるように神御寮に依頼が来ています」

「しかし通常ならその土地の守役があたるべき案件では?」


 首を捻った御寮官のひとりが「ああ」と手を打つ。


「京都の守役は、入院中でしたか」

「ひと月前に交通事故でね。順調に回復をしているようですが、調査で動き回れるほどじゃない。近隣の守役たちも、別に関わっている件があってすぐには手を離せない。ゆえ、夏休み中の晴くんに調査をしてもらうっていうのはどうでしょう? 同時にこれは晴くんの守役適性をはかる査定を兼ねている。一石二鳥でよいでしょ?」

「すでに被害者が出ている案件だぞ」

「我々に依頼されているのは、あくまで調査です。あやかし退治じゃない。晴くんがあやかしの痕跡すら判じられないというなら、確かに守役不適格といっていいんでしょうけど。どうだい?」


 意地悪く眸を眇めて、蛇ノ井は晴を見やった。


「このはなし、受けるかい? 常野守」

「やります」


 こぶしを固めて晴は即答した。


「どうですか、皆さんは? 常野守に神隠し事件の調査を依頼することについて。異議のある方は?」

「まあ、蛇ノ井さんがそこまで仰るなら。磐さんも異論はないですか」

「俺は反対だ」

「御寮官は多数決制ですからねえ」


 こめかみに青筋を立てた磐に軽やかに笑って返し、蛇ノ井が饅頭を口に入れた。


「……勝手にしろ」


 荒々しく磐が席を立つ。


「これで今日の議案は終わりだな。鳥居。あとで議事録を送れ」

「かしこまりました」

「おい」


 ドアノブに手をかけて晴を振り返り、磐は低い声で言った。


「女神が継承をゆるしたからといって、忘れるな。おまえは見えない。聞こえない。守役としての能力がまるでない。わかったら、とっととその役は降りろ」

「――……っ」


 立ち上がりかけた晴の頭を蛇ノ井がわしづかむ。もがく晴をそのまま畳に伏せさせて、「磐さーん」と場違いに明るい声を上げた。


「やめてくださいよう。この子、血の気が多くて面倒なんですよ。誰に似たのか」

「母親のほうだろう」


 ふん、と鼻を鳴らして磐は部屋を出ていく。荒々しく閉められたドアから晴は苦々しく目をそらした。俺だっておまえに似てるなんて言われたかねえよ。……おやじ。


 *


「はるちゃん、おそーい!」


 神御寮を出る頃には、すっかり日も暮れていた。むくれ顔になった翅が空を仰いでため息をつく。


「多摩川の花火、間に合わないよう」

「あー……」

「スターマイン楽しみだったのになあ。仕掛け花火も川の上でね、ばーんってやるって……、はるちゃん?」


 晴の顔をひょいとのぞきこんで、翅は首を傾げた。


「聞いてた? は、な、び!」

「え? わるい。ぜんぜん聞いてなかった」

「旦那さまったらもうー!」


 頬を膨らませて、翅が腕を組む。


「妻の話を聞き流すとはナニゴトですか。倦怠期ですか。はるちゃん、翅の愛はタダでも手に入るって思ってるでしょー?」


 ころころと表情を変える翅をまぶしげに晴は見やる。なんだか今日は疲れてしまって、軽口の応酬をするのもいい加減面倒くさかった。瞬きをした翅がふいに苦笑をこぼす。年相応に。急にいろんなことを見透かしたみたいに。


「お疲れさまですか、旦那さま」

「別に」

「妻が慰めてあげましょうか?」

「別に」

「じゃあ、空ちゃんとおじいちゃんに、東京みやげ買って帰ろうね。翅、おいしいお店知ってるよ」


 ポケットから出した手に翅が右手を重ねる。当たり前のようにそれだけは繰り返す。幼い頃から変わることなく。

 ネオンサインの光る神保町を歩きながら空を見上げると、ビルのあいまに金星が輝いていた。スターマインだね、と隣で翅がわらった。はじまりの打ち上げ花火は、ささやかに瞬いている。

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